『創作彼女の恋愛公式』レビュー

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2021年の初め、ギャルゲーを遊んでいて思わずこう呟いた。

「今年の序盤のゲーム、こんなにクソじゃ、下半期の大作しか今年の評価を救えねえだろ」

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そして下半期まで待った。伝説の「大作」がついに現れた。

『創作彼女の恋愛公式』

発表時はバフがてんこ盛りだった。「G線」の絵師、新島夕の専属プロデューサー、誰よりも恋愛を分かっていると豪語し、小品作の数々でLightを一年延命させたCampusの脚本、そしてAkabesoft2が本社最高のアシスト資源を投入。すべてがこのゲームに年末の一撃を託していた。

その後体験版が公開された。正直、体験版には鼻につくところもクソなところもあったが、全体としては悪くない出来だと思った。何より女二号の「桐葉」が目を引いた。上半期には絵師としてゲームのデバッグに参加していることを突っ込んでいたのに、下半期には主人公を繰り返しPUAするゲームのヒロインに変貌し、シナリオにハイライトを生み出していた。

だから発売を楽しみにしていた。そして年末、製品版が来た。攻略にシナリオロックがあると書かれているのを見て、嫌な予感がした。後に公開されたOPのタイトル「奇跡なんて、いらない」を見て、その予感は確信に変わった。

「まさか、このゲームまたクソみたいなことやってんじゃねえだろうな」

残念ながら、予感はまたも的中した。

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まずはこのゲームがどんな話かを説明しよう。

主人公は文章の才能に恵まれた人間で、子供の頃から小説を書き、少し名が知れていた。当時「逢桜」という女の子がいて、二人はよく物語や小説の書き方について語り合い、互いを「ライバル」と呼んでいた。

ここで思うのは、文化人ってのはやっぱヤバいなということ。俺が小学生の頃はゲーム機でカセットを借りて遊んでいたのに、主人公はもう小説を書いている。11区の韓寒と呼んでも過言ではない。

その後、主人公は自分が恋をしたと思い込み、勢いで「逢桜」に告白した。しかし相手は返事もせず、黙っていなくなった。おそらく振られたのだろう。恋を失い、仕事を得た主人公の執筆事業は飛躍し、それなりの名声を得た。だがすぐに創作の壁にぶち当たり、人の心を動かす物語がもう書けないと感じるようになった。日本人はこれを「スランプ」と呼ぶ。俺はこの言葉を見てしばらく固まった。意味がまったく分からなかったのだ。後で調べたら「slump」だった。slumpといえば株の暴落のことだと思っていたが、まさか日本人が「低迷」の意味でも使うとは。

そんなわけで主人公は新たな創作のインスピレーションを得てスランプを脱するため、「クリエイターの芸術学校」、要するに専門学校に入学する。そこにはクリエイターに特化した様々な学科があり、まさか「ライトノベル」科目まであった。

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この学校で主人公はあろうことか、幼馴染の「逢桜」と再会する。この時の逢桜もまた小さな作家として名を馳せ、恋愛小説を得意としていた。しかもその物語には特徴があり、刃物を飛ばすのが好きだった。

逢桜は主人公が今ダメになっている、スランプだ、滾っていないと聞き、どうにか立ち直らせようと毎日小説の書き方について語り合う。恋愛の仕方や、どう刃物を飛ばすか、などなど。しかし主人公の内心はというと、トイレットペーパー系の設定、つまり異世界転生やハーレムものをやりたい一心だった。ともあれ、最終的には学校の上の人間の友人がやっている会社の新作ギャルゲー開発に参加する仕事を勝ち取る。この新作ギャルゲーの企画、声優、原画はすべて学校から選抜され、主人公と逢桜は脚本として創作に携わることになる。

ここまでは良かった。だがその後、逢桜は突然留学すると言い出し、またも黙っていなくなった。主人公は見送りに行こうと駅まで送り、相手が発とうとした瞬間、逢桜は突然キスをして走り去った。それきり会うこともなく、連絡も途絶えた。

