2015

『聖娼女 ~性奴育成学園~』レビュー

抜きゲーとは何か? 簡単に言えば、抜き=オナニー、抜きゲーとは内容のすべてがオナニーのために存在するものだ。他のストーリー重視の18禁ギャルゲーには「ストーリーを求めてプレイする」という言い訳の布がまだあるが、抜きゲーは直接的に、シンプルに、乱暴にアナタの相棒を刺激するために存在している。 『聖 ○女 ~ ○ ○育成学園~』はまさにそういう抜きゲーで、名前の通り、学園の女生徒を手にかけてRBQにしてしまうのがゲームの目的だ。

『恋がさくころ桜どき』レビュー

『ましろ色シンフォニー』のキャッチコピーはこうだ。男の子は何色だろう? 女の子は何色だろう? そして男の子と女の子が恋をしたら、恋は何色になるのだろう? 『恋がさくころ桜どき』のキャッチコピーはこうだ。恋ができない女の子、恋に興味がない男の子、二人が恋をしたら世界はどう変わるのだろう? まあ、パレット+和泉つばす先生の再タッグ作である。タイトルの紹介文も相変わらずキザでほんのり青くさい、恋への憧れを抱かせる純粋な雰囲気を漂わせている。最初は俺もそう思っていた。恋がさくころ桜どき(Koi ga Saku Koro Sakura Doki)なんて、要するにただの……学園もので……主人公がゆっくりヒロインを落としていく話で、せいぜい少し甘い程度だろう、瀬名愛理や瓜生桜乃のルートとそう変わらない。どんなに頑張っても、乾紗凪のルートみたいに無理やり引き延ばすのか? 実際は全然違った。

Creative Air:買ってよかった点と微妙な点

巷で名高い衝動買いサイトこと色魔張大妈には、いくつかイヤホンの神器が存在する。Creative IE3、Creative Air、Creative Live2、AKG Q450、あとはもう覚えていない。要するに、JDの映像・音響クーポンが出るたびに、こいつらが引っ張り出されて推薦されるわけで、もはや一人一個持っているんじゃないかというくらいの恒例行事になっている。 で、これらのイヤホンの音質については、実は真面目に語っている人はあまりいない。自分の手元での感想で言えば、一部は大衆向けとは言い難い。典型例がCreative IE3で、音が高音に寄りすぎていて低音が悲惨。ドンドン鳴らしたいと思って買った人は失望するだろう。もう一つのCreative製品、Creative Airには「女毒」のレッテルが貼られている。ああ、また女毒か。前回のPhonakの後では、もう女毒も何もないと思っていたのに、人間は同じ過ちを繰り返す。今回また400-100のクーポンを手に入れて、つい手が滑ってCreative Airを買ってしまった。IE3はもう人に持っていかれて聴かれているから。 ここでJDを褒めておきたい。春節でも配達してくれて、しかも高效率。配達員はこれを届けた後、今日また注文したら春節明けになるぞと教えてくれたけど。
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ASUS Xonar U7 の正直な感想

ThinkPad X250 を手に入れて Dock を一つ合わせたんだけど、この Dock はエンジニアリングサンプルで、安い代わりにちょっと問題がある。他の問題はまあいい、例えばトリプルディスプレイ出力ができないとか、そんなの使わないし。一番困るのは、マシンに電源が入っていない状態で外部オーディオを繋ぐと大きな電流ノイズが乗ることだ。 この問題は公式サイトでも Youtube でも報告されていて、Lenovo 側のハードウェア問題だと確認された後、リコールでようやく解決した。 もちろん、さっき言った通りこれはエンジニアリングサンプルの安物だから、当然リコールなんてない。だから解決策がないわけでもない。外付けサウンドカードを挿せばいい……

ThinkPad X250:買ってよかった点と微妙な点

仕事では自前のノートPCを使っている。会社から支給されたマシンがダメというわけではなく、デスクトップ機は何かと面倒なだけだ。1年ちょっと前ThinkPad X230を買い、今に至るまでThinkPadの良さをしみじみ感じている。何かあれば自分で部品を探して直せるし、ぶっ壊してもメルカリで部品を買って組み直せるんじゃないかってくらいだ…… この1年ちょいで画面を換え、冷却をいじり、マシンは快調に動いている。それでもやっぱり引っかかる点はあって、一つは画面が憎き1366 x 768であること。もう一つはバッテリー持ちが悪いこと。9セルを積んでも消費電力は最低で11Wまでしか落ちず、しかも油断すると20Wまで跳ね上がる…… なのでThinkPad X250が発表され、タッチパッドが元の形に戻ったと聞いて、即買いした。 Macを買わない理由は、OSXを使わないから。それにRMBPにUbuntuを入れるのは面倒すぎる。

