『マルコと銀河竜』レビュー
Kid Meets World
『ノラと皇女と野良猫ハート』シリーズで名を馳せた脚本家・はとがしばらく沈黙した後、帰ってきた。しかも今度はSteamに現れた。『マルコと銀河竜』というゲームが登場したが、いかにも「金に困ってない」風で、おまけに「簡体字中国語に初回対応」なんてのを標準装備している。どう見ても金を搾り取る気満々だ。
実を言うと、この時点で俺のはとに対する印象はもう最悪だった。というのも、『ノラと王女と野良猫ハート2』で過度な「センチメンタル」と「やりたい放題」が始まっていたからだ。あのメインストーリーが何の話なのか、マジでわからなかったし、笑いのツボもどんどん理解不能になっていった。俺个人的には、彼は一部の「著名脚本家」と同じように「精神病化」したんだろうと思っている。オブラートに包めば「芸術的すぎて理解不能」、はっきり言えば「まともに話ができない」ってことだ。
このゲームには多少不満があったけど、馬尾がどうしても送ってくれないので、自分で手に入れてやるしかなかった。
理由は簡単だ:
「やらなきゃdisれないだろ?」
でも、この「金儲けゲーム」をやってみて、どうやら俺ははとを舐めていたらしい。確かに彼はちょっと「精神病」かもしれんが、「小さな金で大きな仕事をする」ことにかけては天才的な才能を持っているのを忘れていた。それは彼が主導した「超低予算ギャルゲー改アニメ」で如実に示されている。
要するに、『マルコと銀河竜』もそういう「小さな金で大きな仕事」なゲームなのだ。

Kid Meets Dragon
ゲームのストーリーは実にシンプル。ヒロインのマルコは幼い頃に宇宙人に誘拐され、奴隷として宇宙を売買され、最終的に大ワニの手に落ちた。ツンデレのワニの養父はマルコに実の母との写真を一枚渡す。幼い頃の記憶がないマルコは、トレジャーハンターとして稼ぎながら母に会う方法を探し、相棒の「銀河竜アルコ」と共に旅に出る。
一方で、マルコが強大な力を持つ石を盗んだことで、宇宙の別の悪の勢力に目をつけられ、彼らはハクアを差し向けてマルコを追跡させ、石を取り戻して宇宙を支配しようと企む。
もちろん、そんな計画はそう簡単には成功しない。ほとんどの人が想像するように、一行は地球にやってきて大乱闘を繰り広げる。マルコは地球でたくさんの仲間と出会い、実の母を見つける(母はもうマルコのことを覚えていなかったが)。そして地球の仲間と共に最終的に銀河を支配しようとするボスを倒す。しかし最終決戦で銀河竜は自らを犠牲にし、マルコは銀河竜に関する記憶を失ってしまう。
最後にはマルコは地球で楽しく暮らし、トレジャーハンターの仕事を続けながら、記憶の中にずっと存在するあの「銀河竜」を探し続ける。

物語は「おたまじゃくしの母探し」のように見えるが、実際の焦点はマルコと銀河竜の友情にある。何せゲームのタイトルがそう語っている。ゲーム中盤から、物語はもはやマルコと母の物語を重点的に描かなくなる。そして実際、マルコも母のことはそれほど気にしていない。記憶が少ないから、ただ一度会って心愿を果たしたいだけだ。むしろゲーム後半では、銀河竜とマルコの過去が深く描かれる。銀河竜とマルコの出会い、なぜ銀河竜はマルコを救おうとしたのか、そもそも銀河竜はマルコを「食べる」つもりだったのに、なぜその考えを捨てたのか。キャラクターの内面描写は単純な二元論では語れないほど複雑で、むしろ「同じ境遇の者同士」が互いに支え合うという感覚が強い。

ゲーム最後の感動的な内容もマルコと銀河竜から来ており、いわば「タイトル回収」でもある。
Kid Meets Earth
脚本家はとが得意とするのは、「非常に日本的な快速ツッコミコメディの掛け合い」を書くことだ。この手のスタイルは、まあ普通は日本の作品でしか見られない、日本的なユーモアの色が濃いものだ。好き嫌いは分かれるが、俺は好きだ。
もちろん『マルコと銀河竜』でもこのスタイルは健在で、大いに輝いている。
はっきり言おう。このゲームに登場するキャラの70%は本筋と無関係で、彼らの存在意義は笑いを取ることにある。異なる性格のキャラクターを造形し、彼らの間で様々な衝突を起こさせ、コメディ効果を生み出すのだ。