留学するならするでいい。旅立つ前にキスをしたのは、好きだけど言えないからかもしれない。主人公もそう思った。しかしそれから間もなく、地元の病院で逢桜を発見する。留学なんてしておらず、入院していたのだ。

病名を聞いて驚いた。なんと「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」、世界中でアイス・バケツ・チャレンジやスティーブン・ホーキングで知られるあの病気だ。絶対治らない病で、発症すれば止まらず、すぐに死に至る。

逢桜はこう打ち明ける。子供の頃に少し違和感があり、その後どんどん悪化してペンすら握れなくなった。死ぬ前に主人公に迷惑をかけ、悪い印象を残したくなかったから留学したと言い、病院で静かに死ぬつもりだったと。

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主人公はもちろん彼女が死ぬのを見過ごせない。しかし他に手もなく、毎日会いに行って適当に話すことしかできない。逢桜は学校でのギャルゲー企画の物語がまだ書き終わっていないと言い、死ぬ前に書き上げると決意する。主人公はそれを励ました。書き進めるうちにALSは末期になり、ペンどころか筆も持てなくなり、口述で主人公に書かせる。そしてゲームは完成し、逢桜は息を引き取った。ゲームは発売され、主人公と逢桜の愉快な仲間たちは昇天した彼女を偲び、ゲームは終わる。

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これがゲームのメインストーリーだ。物語を書くのが好きな女の子がALSを患い、死ぬ前に斜陽産業となったギャルゲーを制作してこの世を去る話。

このメインストーリーにはツッコミどころが山ほどある。だがその前に、他のヒロイン√について話そう。

逢桜以外に、月見坂桐葉、エリーナ、ゆめみの三人の√がある。共通√では主人公が学校や生活の中で彼女たちと交流し、やがて全員が学校が請け負うギャルゲー開発企画に参加して一緒に働く。逢桜がキスをして去った後、主人公が最初に誰に電話するかで√が分岐する。その後の物語は基本的に独立していて、逢桜とはほとんど関係ない……

ゆめみは主人公の従妹で、主人公と同居している。金髪美少女キャラを描くのが好きな絵師を自称し、イベント参加のためによく依頼を受けて稼いでいる。重度の社交恐怖症だ。ある日、創作の壁にぶち当たり、男の息子の描き方が分からなくなったので、主人公を呼んで脱がせて息子を見せてもらう。主人公はそれに従った。二人は息子を共有した関係のおかげで、すぐにいい仲になる。その後、主人公はこの色魔従妹が絵師としてはなかなかの腕前だが、実は絵を描くのがそれほど好きではないことを知る。人付き合いが嫌いで、絵を描くことで生活から逃げているだけだった。そこで主人公は自分の息子でリア充の良さを教え、絵を描く自信を取り戻させる。より多くのエロ画像を描いて主人公に好きになってもらおうとする。二人はそうして補完し合う兄妹カップルになった。

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エリーナの√はもっとキテレツだ。数回会っただけで突然主人公に求愛攻撃を仕掛け、主人公は耐えきれずに承諾する。エリーナの正体は、主人公がかつて好きだった「人生観を変えられる」あるエロゲーのメイン脚本家だった。今のX(旧Twitter)のオタクが巨乳の姉ちゃんに「私が麻枝准よ」と言われるようなものだ。エリーナは自分は創作の天才で、適当に書いてもめちゃくちゃすごい物語が書ける、自分でも悩んでいる、なぜなら自分がすごすぎて退屈だから、と語る。このマウンティングに主人公はemoり、二人の関係は気まずいものになる。一人は静かにイキり、一人は静かにクリティカルヒットを食らう。最後はエリーナの姉の介入で関係が改善する。なぜエリーナが突然イキらなくなったのかは分からないが、脚本が「天才と凡人の劣等感」のような物語を書こうとして書けなくなり、とりあえず主人公とヒロインを適当にヤらせて終わらせたのだろう。

