『アンレス・テルミナリア』レビュー
「知恵遅れ」と「哲学者」
何年も前、Google+ がまだ閉鎖していなかった頃、ある親切なネット友達が言っていた。彼が最も嫌いなのは、一部の「アニメ・ゲーム」作品のキャラクターが発するあるセリフで、それが口から出た瞬間に、その作品はクソだと無意識に思ってしまうのだと。
「人間なんて~そんなものだよ」
最初はその考えが理解できなかった。しかし、その後ギャルゲーをどんどんプレイし、いわゆる「神ゲー」に触れるうちに、こうした口を開けば「人間とは……」と語るキャラクターのことが……
マジでムカつくんだよ!
一番嫌なのはそのセリフそのものではなく、話し方の口調だ。高高在上で、自分も「人間」なのに常に神の視点で人類を批判する。自嘲しているのかと思えば、その清廉ぶりはそうは見えない。さらに嫌なのは、その行動が「文句は言うけど解決策は出さない」厄介な奴そのものだということ。たとえば、そういうキャラは決まって神経質に人類の醜さや自己中心性や愚かさをブツブツと呟きながら、自分も同じように醜く、自己中心的で、愚かな行いをしている。しかも真善美を訴えるわけでもなく、自分の愚行の言い訳を探しているように見えるだけで、本当に批判しているわけではない。
しかし、不思議なことにこうしたクソキャラがギャルゲー市場ではやたらと歓迎される。脚本がそういうキャラを作り出せば、大勢のプレイヤーが絶賛し、こぞって飛びつき、「神ゲー」のレッテルを貼る。俺に言わせれば「神ゲー」というより「神棍ゲー」と呼ぶ方がふさわしい。年齢を重ねるにつれ、こうした「キャラ」がウケる理由もわかってきた。作品のターゲット層によって決まるのだ。
ギャルゲーのプレイヤーの多くは学生か、社会に出たばかりで世間からずれている、ちょっと中二病な連中で、しばしば言葉にできない「清廉感」を抱えている。もしあるゲームがその「清廉感」にちょうど迎合すれば、中二病の治らないオタクたちが「ヤバい」と叫ぶのは当然だ。
正直、こうした「人類分析文学」的な内容自体には意見はない。歴史上多くの哲学者や魯迅も同じようなことを言っている。ただ、それが「神ギャル」の標準装備になると、ちょっと退屈に感じる。
その結果どうなるかというと、ある会社が「ストーリー評価が高い」ギャルゲーを出そうとすると、真っ先に思い浮かぶのは、いかにして「中二病スタイル」満載のイキった話を語るか、ということになる。多重パラレルワールド、タイムリープとループ、希望と絶望、人生と未来、などなど。会話にはできるだけ「雑学」や「深い哲学的ネタ」を織り交ぜて「中二濃度」を高める。こうして「プレイヤーに反省を促し、ギャルゲーマーの人生を変える『神ゲー』」が誕生するわけだ。
しかし、この手は10年前ならまだ通用したかもしれないが、今では「売上トラップ」になっている。すべての脚本が破綻しない話を書けるわけではない。時にはまともな学園恋愛ものを書けばいいのに、「世界の陰謀」とかを持ち出す必要はまったくない。挙句の果てにほとんどが虎を描いて犬に類する結果になる。
今回の『アンレス・テルミナリア』がまさにそうだ。

Whirlpool の昨年の『Pieces』シリーズはなかなかの作品だった。共通ルートは無駄話が多すぎたが、最終的な True End はそれなりに意味があった。後の Fandisk もストーリーをいくらか補完していたが、俺としては蛇足だと感じている。
今年の Whirlpool 15周年記念作品として、『アンレス・テルミナリア』は『Pieces』とほぼ同じ制作陣を揃えている。夏和小がいないのは残念だが、少なくとも北大路雪がいる。ゲームのストーリーも「サスペンス路線」に挑戦しており、架空の仮想学園で、様々な特殊な「能力」や「罪」を持つ人々の生活を描いている。
ゲームの設定では、主人公の記憶に問題があり、毎日一、二つのことしか覚えられず、他は忘れてしまう。だから毎日起きると日記を読んで前の記憶を探し、新しい一日を始める。そして主人公が通う学校は、そうした「特殊な能力と欠陥」を持つ子供たちを専門に収容する場所で、センターのヒロイン「御厨恋」も同じだ。彼女は自分がもうすぐ死ぬと言うが、なぜ死ぬのかは説明しない。その後、彼女の「特殊能力」が爆発を引き起こし、すさまじい破壊力を見せつける。すると学校の校長・石原舞が現れ、「御厨恋」は世界に殺されると宣言する……
そしてゲームは俺には理解できない方向へ進んでいく……

はっきり言うと、このゲームは最終 True End まで進むまで、何を言っているのかまったくわからなかった。
ゲームのストーリーは二つの部分に分かれている。一つは学園日常、もう一つはストーリーの核心に触れる内容だ。
まず学園日常について。あまりに低能だ。特に低能な展開で、ギャグも笑いも福利もない。この日常を100点満点で採点するなら、せいぜい10点。そのうち5点は北大路雪の無脳な萌えに対するものだ。しかもこの日常がやたら長い。人生を疑うほど長い。今ならゲームの日常パートは「無駄時間」だと言い切れる。
核心に触れる内容は、今流行りの言葉で言えば「謎語り」だ。ほとんどのNPCが出てきて「世界の真実」について何かを告げるが、決して明言しない。代名詞ばかり使い、「あれ、あのこ」ばかりで、誰なのかを教えず、ストーリーを一切進めない。しかも毎回二言だけ言って後が続かない。見ていてじれったい。『原神』の有名な謎語り大バカ「ダイソレイブ」よりも謎語りだ。伏線やサスペンスのあるゲームは見たことがあるが、共通ルート全部が謎語りだけのゲームは初めてだ。本当に目が開いたわ。

