『保健室のセンセーとゴスロリの校医』レビュー
『保健室のセンセーとシャボン玉中毒の助手』というゲームは、2020年末に発売された。当時の感想はただただ惜しいという一言に尽きる。内容に明らかな欠落があるのが一目でわかるからだ。共通ルートはあれだけ長く、引っ張り出したキャラもあれだけ多いのに、最終的なシナリオはヒロイン一人分しか用意されていない。他のキャラはまるでモブ同然だ……。
このゲームは半端な作りで端材を寄せ集めただけの状態で慌てて売り出したんじゃないか、と思っていたら、なんと2022年になって続編が出た。
『保健室のセンセーとゴスロリの校医』
そこでようやく気づいた。なんだ、このゲームも分巻発売だったのか。ただ会社が金欠すぎて、第二巻がまるまる二年近くも延びていただけだったのだ。

正直、この巻の主役であるオトヒメには興味が持てなかった。CVが卯音おばさんなのはともかく、このキャラは元の話の時点でやたらイキっていたし、その過去を知りたいとも思わなかった。そもそもこのゲーム最大の売りはヒロインのロリのはずで、そのロリの話はもう第一巻で語り終えている。その後の話をしても何の意味があるんだろうか。
まあ暇だったのでプレイしたわけだが、終わってみるとどうだろう。思っていたより複雑で重いゲームだった。
ゲームは二部構成になっていて、第一部は実質的に元の共通ルートの補足だ。相変わらず主人公とその魂人であるロリとの楽しい学園生活を描いている。内容そのものに特別なものはないし、結構なボリュームもある。共通ルートの最後で主人公は、学園内に攻撃的な「魂人」が大量に出現していることを知る。その「魂人」たちには明確な攻撃目標があり、まるで誰かに率いられているかのようだった。

やがて主人公が探りを入れた末にようやく判明する。黒幕はオトヒメだった。彼女は自らのアイヌ民族の消滅と、死んでいった無念の魂のために復讐を企てていた。主人公はすかさず現れ、ありったけの口先と対決を繰り広げ、ついにオトヒメの復讐心を折ることに成功する。そして彼の専用肉便器としておとなしく生きることを選び、この章は幕を閉じる。
マクロに見れば単純な話だが、この物語には深みがある。鍵となるのはオトヒメの出自である「アイヌ族」だ。

アイヌ族は日本の北海道に由来する少数民族で、一部にロシア系の血も引いている。長い歴史の中でアイヌ族は「和人」による文化侵略を受け、さらに13世紀以降は日本本土の大和民族によるジェノサイドに遭い、強力な同化政策を強いられた。「大和民族の指導者はアイヌ族の風俗習慣を強制的に変えさせ、髭を剃らせ、髪をきれいに結わせ、和服を着せ、日本式に改名させた。1904年に至っては、アイヌ族は母語を放棄して日本語を学ぶことを余儀なくされ、日本名を名乗らされ、動物の生贄や刺青といった伝統的な宗教的習俗をやめるよう命じられた。

このゲームの背景はまさにその残虐な時代にある。オトヒメの本来の身分はアイヌ族の神カムイ(現在の日本語では往々にして「神威」と訳される)だった。しかし民族の衰退と日露戦争の激化により、カムイとしての彼女は極めて微妙な立場に追い込まれる。民族そのものが抑圧と文化的な弱さによって徐々に滅びへと向かう中、カムイであるオトヒメの未来もまた危うく、民族の存亡のために生贄にされる可能性すらあった。

そこに別のキャラが現れる。ポーランド出身のロシアのスパイだ。日露戦争の前線兵士としてオトヒメの前に姿を現す。最初はオトヒメも拒絶し、日本と戦うため自分を説得に来た敵だと決めつけていた。しかし言葉を交わすうちに、次第にその人物に好意を抱くようになる。このポーランド人はロシアを代表していながら、内心では戦争に熱狂しているわけではなかった。彼女が説くのは精神的な自由と愛であり、その愛は国家、民族、世界を超えている。そして未熟なオトヒメは次第にその影響を受け、二人の間には愛なのか憎しみなのかわからない、奇妙で微妙な感情が芽生えていく。やがて二人が歴史の歯車の中で命を落とした後、魂人となったオトヒメは最愛のポーランド人の装いを継ぎ、今の場所まで流れ着いたのだった。

オトヒメはすでに魂人となり、強大な力も手に入れていた。しかし心の奥底にはアイヌ族への憎しみが刻まれており、密かにかつて死んだアイヌ族の亡魂を集め、復讐の準備を進めていた。もちろん結果は前述の通り、主人公に阻まれる。
シリーズ第二巻である本作の最大の見どころは、やはりシナリオの第二部、アイヌ族と「和人」の歴史だろう。スクリプトが日本の「和人」によるアイヌ族へのジェノサイドを明確に意識し、その重い歴史を書き出したことがわかる。ただ、こうした見解は日本の主流ではないようで、たとえば最近某傘のゲームでのアイヌ族の描写はそこまで踏み込んでおらず、アイヌ族が文化の弱さゆえに多数派民族に徐々に同化されていった、という程度の説明だった。
民族間の融合や文化侵略についても、本作ではいくつか描写がある。アイヌ族のカムイ、つまり指導者である立場。アイヌ族はすでに近代化を受け入れた「和人」の前ではまったく分が悪い。いわゆる「民族の自我」も、所詮は血生臭い野蛮な習俗に過ぎない。アイヌ族の服装や風俗を尊重するのは構わないが、現代社会で本当にそんな原住民のような格好をして大通りを歩けば、やはり目障りに感じられるだろう。ましてアイヌ族には「生贄を捧げる」などという文化まである。現代社会では到底受け入れられない。

「和人」によるアイヌ族の同化は当初こそ強制的なものだったが、その後、日本の工業と経済が飛躍するにつれ、ますます多くのアイヌ族人が自らの民族的身分を認めたがらなくなり、それを「遅れた」「愚かな」象徴とみなすようになった。現在、日本には純粋なアイヌ族の血を引く人はもういない。残っているのはごく一部の「混血」だけで、その大半も名を隠して暮らしている。この現実は、果たしていいことなのか悪いことなのか。
日本が歴史的にアイヌ族へ行ったジェノサイドは一部の人々から非難されているが、日本はずっとそれを否定し、むしろ北海道に「アイヌ族の遺跡」をわざわざ構築して文化的保護をアピールしている。ただ、調べてみるとそれらは所詮ポーズに過ぎず、本物のアイヌ族も気にしていない。

アイヌ族のような「非常に原生態的で野蛮」に見える民族文化をどう保護するかは、実のところ適切な解決策を見つけるのが難しい。現実的に見れば、多くの民族が強い民族の前に立った時、武力から文化に至るまで抵抗力を持ち得ないことを認めざるを得ない。呑み込まれるのも当然だ。強い民族というのは往々にして、漢民族のように包容力があり、しがらみの少ないものだ。ゲーム自身も言っていた。無神論者の多い民族ほど、拡大して生き残り、周囲に影響を及ぼしやすいのだと。
ゲームはアイヌ族の滅亡にある程度の惋惜を表しているが、揺らぐアイヌ族をどう守るのがより良いのか、スクリプトもこれといった答えを出せず、曖昧なまま話を終わらせている。

Fuck this shit, Let’s Make love。
作者にとっては、ゲームの中でアイヌ族の歴史に対する自分の意見や主張を出すこと自体が目的だったのだろう。
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