マルコが地球に来た瞬間から、ゲームはロードムービーに変わる。知り合いが増え、楽しさも増えていく。さすがに登場人物はやや多すぎるが、全く気にしなくていい。章ごとの笑いに集中すればいい。
個人的には、多くのお笑いキャラに『ノラと皇女と野良猫ハート』の影を濃く感じるし、いくつかのギャグは使い回しの疑いもある。ただ、前作をやっていない人も多いことを考えれば、いきなりこのゲームをやっても十分楽しいだろう。しかも『ノラと皇女と野良猫ハート』同様、このゲームも「異世界」の住人が地球に来て様々な衝突と珍事を引き起こすという構図だ。
俺にとってはあまりにもお馴染みのパターンだが、はとはこういうのが好きなんだろう。

ただ、彼が「これしか」書けなくならないことを願うばかりだ。
Kid Meets Love
脚本家はとは笑いを書くだけでなく、笑いの合間に「昇華」する内容を書くのも好きだ。最も多いのが「愛」について。俺が最も印象に残っているのは『ノラと皇女と野良猫ハート』アニメ版のOPで、歌詞もはとが書いている:
名前がないの? つけてあげる、お母さんからの宝物。
はとは「家庭」や「母性愛」といった素材を一度や二度書いているわけではない。『ノラと皇女と野良猫ハート』でも同様の要素が多く見られ、主人公に母がいない設定や、随所で音楽を流して親子愛・母性愛を煽る演出がある。このパターンは『マルコと銀河竜』でも再び登場し、一度ならずある。ただ、脚本自身も「母性愛」という点がちょっと無理があると気づいたのか、後半は銀河竜との友情に切り替えている。

しかし脚本のはとは時々「発作」を起こし、内容を抽象的な形に昇華して理解不能にすることがある。これが俺が最も嫌いな部分であり、『ノラと王女と野良猫ハート2』で最も不快に感じた点でもあり、俺が彼をファンからアンチに変えた理由だ。そしてこのゲームでも彼の悪い癖が出て、中盤から後半にかけて「神経刀」を振るい、宇宙人と地球人の間の様々な抽象的概念を描き出す。だが幸い、以前よりはかなり抑えられており、強いて言えば『銀魂』レベルの脳洞で、理解不能とまではいかない。

何より幸いなのは、このゲームのプレイ時間が短く、理解不能な断片はすぐに過ぎ去り、すぐに最終決戦がやってくるので、あまり不快な体験にはならないことだ。
Kid Meets Reality
はとはこのゲームで脚本だけでなく演出も担当し、監督のような役割も担っているらしい。ほぼプロデューサー的な立場だ。先に言ったように、はとはとても賢い人間で、「小さな金で大きな仕事をする」のが得意だ。これが『マルコと銀河竜』で俺が最も評価している点でもある。
エロゲーをあまりやらないプレイヤーは、このゲームを「制作が精巧」と感じるだろう。アニメがあり、大量のCGがあり、ミニゲームもあるからだ。伝統的なギャルゲーと比べれば、はるかにレベルが高い。もはや「予算爆発」しているようにすら見える。
しかし、ここがまさにはとの賢いところで、このゲームの制作費は一般的なエロゲーよりは多少高いかもしれないが、「予算爆発」には程遠い。

まず制作チームのTokyoToonについて。公式サイトを見ても業務内容はよくわからないが、個人的にはHARUKAZEの別ブランドではないかと推測している。「協力先」に任天堂や、コンシューマー機にギャルゲーを移植しているメーカーが名を連ねていることから、この会社は『ノラと皇女と野良猫ハート』のNS版移植を担当し、同作のアニメ制作も手掛けたとほぼ判断できる。一定のアニメ制作能力があることは明らかで、一般的なギャルゲーメーカーよりは裕福だが、ゲームメーカーとしてはかなり貧乏な部類だ。

