『距离男主自杀还有七天』レビュー

こんな話が書きたかったんだよな、昔

広告

2016年ごろだったかな。まだGoogle+が生きていた頃で、とにかく表現欲が強くて、何か書きたくて仕方なかった。Google+のあるコミュニティにかなり熱心に参加していて、そこで「三題噺」みたいなのをやっていた。関連する語としない語を三つ渡されて、それで話を書けというやつ。

それから、めちゃくちゃ凄い小説を連載で書こうと思った。当時はまだ中二病っぽい発想もあったし、ギャルゲーをやりすぎていたせいで、頭に浮かぶ話は自然とギャルゲー化していた。考えていたのは、皮肉な男主と女主が学校で繰り広げる話。学校で生徒が不審な死を遂げる。でも最後にはその生徒たちは全員自殺だったと分かる。黒幕は普段は可愛くて明るくて人畜無害に見える女主角で、彼女には知られていない暗いもう一つの顔がある。女主角は隠れた身分でインターネットを通じて学校の生徒たちを惑わし、心の闇を引き出して、自殺や相互の傷害へと導く。ただ楽しむためだけに。自分は完璧に身分を隠し、直接殺していないから責任を問われない、みたいな。男主角は友人の死をずっと調べていて、女主角は身分を隠して男主角と一緒に調べる。最終ボスはすぐ隣にいる、という感じ。

広告

今思うとこの話は本当に中二病全開で、いろいろと未熟で幼稚だ。それでもこの題材が悪いとは今でも思わないし、むしろずっと書けると思っている。いわゆる「悪魔の囁き」は本当に人を死へと導けると信じているから。現代社会は誰もが大きなストレスを抱えていて、いろんな苦しみを抱えている。ちょっとしたことで追い詰められてしまうのもよくあることだ。

でも、話したいのはその物語そのものじゃない。最近気づいたんだ。昔書きたかったこの話を、本当に誰かが書いて、ゲームにしていた……それがSteamでちょっと話題になった『距離男主自殺還有七天』だ。

screenshot.242.jpg

このゲームの筋は、俺が昔考えていたゲームとほぼ同じ発想だ。ただ、ゲーム自体は色調から雰囲気までずっと不気味な空気に包まれていて、このタイトルも相まって、どうしてもゾワッとさせられる。ところが、このゲームの一周目の話はやたらと平凡だ。男主角は学級委員長として淡々と毎日を過ごす。ゲームの時間軸はきっちり7日間なのに、「死ぬ」とか「死にたい」とかいう気配はまったく見えない。

そして後の周回になって、ようやく話の筋が見えてくる。男主角は実は統合失調症で二重人格。もう一つの人格「白狼」はネット上で他人を惑わし、洗脳して自殺へと追い込む。ゲーム内で最終的にカウントダウンされる7日の最後の日は、男主角のもう一つの人格「白狼」が皆を集めて集団自殺する日だ。

もちろん、ゲームのヒロインにも似たような統合失調症があり、同じく人格分裂を抱えている。中には男主角の陰謀を止めようとする人格もいる。ゲームに出てくる女教師も同じく狂気の裏面を持っていて、男主角が元凶だと分かっていながらも、むしろ煽って、止める気配がない。

screenshot.241.jpg

つまりこの「7日間の死のカウントダウン」は、そういう単純な話だ。男主角の暗い人格がネットを通じて集団を惑わし、7日後に自殺させる。ゲーム序盤の視点は男主角の正常な人格なので、プレイヤーには異変が分からない。

このゲームを日本の同系統の『終ノ空』や『素晴らしき日々』、『さよならを教えて』に例えて「毒電波」なんて言う人も多いけど、俺から言わせればそんなのはデタラメだ。このゲームはどちらかといえば、俺が中二病だった頃に構想したあの枠組みに近い。とてもじゃないが、あの日本作品たちの高さには届かないし、模倣にすらなっていない。しかもこのゲーム最大の問題は、もっともらしく煙に巻いておきながら、その裏の本当の経緯をきちんと整理していないことだ。話を見終えた後に感慨が湧くこともなく、残るのは「訳が分からない」だけ。

