『ATRI -My Dear Moments-』レビュー

世界末日のロマンス

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多くの創作で「世界の終わり」というテーマが好んで使われる。理由は自分でもよく分からないけど、たぶん「世界が滅んでもまだ君を愛してる」っていう感じがすごくロマンチックだから? あるいはみんな心のどこかに「廃土もの」への憧れがあるからかもしれない。

果てしなく続く荒野に、男女二人だけが残される。さまざまな廃墟の中をさまよいながら、人類が生き延びる意味を探す。たしかにこういうのはかなりクールに見える。

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でも使いすぎるとクールじゃなくなる。

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みんな分かってるけど、先行きの不透明さもあって、「世界の終わり」というテーマは何度も何度も引っ張り出されてきた。自分も終末の来り方を何度も考えたことがある。戦争かもしれないし、天災かもしれない。地球が数日で滅びる可能性も想像した。ハッカーかもしれないし、核弾頭かもしれない。

まさか2020年にウイルスがこんなスピードで世界中に広がるとは、誰が予想しただろう。

もしかしたら近い将来、世界は本当に一瞬で滅びに向かうかもしれない。未来の「世界の終わり」にどう向き合うか、そろそろ真剣に備えておくべきなのかもしれない。いつ来るかは分からないけど、その時人類はきっと二派に分かれる。残留派と逃亡派だ。

残留派は地球に残って守り、人類文明を再び興す。逃亡派は地球を脱出して新しい住処を探す。

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もちろん、地球をそのまま持って行っちゃう連中については評価しようがない。

最近、日本の大手・ソニーが音頭を取ってANIPLEX.exeというレーベルを立ち上げた。専門はエロゲー……おっと、違う、「テキストアドベンチャーゲーム」専門だ。その第一弾に「世界の終わり」ものがあって、それが今回取り上げる『ATRI -My Dear Moments-』である。

『ATRI -My Dear Moments-』の物語はシンプルだ。未来、地球温暖化で世界は海に沈む。主人公は身体障害で母を失い、天才としての信念も失い、高等教育機関への進学を諦めて故郷に戻り、自暴自棄になっていた。偶然、母の「補助ロボット」であるATRIを引き上げ、そのロボットの助けを借りて祖母の研究遺産を見つけ、信念を取り戻し、再び地球を救うために学び直すことを決意する——という話。

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この話の構造、どこかで見たことあるなあと思った。主人公の設定はどこかで見た気がする。後でゲームの「監督」がSCA自だと知って、納得した。このゲームの設定は「魔改造・簡略版」の『サクラノ詩』に近い。もちろん、批評空間のある小道消息によれば、もともとこのゲームは「SCA自」に書かせる予定だったらしいけど、彼の脚本が「頭おかしすぎた」か何かで予算の承認が下りず、最終的に紺野アスタに脚本を頼んで何とか通った、という話だ。つまり「SCA自」版は間違いなくかなりヤバい代物だったということでもある。「SCA自」は「監督」として名前は残っているから、ゲームの大枠は彼が決められたのかもしれない。

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まずゲーム本編の話。ソニー様のANIPLEX.exeが出資し、Frontwingと枕が共同制作——って、どう見てもFrontWingとPulltopの共同制作にしか見えないんだけど。この「枕」は「SCA自」が色彩設計と一部の彩色を担当している以外、特徴らしい特徴が見当たらない。編曲の松本文紀は確かに枕とずっと組んでいるけど、FrontWingともずっと組んでるし、ゲームエンジンはFrontWingのもの、多言語の自由切り替え対応もFrontWingがやった。脚本の紺野アスタはもうFrontWingに囲い込まれているけど、彼のゲームでの演出はPulltopのゲームにあまりにも近い。特にあの「ポップアップ式」の会話スタイルは、完全にPulltopにしか出せない味だ。ゲームの「大枠」がSCA自っぽいことと、絵師の基4の彩色がものすごくFrontWingっぽくて「枕」の匂いが全然しないこと以外は。あ、そういえば紺野アスタも枕と『向日葵の教会と長い夏休み』で組んだことがある。だからこの制作陣を見ると、売上を伸ばすために「SCA自」を無理やり名義にねじ込んで「FrontWing X 枕」にしただけなんじゃないかと疑ってしまう。中身はどう見ても「FrontWing X Pulltop」のゲームだ。

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もちろんプレイヤーにとって大事なのはゲーム自体の質で、制作がどこかは実はどうでもいい。全体として『ATRI -My Dear Moments-』はかなり質が高い。これまでのギャルゲーにあった退屈な「複数ヒロイン攻略」ルートを捨てて、本質的な「物語を語る」ことに回帰し、メインストーリーを高い次元に仕上げている。表向きは「主人公」とロボットの「ATRI」の感情の話だけど、実際にはその裏の複数の伏線がメインを支えている。主人公とATRIの恋、差別されて自信を失った過去、主人公自身の救済、母とATRIの関係、ATRIが母から主人公へと見てきた過去と心境の変化、ATRIの開発者たちの彼女への見方の変化、主人公の祖母による海上人工島「Eden」の建設、父のロケット打ち上げへの執着、沈んだ学校で再び発電機を建てようとする主人公、地球を救う夢を叶えるために自らを犠牲にしたATRI。こうした細かい伏線が脚本の構成で一つに融け合い、プレイヤーは脚本のリズムに乗って少しずつ物語に入り込み、最後はTrue Endの展開に心を動かされる。

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ゲームの最終的な結末は、一般的なギャルゲーでいうHappy Endではない。主人公はATRIと一緒にはならず、可哀想なサブヒロイン兼保険妻とも本当には愛し合わない。ただ、主人公がやるべきことを終えた後、臨終の前にATRIと再会する機会が与えられるだけ。この結末、自分はかなりいいと思う。人生は欠陥があるからこそ印象に残るのだ。

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『ATRI -My Dear Moments-』は普通のギャルゲーではない。ギャルゲーにありがちな毒要素をたくさん捨てている。「水菜萌」に無理やりルートを作ることもなければ、金髪ツインテールにIF攻略編を設定することもない。主人公がATRIと子供を作れるようなHappy Endをこじつけることもなければ、日常に水を注いで本筋と無関係なネタを大量に入れることもない。日常で触れる内容は多かれ少なかれ本筋と関係している(原子力発電、海底引き上げなど)。プレイ時間も長くなく、ビジュアルノベルの魅力を味わいやすい。これこそ自分たちが想像する「ギャルゲー」のあるべき姿だ。

ただ、やっぱり紺野アスタはエロゲーを書きすぎているせいか、「恋愛」の描写には「HCG」の挿入ポイントが見えてしまう……分かる人には分かる。

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プレイして感慨が多かった。もし大半のギャルゲーがこういう制作方針で、短くて濃いタイプを貫き、できるだけ多くのマルチプラットフォーム移植に進出すれば、「市場の縮小」なんて毎日嘆かなくて済むんじゃないだろうか。もちろん普通のギャルゲーメーカーにはとても真似できない。ソニーだからこそ金を突っ込めるのだ。

『ATRI -My Dear Moments-』は「どの面にも目立った短所がない」ゲームだ。世界の終わり風の、人間とロボットのロマンス。感動しつつ、ヒロインに「萌え」もさせられる。話はコンパクトで水増しも少ない。あのクソ猫ゲーとの違いは、たぶんエロ画像がないことくらいだ。

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もし一つのギャルゲーが外に飛び出して普通のプレイヤーに受け入れられるなら、自分はそれがATRIのようなタイプであってほしい。


P.S. ゲームの英語訳は中国語より、甚至は日本語原文より面白い。

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