『1/1 彼式彼女』レビュー
1/1 彼式彼女:画風以外何も変わってない
SMEEの新作のビジュアルが去年の年末、誰かから送られてきた。
一目見た瞬間の感想は「これは偽物だろ」だった。理由は簡単。
クソほどダサい!
しかもこんなにダサい絵なのに、よりによって「スタッフそのまま」で絵師も変わっておらず、相変わらずの「谷山さん」だという。ずっと前からこの「谷山さん」は一人ではなくチームの総称だという噂はあった。だが誰だって分かるだろ、「人は上を目指す」ってやつで、絵を描くことを生業にしている人間なら上手くなる一方のはずなのに、なんで逆にどんどん落ちてくんだよ!!

この奇妙な画風はさておき、設定自体はなかなか面白い。ヒロイン全員の年齢がバラバラで、「学生時代」から「社畜」、そして「社会人」までを横断する恋愛物語を語るという。主人公が異なる時期に異なるヒロインと付き合うわけで、これには一気に青春文学の匂いを感じた。特に『草様年華』的な感じがして、いつかこのゲームをやってみようと決めた。
発売後、まだプレイする前に日本の評判を覗いてみたら、一瞬で固まった。
「相変わらずのSMEEだな。」 「SMEEも方向転換するのかと思ったら、やっぱり伝統の味か。」
「終わった」と思って慌ててゲームを開き、感想を味わった後、同じ言葉を口にせざるを得なかった。「SMEEはやっぱりSMEEだ!」

まずゲームのシナリオ構造から。主人公は学生時代からスタートし、まずヒロイン1号「藤ヶ谷えいみ」と知り合うチャンスがある。きっかけは彼女の親友の縁談を手伝うこと。もし学生時代に彼女との会話を諦めれば、物語は一瞬で社会人になった主人公へ移る。仕事で家庭教師のバイトを紹介され、引き受ければヒロイン2号「清宮千津」と知り合う。断っても社長令嬢、いわば「フランス版東雪蓮」こと「コレット・カルリーニ」と会社で出会える。この二人も見向きもしなければ、時間は再び進み、三十路目前の主人公がお見合いを紹介され、喫茶店の女店長「泉多恵子」と知性派お姉さんとのお見合いが始まる。これも見向きもしなければ、孤独死エンド……
というわけで、この選択分岐の設定はおなじみの「途中下車」型。最初を選ばなければ次へ進む。ただ、このゲームの最初の企画と宣伝を思い返すと、非常におかしいと感じる。
ゲームの宣伝文句は何だったか。「真実の愛は一度だけ。」だからプレイヤーは主人公になって人生の三つの異なる時期に真実の愛を探す。だがこのゲームのやり方はあまりにもアホだ。例えばヒロイン1号、最初に縁談を手伝うか聞かれる。断れば即スキップ、めちゃくちゃ安っぽいBGMとモノクロのフェードで「お前はもう大人になって社畜になった」と告げられる……

だったら最初から「社畜」段階から始めればいいじゃないか。しかも三十歳でお見合いする知性派お姉さんと会いたければ、他の全員を断り続け、ゲームが延々とあのクソみたいなBGMとモノクロ切り替えで「あっという間にお前は大人になった」と告げるのを見続けなければならない。いわゆる「真実の愛」に出会うまで。
しかもSMEEはこの画期的な設定に自分たちで酔いしれているらしく、公式サイトで宣伝しまくっている。主人公の若い頃の部屋の背景はこう、中学時代の駅はこう、十年後の同じ場所はこう、と。「桑田変じて滄海となる」「時は流れる」的な歳月感を演出できるとでも言いたげだ。
だが歳月感を味わう前提は何か。経験だ。このゲーム、ヒロイン1号を断れば学生時代のシナリオは丸ごとなくなる。逆に選べば、後の社畜編はそもそも来ない。ゲームはそのままENDだ。じゃあこの「時は流れる」演出は誰に見せるためのもの? 二周目プレイヤーに?
SMEEのこの設定自体は悪くない。主人公が中学、仕事、お見合いと一連の人生を経験し、最後にふさわしい伴侶を選ぶ、みたいな作品は十分作れる。「歳月」と「青春」の核心は「愛したこと」にある。主人公が愛してすれ違った人、歳月の流れを見ながら再び懐かしむ。それこそが心の柔らかい部分に触れる。この「すれ違った愛」こそ、ほとんどの感動的なラブソングの主旋律であり、大半のキャンパス青春文学の競争力の核だ。むしろこのゲームにはTRUE ENDがあって、主人公が様々な女性と出会い恋をして別れ、最終的に本当に自分に合う相手と出会い生涯を共にする、くらいあっていいとすら思う。

