『GINKA』レビュー
必死に褒められようとするその姿、正直褒めづらい
必死に褒められようとするその姿、正直褒めづらい
数年前、ANIPLEX.EXE がソニー傘下のブランドとしてギャルゲー市場に参入したとき、一部のオタクは「ついに来たか」と騒いでいた。俺はといえば、『二次元狂热』にちょっとひがみ根性丸出しの記事を書いた。要はソニーは片手間でやってるだけで、この市場にそこまでの期待も見込みもないんだろう、ANIPLEX.EXE が外注のブランド貼り付けじゃなくて、いわゆる「ファーストパーティ開発」になったときこそが本当の「来たか」なんだ、と。
で、結果はご覧の通り。「来たか」は永遠に来なかった。ANIPLEX.EXE は2年近く鳴かず飛ばずで、今年になってようやく新作をぼちぼち出すようになったけど、相変わらず「外注」で「ブランド貼り付け」、しかも今回は「爛戸口」の名前を貼り付けているだけだ。
そんな ANIPLEX.EXE の中で一番知名度が高いのは、もちろん『ATRI』だ。このゲームはかなり王道な日本産未来モノで、別にクオリティが低いわけじゃない。お決まりの展開でも十分いい反応が得られるってのは、よくある王道の熱血燃えアニメに感動するのと同じ理屈だ。
『ATRI』の成功を再現するためか、当時のスタッフが ANIPLEX.EXE を離れて再集結し、今回の『GINKA』を世に送り出した。画風、脚本、制作会社、さらにはタイトルに至るまで、もう「前作リスペクト」の匂いしかしない。
じゃあ『GINKA』は『ATRI』と同じ感覚を与えてくれるのか?
客観的に言えば、間違いなくイエスだ。しかも『ATRI』よりよっぽど内容は多い。
でも「多い」ことがいいことなのか? ここが引っかかる。本作で一番理解できず、一番文句を言いたい部分でもある。

まずゲーム本編について。物語は比較的わかりやすい。主人公は子供の頃、島で暮らしていて、偶然、島の祭祀を執り行う巫女「銀花」と出会う。二人は親友になり、互いに淡い恋心まで抱くようになる。ところが告白しようとしたその夜、銀花は「神隠し」に遭い、失踪。ほとんどの者は彼女が死んだと思った。主人公もその後、島を出て本土に戻る。
それから数年後、主人公は再び島へ戻るが、当時神隠しに遭った「銀花」にそっくりの少女と出会う。少女は自分の名前を覚えていないが、「Ginka」(日本語の「銀花」と同じ発音)と名乗る。少女は四六時中主人公にまとわりつき、しまいには主人公と結婚すると言い出す。

この「Ginka」がかつて神隠しに遭った「銀花」なのではないかと主人公が疑い始めた頃、より年齢の高い「銀花」が現れる。推測するに、彼女こそが「銀花」の本体だ。そして一連のめちゃくちゃな展開と説明を経て、当時の銀花の「神隠し」の裏の真実が明らかになる。要は主人公を救うために神の前で願いをかけ、自己犠牲を選び、主人公への感情を諦めたのだ。そしてその恋心は数年後、主人公によって具現化され、あの少女「Ginka」として映し出された。さらに、その選択のせいで二つの並行世界に分裂してしまった。

最後の解決策もシンプル。島のいわゆる「神」がもう生きるのに飽き飽きしていて、自ら命を絶ち、他者を成全した。おかげで Ginka も銀花も主人公もハッピーエンドを迎える。
全体として『GINKA』の語りは『ATRI』よりかなり複雑で、テーマも日本本土の文化に寄り添っている。「神」と「巫女」の設定なんかは、どことなく『君の名は。』っぽい。CV には、夏和小の次に来る二足のわらじ声優「明羽杏子」を起用。演技は可もなく不可もなく。桐谷華の後継者なんて言う人もいるが、その称号は夏和小にしか認めない。画面も特に問題ない。ただ、ツッコみたいのは「同スタッフ」と言いつつ、ヒロインの「銀花」と「Ginka」だけが前作『ATRI』の絵師で、他のサブキャラは全部「渡辺明夫」がまとめて担当していることだ。しかも渡辺明夫がマジでヤバい。何年経っても、その筆致のキャラ表現力は『グリザイアの果実』シリーズの頃よりはるかに進化していて、本作では主役の座を食いかねない勢いだ。

STEAM 同時展開のグローバル向けタイトルだけあって、当然「中国語」も標準装備。このゲームの中国語化の質が悪いと文句を言う人もいるが、俺がプレイしたのが遅かったせいか、近年のギャルゲーの中では中国語化の質はむしろ基準になるレベルだと思う。ひどい「日本語翻訳調」もなく、日本語のノリもうまく中国語の文脈に合う言葉に訳されている。翻訳チームの功績は大きい。中国語化部分の修正アップデートがあったらしいから、今の優れたテキストはアップデートを経てのものかもしれない。少なくとも最新版では多言語化に全く問題はない。
さて、ここからが本作の一番「こじらせてる」ところだ。力の入れすぎ。

『GINKA』が成功を切望しているのは見て取れる。『ATRI』の成功要素を全部吸収して伸ばし、さらに量を増やし倍にしてプレイヤーに叩きつけ、より大きな反響を乞うている。でも急がば回れ。本作で一番困惑するのが、あの True End と敵役のパートだ。シンプルに「神に祈る」だけで解決できる話なのに、なぜ蛇足で先生の敵役エピソードを追加したのか?
もちろん意図はわかる。話を引き延ばし、「ここで終わりかと思いきや実はまだ続く」的な、いわゆる「超展開」のサプライズを狙ったんだろう。でも物語は本来もう終われる状態だった。超展開のための超展開、戦闘を増やすための戦闘追加は、正直効果がない。『ATRI』だって最終盤で、年老いた主人公が再び ATRI に会うとき、新しいボスと戦ったりしてないだろ? 物語はふさわしい場所でピリオドを打つべきなんだ。制作陣は、ゲーム時間を十分に長くし、内容を十分に詰め込み、要素を十分に盛り込まないと、プレイヤーに認められ褒められないと思っている節がある。

でも俺がタイトルで言った通り、「必死に褒められようとするその姿、正直褒めづらい」。ゲーム作りはスマホ作りじゃない。力任せの詰め込みが常にプラスに働くとは限らない。『GINKA』はまさに、力の入れすぎが玉に瑕となったゲームだ。
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