Grado SR225e の正直な感想

自分の人生で初めて「音楽に心を動かされた」と感じたのは、たぶん大学4年生の時だった。 当時使っていたイヤホンはオーディオテクニカのCKM55で、聴いていたのは阿蘭(Alan)の曲だった。リズム感のあるドラムと、甘くて少し切ない阿蘭の声が合わさって、なぜか胸が締め付けられるような感覚になった。その時思ったのは、この歌い手の声はどうしてこんなに澄んでいるんだろう、どうしてこんなに甘いんだろう、声そのものに感情が宿っているみたいで、自分は彼女に感染されてしまった、ということだ。 その後、長く付き合ってきたCKM55のケーブルが断線し、しかもこの製品はすでに生産終了していた。それからはいろいろなイヤホンを使ってきたが、低音とボーカルが分離していて、しかも高音の澄んだ感じを両立させたイヤホンにはなかなか出会えなかった。もっと肝心なのは、あの「情熱」に満ちた感じが二度と戻ってこなかったことだ。いくら低音が豊かで、中音が甘く、高音が透き通っていても、どこか情熱が一分足りない。 オカルトは苦手なので、いわゆる「情熱感」が周波数特性に現れるものなのかはわからない。どういう調音をすればこの情熱が出せるのかも知らない。だが幸運なことに、Grado SR225というヘッドホンが自分の願いを叶えてくれた。

ソニー D100:ファーストインプレッション

玄学が玄学たる所以は、言葉では言い表せない、あるいは正確に表現すらできない内容があまりにも多いことにある。 玄学の語彙も歳月とともに増えていく。たとえば俺が高校生の頃は「低音の下潜は適度、高音は透き通り、中音は甘く、解析が良い」みたいな言葉が主流だった。今は「音場が広い、低音がルーズかタイトか、中音が耳に張り付くか遠いか」になっている。詳しいことは知らんが、少なくとも「下潜」という言葉はもう見かけなくなった。 玄学のもう一つの特徴は正確に表現できず、統一基準もないことだ。多くの玄学マスターは専門機器で周波数特性を測るのが好きだが、どんな周波数特性が「女毒」なのか、どんな周波数特性が「音場が広い」なのか、どんな周波数特性が「ポップス向けチューニング」なのかを教えてくれる人はいない。しかも面白いことに、周波数特性を出しても「音楽は見るものじゃなく聴くものだ、聴感が大事」と言われてしまう…… わからん、本当にわからん…… 玄学には他にも奇妙で、説明不能で、理屈すら言えない言葉がたくさんある。 最近俺が耳にしたのは「音楽の味わい」と「モニターの風格」という二つの言葉。ソニーのD100録音筆は音楽鑑賞に向かない、という人が理由を挙げていた。 「こいつはあらゆる面でZX1を完全に圧倒するけど、音が冷たすぎて、乾きすぎて、モニターしすぎて、抑圧的すぎて、音楽の味わいがない。ZX1やPHA-2の方がずっと滑らかに聴こえる」 音が「滑らか」に聴こえるとは思わなかったし、音に味まであるとは……あらゆる面で完全に圧倒しているのに味がダメとは…… 一体何が音楽味で、何がモニターの風格なのか? 録音筆であるD100で音楽を聴くと実際どうなのか? 達人の話をいくら読んでも答えは出ないから、自分で聴くしかない。

『变态王子与不笑猫PSP』レビュー

日本のラノベ市場の作品の大部分に対して、俺はそこまで高い評価を持っていない。ストーリーはともかく、まず語りの滑らかさが大きな問題だ。読んでいてまあ許せると思える作品はごくわずかで、大半は中学生レベルの語り口、単純粗暴な展開、退屈極まりない倒れ込み、そして意味ありげに「正義の味方」を大げさに語るだけ。正直、目新しさを感じるものは少なく、この点では俺は国内の作品の方が好きだ。 もちろん無理もない。ラノベという産物はイラストと共に興ってきたものだから、ストーリーがダメでイラストが良い作品にはこんな言葉がある。 「イラストを買ってトイレットペーパーをおまけで貰う。」 一番ムカつくのはブサイクな人間じゃなくて、ブサイクなのに自分をイケてると思っている人間だ。 一番アホらしいのはアホに見える人間じゃなくて、アホなのにずっとそこら中でイキっている人間だ。 大部分のラノベ作品についても俺はそう見ている。ただし一部の作品は除く。『変態王子と笑わない猫。』はその一つだ。