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月見坂桐葉の√はややまともだ。彼女の正体は若手の女性声優で、主人公はちょうどその声優のファンだった。学校で早々に見破り、桐葉はストレートに主人公に「私の彼氏になってみない?」と相談する。これには主人公も爆発する。小倉唯や水瀬いのりや石原夏織が突然告白してきたようなものだ。主人公は二つ返事で承諾するが、すぐに自分の彼女がおかしいことに気づく。付き合っているのにキスもあまりしないし、エッチもない。まったくカップルらしくない。最後に桐葉は、最近恋人の役を演じる仕事があり、その練習相手として主人公を利用しているだけだと白状する。

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主人公も愚かにも二度目の恋愛を終わらせる(一度目は逢桜)。その後も二人はよく会うが、どこか気まずい。やがて桐葉も、この主人公はキープとしてはなかなか悪くない、彼氏に昇格する潜在能力があると静かに思い始め、どんどん一緒にいる時間が増える。その後、桐葉は再び主人公に、彼氏役を続けて実家に帰り両親に会ってほしいと頼む。理由は簡単で、両親が声優の仕事をあまり支持しておらず、早く帰って家の温泉旅館を継いでほしいと思っているからだ。桐葉は明らかに旅館の女将になりたくないので、両親と喧嘩して都会に出て声優として独立した。今回は実家に帰り、自分がどれだけすごくなったか、彼氏もいるし仕事も軌道に乗ったと見せたいのだ。両親は卒業まで声優をやるということしか許していなかったが、これからも続けたいと願っている。

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しかし帰省して対峙してすぐ、両親に詰められてしまう。桐葉は両親が声優業界を理解せず、ただ抵抗しているだけだと思っていた。だが両親は理解しているどころか、非常によく知っていた。桐葉の父親はこう指摘する。声優は若い頃の仕事だ。今はうまくいっていても、将来もっと若い娘がもっとうまくやるようになる。あっという間に若い娘に追い抜かれ仕事がなくなる。声優は一時的なもので、女将として実業をやるのが永遠だと……

桐葉の父親の言う通りだと俺が思っていると、主人公が「夢」だの「希望」だの「努力」だのを口にし始める。要するに口先だけの演説で、桐葉の老父を彼のホラ話に信じ込ませた。主人公があまりにイキりすぎて、老父は娘がとんでもない政治家に嫁いだと思ったのかもしれない。老父はこう言った。桐葉を夢を追わせよう。もし将来本当にやっていけなくなったら実家に戻ればいい。実業会社の社長の座は永遠に彼女のために取ってある、と。

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両親の支持を得た桐葉はすぐに主人公の口車に乗り、二人は本当のカップルになる。その後、桐葉の声優事業は父親の言葉通りになる。自分はもう古い声優で、次々と現れる後輩たちに競争力はなく、倍努力して地位を保つしかない。あまりに激務で一時声が出なくなり、最後は主人公の支えで乗り越え、人生の価値を実現し、声優賞を受賞する。


『創作彼女の恋愛公式』というゲームについて、俺の評価は複雑だ。

まず「ハード面」は素晴らしい。有葉の絵は当時の「G線」から目に見えて進化している。音楽は特に光るところはないが、少なくとも水準は満たしていて、Akabesoftシリーズの平均レベルだ。声優は、まあ良い。個人的には王さんが演じる桐葉が好きだ。近年では珍しい良いキャラクターだ。

一方、物語については罵倒する人も多いだろう。多くの人がヒロインのALSによる突然の死を受け入れられない。共通√では元気だったのに、個別√に入った途端、前触れもなく絶症で死ぬと言い出し、突然刃物を飛ばしてきてプレイヤーを気持ち悪くさせる、と。

この点には俺は賛同しない。ヒロインの身体の問題は随所に示唆されているからだ。

  • ゲームのOP「奇跡なんていらない」は、悲劇の結末を意味する
  • ヒロインはよく生死を見透かしたようなことを言う。これは完全に「私は死ぬ」と書いてある
  • ヒロインは疲れやすいと言っていた。これも暗示だ