そんな予算を前に、はとは『マルコと銀河竜』制作で多くの巧妙なテクニックを使った。ストーリーが単線アニメに近いため、全部アニメ化する予算はない。そこで「PPTアニメ」にして、様々なアニメスタイルの絵コンテや静止フレームで会話効果を生み出し、「漫画より上、アニメより下、しかし伝統的なギャルゲーよりは断然クール」という効果を出した。一般的なギャルゲーメーカーなら、この手法には大量のCGを描く必要がある。そこで制作陣はアニメチームに描かせた。よく見ると、ゲームのキャラ立ち絵とCGでは画風が違うことがわかる。CGはより「アニメ」寄りで、線がシンプルで、アニメ的な彩色だ。一方、キャラ立ち絵は伝統的なギャルゲー画風だ。

これが何を意味するか? このゲームの1000枚以上のCGを、すべて「アニメ制作の手法で」チームに任せられるということだ。具体的な費用を「北京金松林の有名絵師BBM」に聞いたところ、一枚の絵は背景込みで品質が良ければ500元人民元かかるかもしれないが、こうしたチームに外注して集団作業させればもっと安くなるという。ましてやゲームのCGには白黒画風も多く、コストはさらに削減できる。要するに、この手法は一般的なギャルゲーよりコストは高いが、「本物のアニメ」制作よりははるかに安く、このゲームが追求する効果にも合っている。

もちろん『マルコと銀河竜』には本物のアニメもいくつかある。ただしこれらのアニメは「特殊な画風」を採用しており、どこか『パワーパフガールズ』に似ている。この画風自体がそれほど精巧ではなく、作画も複雑ではないので、精巧なアニメよりずっとコストを抑えられる。むしろフレームレートを高くすることも可能だ。しかも多くの戦闘シーンは「二つの頭が追いかけ合って噛みつく」だけに簡略化されている。これもきっとはとの鬼才的主意だろう。金を節約しつつ、プレイヤーにダサいと思わせない。ただ、ゲーム最終ボスの戦闘ではやはり予算不足が露呈し、燃え上がらなかった。しかしここまでできれば十分立派だ。


ゲームにはミニゲームも二つ内蔵されている。もちろんこの二つ自体は非常にシンプルで、やり込み要素もない。しかしゲーム内に登場することでプレイヤーに「面白い」と感じさせる効果がある。これもまた小さな金で大きな仕事をした典型例だ。
Kid Meets World
『マルコと銀河竜』は日本で大きな批判を浴びた。中国市場ではわずか50数元(900円)で販売されているのに、日本市場では7000円以上するからだ。しかし俺は考えた。日本の多くの「小品ギャルゲー」は2000円で販売されており、Steam中国語圏でも50数元だ。日本国内と比べても2倍の価格差があるのに、誰も文句を言わない。それに『マルコと銀河竜』はそうした「小品作」よりはるかに太っ腹だ。この品質で5000〜7000円なら何の問題もないと思う。悪いのは中国圏と米国圏で安く売りすぎたことだろう。

だが忘れてはいけない。7000円の価格ならパッケージ版が買える。中には多くの特典があり、ゲーム未収録アニメを収録したBDもあるという。この価格も比較的妥当だ。
『マルコと銀河竜』は、ギャルゲーをあまりやったことのないプレイヤーを惹きつけ、「予算が燃えている」「誠意満点」「アニメみたい」と感じさせる。
実はこのゲームは本来、劇場版アニメになるはずだった。ただ予算が少なすぎて、こういう形になっただけだ。俺が感動したのはゲーム自体ではなく、その背後の制作人・はとだ。彼は様々な巧妙な手段で、「比較的安上がり」な方法で最大のゲーム効果を実現した。一人の人間を「有能」と呼ぶなら、彼こそそうだろう。

『マルコと銀河竜』のゲームシナリオ自体については、正直言って目立った亮点はない。はとの従来の「銀魂」と「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」の間を行くようなパターンで、目新しさはあまりない。それでも、やったゲームが少ない人や、『ノラと皇女と野良猫ハート』のスタイルが好きな人なら、このゲームは試す価値がある。
ただ正直なところ、はとがこのスタイルの「大を以て小を見る」物語を書き続けるのも悪くない。世界がどれほど広くても、冒険がどれほど複雑でも、道のりがどれほど険しくても、結局はKid Meets Worldの物語に過ぎないのだから。
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