確かに個別ルートを通せば、ある緑髪の奴が猫憑きだとか、ある大主教が本当に大主教だとか、ある死神が本当に死神だとかはわかる。しかし、これらの寄せ集めの設定がどう繋がっているのかは、まったくわからない。最初は興味があったが、脚本が謎語りを続けるうちに、もう落ち着いた。謎語りしていいよ、こっちはCtrl押すから。
そして最後のTrue Endで、ゲームのいわゆる「真相」が明かされた時、久しぶりのメンタル崩壊感に深く陥り、抜け出せなくなった。
なぜ、なぜこんなに時間をかけて、こんなクソみたいな話を見なければならなかったのか?

いわゆる「世界の真相」とは、この世界自体が架空のもので、この学校の「校長」が作り出した「人類行動観察室」だということ。その「校長」とは誰か? CVが真相を教えてくれる。前作『Pieces』のあの「天使」だ。
その「天使」は「人間の最も崇高なもの」を探すために、夢で動く世界を創造した。そしてここでは、「Gift」によって動く新世界を作り、傍観者として、Giftの力に影響された人間たちがどんな遊びをするかを見たかったのだ……

主人公の「毎日一、二つのことしか記憶できない」能力は記憶喪失ではなく、一種の「選択」だ。主人公が記憶することを選んだものが世界の真実となり、忘れたものは世界から消去される。
だから「御厨恋」は本来死んでいるはずだったが、主人公が彼女を「選択」したため、生存状態を保ち、主人公と恋愛し、エッチできる……

最終的な結末は、例の「天使」が遊び飽きて、主人公に権限を委ね、主人公と「御厨恋」を一緒にさせ、天使自身は逃げ出した。おそらく新たな世界を作って遊ぶのだろう……
他のヒロインたちは、生き残るために必死で、決定権を持つ「世界の核心」である主人公を守る。この世界は天使にとってはただの玩具だが、他のヒロインたちにとってはすべてなのだ。

「一人の天使が暇つぶしに世界を作って観察していたが、飽きたので撤収した」というのが、このゲームの大体の話だ。以前の『Pieces』と似ているが、異なるのは、この天使が作った世界には面白い話がないことだ。
先に述べた通り、このゲームは「奇妙な循環」に陥っている。脚本は前作『Pieces』が成功しすぎたと思い、再現しようとして似た設定にしたが、前作の成功が夢と現実での再会にあり、「天使が世界を作る」ゲームではないことを見落としている。脚本はあまりに焦ってゲームの「イキり」と「含蓄」を演出しようとしたため、サスペンスを盛り上げる時に「人語を話さず」、謎だらけで意味不明になっている。これでゲームのレベルが上がると思っているが、共通ルートの日常がすでに脚本の文学性とストーリーテリング能力の低さを露呈している。考えてみてほしい。日常会話すら味を出せない人間が、まともな深いストーリーを書けるはずがない。脚本の自己満足にすぎないだろう。
だからこのゲームはストーリー上、極めて分裂した存在になっている。日常パートは非常に低能で、ほとんどの萌えゲーよりも低能。一方、ストーリーパートは高尚に見え、宗教的な「ネタ」満載。タイトルの「Terminalia」もローマの祭日で、「境界の神」を記念するものだ。ゲーム内の学校の校長像も、この言葉の暗示する意味を裏付けている。その像の姿がローマの「テルミヌス神」とほぼ一致しているからだ。


しかし、ネタや宗教雑学が多くてもどうなる? True End がもたらす非常にクソな落差感を変えられるのか? さんざん隠していた世界の真相が、最後には退屈な創造主の冗談だったのか?
しかも、石原舞が演じる天使があんなにイキっていて、しかもヤれないなんて、筋が通るか? Fuck Angel が一部の宗教信者を怒らせるのが怖いのか?
特に石原舞の「人間なんて」「あのこ」というセリフは、何度も聞いていると画面に飛び込んでぶん殴りたくなる。冒頭で言った感覚もますます理解できる。
結局、『アンレス・テルミナリア』をどう評価するか? 俺の意見は「やる価値なし」。時間を無駄にする価値は皆無だ。『ドラえもん のび太の創世日記』でも見た方がよほど意味がある。このゲームは、非常に不自然でありながら奇妙に調和した形で、「知恵遅れ」と「哲学」という水と油の二つを混ぜ合わせている。共通ルートを見るとIQがゼロになった気がし、True Endを見ると脳がアップグレードした気がする。変わらないのは、ゲーム終了後には愚弄されたと感じることだ。おそらく本当に知性を捨てた奴だけが、このゲームを楽しめるのだろう。

というか、俺はこのゲームが嫌いというより、あの「謎語り」のような語り方が嫌いなのだ。2022年にもなって、10年前のやり方はとっくに流行らない。言葉はちゃんと言おう。語り能力を「隠すこと」で高めようとするなら、それは後でどうでっち上げるかまだ考えていないから時間稼ぎをしているか、そもそもいい話を書く能力がなくて、ただのクソ野郎かのどちらかだ。
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