『恋する彼女の不器用な舞台』レビュー

成人してから一度も恋愛をしたことがない人間なら、多かれ少なかれ幻想に浸る「二次元妄想」の時期を経験しているはずだ。 否定するなよ。恋愛したことがあるか、認めたくないかのどっちかだ。でなきゃ……リア充のあんたが、なんで俺のブログなんか読んでるんだ? 俺にもそんな時期があった。あの頃の俺は妙に自意識が高くて、どこか距離を置いた孤高さをまとって、世界に想像を膨らませていた。 他人の恋愛話を見ると、つい胸が締め付けられる:なんであんなやつに彼女ができるんだ? なんであのカップルはいつもどこか間抜けに見えるんだ? この世に女の子はこんなにいるのに、どうして誰も俺に気づいてくれないんだ?俺の「彼女」はまだ現れてないってことなのか? かつて私は信じていた。自分には幼い頃からそばにいて、毎日自分から話しかけてくれる幼馴染がいるはずだと。学校では、部活で顔を赤らめながら話す女子が一人や二人いるはずだと。あるいは、ふとした偶然から、とある謎めいた少女の知られたくない秘密を知ってしまい、そこから二人だけの絆が生まれるはずだと…… 女の子が瓊瑶(キョンヤオ)の小説や青春恋愛ものにハマるように、男子が見るああいったハーレム系の作品も、俺たちに夢のような理想世界を作り出してくれる。 「なぜこういう物語は俺の身に起きないんだ?なぜ俺の周りには、まだあんな女の子がいないんだ?」 ことわざにもある通り、人は自分自身を少しずつ知っていく過程で成長する。ある日鏡に映る自分を見て、「これ誰だよ、誰が好んで近づいてくるんだよ」なんて思ったとき、いわゆる「主人公補正」がこれまで一度も自分に降りかかったことがない理由も、なんとなく分かる気がする。 成長するにつれて、十分なリソースと魅力がなければ奇跡なんて降ってこないと分かるようになる。かつて見ていた夢は、振り返ってみれば現実世界が自分に突きつけてくるある種の反差と茶化しに近い。虚構はやはり虚構で、非現実的なものはどれほど美しくても現実には根を下ろせない。のめり込むほどに落差と疲れが生まれやすい。 俺は結局、そこから抜け出せた。でも、いつまでもバラ色の夢に浸ったまま、目を覚まそうとしない奴もいる。現実の挫折感には、ちょっとした幻想のクッションが要る。そんな夢がもたらす一瞬の高揚も、たぶんまた別の依存のはじまりにすぎない。 だから今日話すのは、まさにそういう幻想投影みたいな作品——
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『キミへ贈る、ソラの花』レビュー

幽霊の存在については、いくつかの段階を経てきた…… 小学生の頃、この世に幽霊がいるかもしれないと聞いて、恐怖でいっぱいだった。香港や台湾の粗悪なホラー映画を見ただけで眠れなくなったし、地元のくだらない心霊怪談を聞けば暗闇が怖くなった。でもその後、香港・台湾のホラー映画のメイキング映像を見て、自分でも心霊怪談を広めてみたら、怖いと思うことは二度となかった。 人間は未知のもの、制御できないものにしか恐怖を感じない。そう理解している。幽霊の存在について、人間は捕まえることもできず、かといって否定もできない。挙げ句の果てに幽霊は魔法が使えるだの、超能力があるだの、人間を操って風雨を操るだのと言い出すから、ますます人間は不安になる。 そしてその後、幽霊が存在するかどうかについて新たな認識を持った。もし人が死んで幽霊になり、この世界で横行できるというなら…… この世界、幽霊だらけじゃないか!人類なんてとっくに幽霊にやられてるだろ! というわけで、初雪桜の次に俺がプレイした幽霊がらみのゲームがこれだ。 『キミへ贈る、ソラの花』はCabbitの第2作。そうそう、前回の『翠の海』のあれだ。今回は前作で濃厚な抜きゲー感漂う絵を描いていた絵師を外し、知紗のキャラデザを手がけた自称女性のゆき恵が単独で作画を担当。外見からしてほのぼの系満載の作品である。 で、シナリオは本当にほのぼのなのか?信じてくれ、ほのぼのじゃなかったら俺を何とでもしてくれ!