鼻内視鏡手術を受けた自分の実体験

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手術を受けた数日間にも少し書き残していたが、どうも詳しく書けていなかった。今は体調もいくらか良くなったし、ネット上にはこの手の情報が少ないと気づいたので、詳しく書いてみる。

手術の理由:

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副鼻腔炎。物心ついた頃からで、初めて見つかったのは小学3年のときだったはず。ただ当時は医療技術も発達しておらず、治療には穿刺が必要だった。実はうちの祖父が耳鼻咽喉科の医者で……。「子どもに穿刺なんかさせるな、あれは苦しいぞ」という祖父の言葉もあって、ずっと薬で保存的に治療してきた。それが10年以上続いた。今は病院で働いているのだが、ある日の午前中に鼻がんの患者を見てしまい、本気でビビった。その足で家に帰って両親に「やっぱり病院で診てもらおう、最後にがんになってたらバカみたいだ」と告げた。

病院で診てもらったところ、中はもはや単なる副鼻腔炎ではなく、鼻甲介肥大に鼻茸まで併発しているとのこと。要するに長年の炎症が原因だ。鼻内視鏡検査をやってもらったら、もう中が完全に詰まっていてびっくりした。それで手術を受けて解放されることを決意した。

手術の準備:

月曜の午後にそのまま入院。医師から術前術後の注意事項を説明された。主には辛いものを食べない、タバコや酒はダメ、といったところ。幸い自分にはそういう趣味がないので問題なし。月曜の夜に「翌朝は空腹で採血に来るように」と言われた。

火曜から点滴が始まった。まずは止血剤。午後には麻酔科の医師が来て、自分の体格を見てからサインをした。要するに薬の量を調整するためだ。

手術後:

水曜が手術日。前日の夜12時以降は飲食禁止。当初は朝9時の手術予定だったが、結局午後1時過ぎまで待たされた。しかもクソなことに、手術室で自分一人で待たされ、自分で手術台に寝るよう指示された。そして誰かが酸素マスクを当ててきて「酸素を吸ってください」と言われ、そのまま昏睡した。自分は全身麻酔でこの手術を受けた。

目が覚めたときはまだ手術室の中で、ぼんやりしていた。麻酔科の医師が目覚めたのを確認してストレッチャーで外に出した。彼らの説明では、自然に目覚めたのを確認して初めて手術が完全に終わったことになるらしい。次に目が覚めたのは夜8時過ぎ。喉がカラカラで死にそうだった。ようやく水が飲める時間になって、水ってこんなに美味しいのかと初めて思った。

最初の夜を乗り切った。もちろんほとんど眠れなかった。頭がずっと痛かった。鼻内視鏡手術は痛くないと多くの人が言うが、それは嘘ではない。しかし大事なのは、術後こそが果てしない苦痛の始まりだということだ!

最初の二日間は鼻が通らない。鼻孔は止血用の綿棒で完全に塞がれ、口でしか息ができない。詰まった綿棒のせいで頭が割れそうに痛み、耐え難い。

二日後、その綿棒を抜くことになる。抜く前に覚悟が必要だ。抜くときはとにかく痛い痛い痛い痛い。脳みそから筋を一本引き抜かれるような感覚だ。綿棒を抜いた後も、中には吸収性の止血綿が詰められ、さらに綿球で鼻孔を塞がれる。この時点でも鼻呼吸はできず、地獄だ。夜は寝ている間に息苦しくて目が覚める。同時に術後の反応が出始める。目の球が張って痛む、鼻血が出る、など。

さらに二日後、医師が綿球を取る。ただし管で中の血の塊や鼻水を吸い出す必要がある。吸い出す過程は言わないでおこう。これもまた苦痛で、綿棒を抜くのに匹敵する。しかし吸い終われば鼻は通るようになる。

さらに二日後にまた吸い出せば退院できる。ただし毎週病院に再診に行かねばならない。それでも術後の影響はまだ強く残っている。鼻孔の奥はまだ痛むし、手足は力が入らず眠くなる。目の球が張って痛むこともあり、口の中にはよく血がにじむ。医師の話では完全に回復するまで半年かかるらしい。

今回の手術の感想はどう言えばいいか。まあ、大した病気でもないなら絶対に手術なんか受けるな、ってところだ。マジで生き地獄。これでもまだ小手術の部類で、大手術なら想像を絶する。あとはやはり、みんな体に気をつけて健康を保つのが一番大事だと思う。

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