万物には始まりがあり、必ず終わりがある

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人生で最も印象に残っている英語のフレーズを挙げろと言われたら、『Matrix』の預言者のあの言葉だ。「Everything that has a beginning has an end」——日本語なら「始まりがあるものには必ず終わりがある」ってところか。

この言葉がすごく好きだ。クールな形でクソみたいな台詞を表現している。ただ、哲学なんてものは大抵クソみたいな台詞で、現実のどうでもいい言葉は誰も気に留めない。特殊な立場の人間がオカルトじみた言い方で口にしたときだけ、人はそれを深く信じて真理として崇める。

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この言葉を口にしたのは、2013年のことを今でも覚えているからだ。当時、片思いしていた腐女子と腹を割って話をしたら、完全にフラれた。そのとき感じたのは悲しみよりむしろ解放感だった。今思えば、彼女はとっくに俺が自分に気があるのを知っていたはずなのに、はっきり断らず、ただキープしておいて、遊びに付き合わせたり、飯を奢らせたりしていたんだよな……そこまで悪質とは言わないが、確かにちょっとした計算はあった。あの日から、俺は何かやろうと決めた。ちょうどその頃、DellのV8pというWinタブレットを買っていたので、恋愛で成功したことがないならゲームに心の拠り所を求めようと考え、当時出たばかりの漢化新作『初雪桜』を始めた。それがGalgameのブルドーザーモードの始まりでもあった。Windows、PSP、PSV、はてはiPad、そして後にSwitchまで、俺のGalgame攻略は今に至るまで止まったことがない。

スクリーンショット(80)-SNOW.gif (初めて起動した初雪桜。これが俺が見つけられた一番古い画像だ。なんでこんなエフェクトが出てるのかは知らん)

Galgame というジャンルのゲームに触れた時期でいえば、私のほうがずっと早い。2003 年ごろには『メモリーズオフ』的な作品を遊んでいたし、『ときめきメモリアル』(当時の台湾版中国語タイトルは『純愛手札』だった)も含めて、だいたいのものは経験済みだ。ただ、ここまで深くハマったことはほとんどなく、本格的に大量の作品をプレイし始めたのは、まさにあの『初雪桜』からだった。ゲームの中で「恋愛感」を味わうという理由以外に、もう一つ要因がある。

ギャルゲーの物語には必ず結末がある。

そう、当時のオタク向け作品は Galgame だけじゃなくて、アニメやライトノベル、漫画にだって恋愛要素はいくらでもあった。でも Galgame の物語は一つのゲームの中でちゃんと結末まで見られるんだよな。ああいう追いかけ更新の感覚がもう無理。一つの話が連載でめちゃくちゃ長引いて、何年もかけて追いかけて、挙げ句に結末は打ち切り同然とか、マジで受け入れられない。それなら Galgame をやるみたいに、一つのゲームを遊んで、一つの物語を体験したら、すぐ次の真新しい恋に飛び込む。こうやって他人の人生を無限に体験できる感覚、本当に最高なんだよ。

そしていつの間にか、もうすぐ13年が経とうとしている。

この13年ってのはどういう概念かというと、一人の子供が生まれてから小学校を卒業するまでの時間に十分なわけで、そして俺のゲーム歴も「翻訳待ち」から「日本語を学んで翻訳ツールに頼りながら生肉を食う」へ、さらには今では何の補助もなしに「生肉で遊ぶ」にまで至っている。進化と言われれば否定もできない。少なくとも俺はそれを通じて日本語を学んだわけだし(かなり歪んだ学び方だが)。

そして俺自身、Galgame への熱意もいろいろな浮き沈みを経てきた。悲観的に言えば、全体としてこのジャンルは今の日本市場を見る限り、ますます先行きが暗くなっていると感じる。その根本的な原因は、よく言われる「業界の縮小」とか「斜陽産業」とかいう話では決してない。むしろ逆で、「恋愛体験」を売りにする作品は、AI や VR の成熟とともにこれからますます市場を広げていくはずだ。どんなゲームでもストーリーの表現を重視するようになり、選択肢で各キャラの結末を分岐させる仕組みまで取り入れている。これはある意味、完全に「Galgame」のスタイルそのものだ。そして台頭する「二次元ソシャゲ」も Galgame の套路をまるごと踏襲していて、しかも稼ぎまくって、従来のゲームを追い詰めている。

13-3-15 - 1.jpg (iPadで遊んだ中国産の初期作品『叙事曲』。作者はその後Facebookに移り、さらに大きな話題を起こした)

つまり現行ギャルゲー産業の凋落は、ひとえにこの古参ユーザーと古参メーカー自身が「自滅」した結果なのだ。

まず真っ先に挙げられるのが、まったく進歩していない、むしろ後退しているシステムだ。最近は古いゲームもいくつか振り返ってみたのだが、意外なことに、多くの上古時代のギャルゲーは、システム面でも演出面でも、さらにはプレイアビリティの面でも、今のゲームよりある程度優れている。つまり、今のギャルゲーの多くは、一部の面では旧作に対して全面的な優位を築けておらず、むしろ劣っていることすらある。例えば、Alcot の初代作品『Clover Hearts』は有名な OP 曲を生み出しただけでなく、ゲーム内にアイテムコレクションシステムまであった。さらに、昔の HOOKSOFT のゲームでは、日常会話と同時に、同期更新される学内 BBS もあった。そしてヒロインの攻略ルートを決める選択肢にも、分析して詮索する余地が多分にあった。昔のゲームは確かに「謎解きと思考」を伴う恋愛シミュレーションゲームとして作られていたのだ。それに、さっき言ったあの「完全吸血」、Win9X 時代のゲームですら、フルボイスだったのだ。