一般的に、ギャルゲーのヒロインが「生死を達観している」と言った時点で、絶症の可能性が高い証拠だ。

逢桜の死に不合理な点があるとすれば、脚本が「ALS」という病について無知なことだ。以前ツッコんだ様々な「絶症ゲー」と同じく、ヒロインの逢桜はALS末期なのにまだ口が達者で、疲れも知らず、俺より元気に生きている。とても死にそうには見えない。脚本がALSの実際の発症症状をほとんど調べていない証拠だ。こうした内容は、日本の資料はもちろん、インターネットの情報が混沌としている中国でも、Yahoo!知恵袋でいくらでも詳しい情報が見つかる。調べもせず適当に書くのは脚本の不責任だ。

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「ALS」というタグを除けば、このゲーム最大の問題は脚本が明らかな「自己陶酔」に陥っていることだ。脚本は「クリエイター」という職業を高めたいらしい。ゲームの各主人公にはそれぞれ役割があり、声優もいれば絵師もいればライトノベルを書く者もいればエロゲーを書く者もいる。しかし脚本の工藤啓介は彼らを強引に「Creator」クリエイターと概括したがる。やたらと「クリエイターとして」と口にする。クリエイターとして、己の内容を「一生懸命」创作しなければならない。つまり、人の心を動かす作品を生み出すためには命を懸けても構わない、と。

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こうしたロマン主義的な創作観は、商業主義が色濃い日本ではほぼ見られない。多くの人は日本の「職人精神」を賛美するが、日本の職人がいる場所には高い費用がついてくる。職人たちよ、金を稼ぐなと言えるのか。結局は職人という言葉で商業的価値を高めているだけで、すべては商売だ。

完璧な作品のために命を懸ける人がいないわけではないが、ごく稀で、より高雅な芸術、たとえば音楽や美術、演劇の舞台などに多い。ライトノベルのトイレットペーパーやギャルゲーのために命を懸けるなど到底想像できない。熱狂的な「クリエイター」たちは、こうした色を売り物にする商業作品を「芸術的創作」とは認めないだろう。

このゲームを通じて理解できるのは、脚本の工藤啓介自身がエロゲーを書いており、自分の創作内容を「芸術」であり「AVのようなポルノ」ではないと思っていることだ。この作品に私物を持ち込み、アニメやゲームに声を当て、大尺度の性癖エロ画像を描き、エロ要素満載のライトノベルやギャルゲーを作ることが実は芸術表現でもあると感じさせようとしている。そして多くのキャラクターを創造し、この「芸術」のために自らを犠牲にする。もちろんこうした創作への情熱を表現することが不可能なわけではない。どんな世界にも成功者はいる。日本の『全裸監督』はそうしたクリエイターを讃える作品だ。だが明らかに『創作彼女の恋愛公式』にはそれができない。ますます媚びるACG自体が商業化の産物であるのに、脚本は商業化の波の中で必死に生き残るクリエイターの堅持や奮闘を描こうともせず、描かれるのは白蓮の花のような頑固さと自己清高だけ。プレイヤーの共鳴を呼ぶことはできず、残るのは感傷だけだ。

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脚本はおめでたくも、ヒロインが創作のせいで苦しめばプレイヤーが憐憫と共感を抱くと思っている。桐葉に声優のために声を失わせ、ゆめみにエロ画像を描くことでコンプレックスを抱かせ、エリーナに抜きゲーの脚本を書くことで苦しませ、はてはオタクの涙を騙すために逢桜に物語を書くことで命を失わせる。これらのキャラクターは苦しみながらも、商業ポルノ創作への追求を諦めない。なんて偉大なんだ!

偉大なわけねえだろ。芸術のために犠牲になるギャルゲーの展開は誰も書いたことがないわけではない。昨年の『冥契』でも書かれていた。しかしあれは舞台であり、演劇であり、高雅な芸術であって、売上を伸ばすために特典にエロ画像を付け続ける成人商品ではない。

要するに、ギャルゲーは一部の優れた作品で「芸術」の輝きを見せることはあっても、本質的には下九流の成人向け作品だ。あまり自分を大きく見るな。


本ゲームの商業稿件は『二次元狂熱』153号に掲載予定:店舗アドレス

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