だが明らかに、日本のオタクはギャルゲーで「別れる」ことを許さない。だからこのゲームはこんな奇妙な形に妥協してしまった。一本道に見えて、実態は「寄せ集め」。SMEEの過去作のヒロインの大半をかき集め、どの話も既視感だらけ。しかも主人公の性格がちぐはぐで、例えば社畜の時には学生時代のことを完全に忘れているようで、三十路のお見合いでは社畜時代のことを一切語らない……だからこのゲームはひどく分裂している。
はっきり言えば、このゲームは過去のSMEE作品から年齢の異なる四人のヒロインのルートを選び、ネタを少し混ぜて適当に書いて、寄せ集めたものだ。話と話の間に関連はなく、主人公すら名前以外はまったく別人だ。
物議を醸した画風、最初は絵師が変わったのかと思ったが、中のCGを見て、はっきりと元の谷山さんの味だと分かった。あの落ちぶれた味は他人には真似できない。表紙の錯覚は彩色方法が変わっただけ。キャラの顔の輪郭は一部のHCGではホラー級に達している。つまりこの表紙は、SMEEがプレイヤーに示した最大限の優しさだったのだ。
ついでに言えば、背景とBGMは相変わらずのコスト削減っぷりで、『Pure X Connect』からの使い回しを何枚も見た。このゲーム、SMEEがどこかの企画でお蔵入りになったネタと話を端材として寄せ集めて作ったんじゃないかとすら疑う。どう宣伝しようが、行き着く先は分裂した四人のヒロインとネタ中心の「モジュール化」された話だ。もっと皮肉なことに、『Pure X Connect』のHDリマスター版が出たのでまたプレイしてみたら、ほぼ7年前のゲームの方が今のSMEEの新作よりよほど戦える。SMEEは7年経っても、書く話もネタも以前より劣っている。ましてやキャラの作画は論外で、谷山さんと雨夾雪は根本的にレベルが違う……

近年SMEEとHookは新作を出すたびに大々的にマーケティングをやり、新しい設定、新しい遊び、新しいパターン、どう革新的だと騒ぐ。プロデューサーは雑誌インタビューで、この作品がどうプレイヤーの意見を取り入れたか、どう恋愛の甘さを強調したか、どう変わったかを大言壮語する……
だが実際にプレイすると全部ハッタリで、いつも通り中身は変わらず、万年不変の「共通1-2-3-4-5-6」と「個別編1-2-3-4-5-6-7-8」。ネタ師が支える話の面白さ以外に、SMEEとHOOKには何が残る? まさかSMEEのゲームをオナニーのために開く奴がいるわけないよな? いないよな?
总而言之,SMEEはやっぱりSMEE。相変わらずのパターンで、相変わらずの「高凝集・低結合」なシナリオ。今回の「男女対対碰 1/1」は、タイトルの意味すら考える気になれない。こういう話に興味があるなら、SMEEの初期作品を勧める。近年のSMEE作品は、画風が変わった以外何も変わってない。相変わらずの落ちぶれっぷりだ。
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