話全体に「朦朧」としたものが漂っていて、それが脚本の意図なのか、予算の都合なのか、はたまた話が中途半端に終わってしまったのか。

ゲームの制作面については、個人的には肯定的に評価している。合成音声を多用しているとか、やたらダサくて歪んだ立ち絵だとか、叩いている人も少なくない。でも制作側はアップデートを重ねてその短所を一つずつ解消していった。立ち絵は何度もアップグレードされ、最新版はもう主流の審美基準に達している。初期の「草稿紙みたいな」画風とはもう雲泥の差だ。音声も比較的ちゃんとしたCVを起用していて、少なくとも以前の合成音色よりはずっとマシになっている。演出効果は多くないけど、カットシーンの出来はなかなかカッコいい。毎日のカウントダウンには専用の動画まで作られていて、しかも言語ごとに独立したものが用意されている。なかなか凝っている。制作エンジンはPythonのRen’pyで、マルチプラットフォーム対応も良好だ。小さな制作チーム(噂では作者は一人だけらしい)としては、これだけの成果を上げているだけでも大したものだ。話が中途半端に終わっていても、ゲームの値段は安いし、話も長くないし、Flowchartの表示も分かりやすい。少なくとも体験としては悪くない。

もちろん、このゲームについてのまとめはこれで終わりじゃない。おそらく多くの人は気づいていないだろうが、このゲームには俺が今に至るまで解けていない謎が隠されている。

その謎の鍵は「多言語」にある。本作はSteamに出品されているため、簡体字中国語/繁体字中国語、英語、韓国語、そして日本語の多言語に対応している。よくあることだ。だが奇妙なのは、ゲームの日本語版がオリジナル版と比べてまるで別のゲームのようになっていることだ。ネット上にはこのゲームに関する議論がたくさんあるのに、この点に触れている人は誰もいない。

screenshot.239.jpg

まずゲームのタイトル『距離男主自殺還有七天』が、日本語では『僕たちが死ぬまであと七日』、つまり「私たちが死ぬまであと七日」と訳されている。劇中の「集団自殺」の筋を考え合わせると、明らかに日本語版のほうがゲームの主旨に近い。

しかももっと不思議なのは、ゲーム中のキャラクター名がすべて差し替えられていることだ。女教師の「陶蓉」も「瀬戸蓮」に変更され、劇中の教科目まで日本風の内容に変えられている。科目まで修正されている。

実は日本語版の翻訳自体には特に意見はない。むしろこのゲームの話は日本風の話に近いと思う。多くのキャラの話し方やスタイルは中国の学校の雰囲気に合っていない。中国の学校にも生徒の自殺問題はあるし、心の歪んだ教師もいる。でもこのゲームのような描き方はしない。このゲームの話は、中国人が日本風に書いたゲームに近い。

Screenshot from 2024-06-16 00-32-24.png

Screenshot from 2024-06-16 00-36-47.png

ただ気になるのは、こうした「大幅な」翻訳が制作側の要求なのか、それとも日本語版の翻訳者自身の考えなのか。最初は制作側の意向で、このゲームはもともと日本風のゲームで、中国で発売するためにキャラを中国人に変えたのかと思った。でも後でゲームの制作資料を調べ、さらにリバースエンジニアリングでゲームフォルダ内の一部のキャラ命名を解いたところ、ゲーム制作におけるキャラ変数の命名はすべて中国名のピンインだった。つまりこのゲームは最初から中国名で作られていたはずで、キャラ音声も中国語しかない。そしてキャラ名が変更されているのは日本語版だけで、英語版はそうなっていない。しかも日本語版を起動すると、キャラの音声が言う中国名と日本語名がまったく一致していなくて、妙な感じがする。

この疑問について、俺はゲーム日本語版の翻訳者である陽炎を見つけ、彼のこのゲーム日本語版の宣伝も目にした。メールを送って問い合わせたが、今に至るまで返信はない。

本家 plumz.me でこの記事にコメントする

コメントは中国語の本家サイトで受け付けています。このミラーは閲覧専用です。

目次