13-11-23 - 1.jpg (『車輪の国、向日葵の少女』、そういえば俺がこれをプレイしたのも忘れてたわ)

そして今のギャルゲーはというと、もはや「音声付き恋愛小説リーダー」といったほうが近い。海外勢がみんな Visual Novel と訳すのも無理はない。それなのに、そのリーダーときたら頻繁に手足がもげていて、たとえばバックログが使えない、バックログ内で会話にジャンプできない、次の選択肢まで早送りできない、などといった抽象的な仕様がまかり通っている。最大の進歩といえば、会話とテキスト量がどんどん増えていることだな。かつての「カレンダーにぶら下がって、毎日トンボが水面を打つようにスケジュールを選んで簡単な会話をする」ような方式は、現代のギャルゲーではごくまれで、ほとんどが超長尺の台詞と叙事描写を備え、そこにありとあらゆる小ネタが差し込まれる。プレイすると本当に充実感がある……

しかし、これで本当にゲームが良くなったと言えるのか?

シナリオテキストの増加には、脚本家とスクリプトへのより高い要求が必要だ。作家が小説を書くように、少なくとも物語を面白く書かなければならない。徐々に増えるテキスト量を扱うには、当然とても優れた筆力が求められる。しかし残念ながら、大部分のGalgameの筆力はお世辞にも良いとは言えず、文字媒体の一般的な水準にすら届いていない。日本の「現代のトイレットペーパー」ことライトノベルが中国の起点文学網に対応するのだとすれば、Galgameの筆力の大半は色中色フォーラムの自己YY雑談板のようなもので、ライトノベルよりさらに露骨なステレオタイプやマンネリ、さらには設定やテキストの使い回しまで溢れている。プレイ時間が長くなるにつれ、多くの脚本が明らかにシナリオに水を注いでいるのが分かる。CCTV春晩のコント並みに気まずいギャグで反応を引き出そうとするのだ。たとえ大半のオタクがパブロフの犬だとしても、この条件反射を何度も使い続ければ、いずれ脱感作療法になってしまう。

2014 - 1.jpg (『終わる世界とバースデイ』はなかなか良いゲームだと思っている。後にある国内作品とコラボしたこともあったが、うやむやのまま終わった)

もちろん、すべてのシナリオライターがダメだと言ってるわけじゃない。ギャルゲーの世界には文章力も構成力もずば抜けた、作家肌のライターがちゃんといる。ただ、まあごく一握りってだけの話で。それに今でも理解できないのが、ギャルゲーがいつも守りたがるあの「お約束」の数々だ。使い古された転校生設定、海外とのハーフお嬢様設定、テンプレ化したツンデレ設定、テンプレ化した元気なバカ設定、テンプレ化した高嶺の花設定。おまけに日本だろうが他のアジア諸国だろうが、地球上のどこにも存在しないような高度な権限を持つ「生徒会」と「活動部」、そして「繰り返しループ系」とその裏にある「中二病丸出しの大陰謀」などなど……

ここで、もっと泣き笑いさせられる話がある。多くの日本のシナリオライター自身が、こうした設定がテンプレで陳腐だと分かっていて、自分の作品の中でそうツッコむ。プレイヤーもそれがテンプレで陳腐だと分かっていて、作家がそれをツッコむのを見て面白がり、ユーモアを感じ、そして心から納得する……

Screenshot From 2026-02-02 23-36-52.png (大体のギャルゲーのシナリオなんてこんなもん。99%のクソと1%の黄金だ)

それでもなお、メーカーはこうしたテンプレで陳腐な設定を使い続けている。その裏事情は泣ける話で、この型から外れるとギャルゲーの売上が落ちるからだ。そして売上を左右するのは予約してくれるプレイヤーが大半。かつて多くのシナリオライターが革新を狙って、そのほとんどが無残に散っていった。

だからずっと、この「老害」たち、あるいは日本国内のプレイヤー連中はGalgameに求めるものを変えていないんだと思う。ただこのお決まりのパターンを延々と繰り返したいだけで、ラノベみたいな一風変わった設定が現れることなんてまずない。残るのはひたすら攻略して、次々と出てくる着せ替えみたいな新ヒロインを落としていくだけ。この無限ループの中では新規プレイヤーもほとんど入ってこないし、古参もそう離れない。とにかくメーカーが出し続け、古参が予約し続ける。ものすごく堅固で「永遠」な内循環が出来上がってるわけだ。

Screenshot From 2026-02-03 00-43-39.png (『失われた未来を求めて』、絵柄だけで持っているゲーム。シナリオはダメで、むしろアニメのほうがずっとマシ。ここも大半のエロゲーにあるお約束で、中出ししたあと「このまましばらくこうしていよう」と言うやつ)

一時期は、これは日本のプレイヤーが自らに閉じこもりすぎているせいだと思っていた。あまりに過激な物語を望まず、自分の日系二次元の枠組みの中に留まって、ささやかな幸せを味わっていたいのかもしれない、と……。だが、中国産二次元ゲー『原神』と『鳴潮』が日本で大暴れしているのを見て、はっと気づいた。この連中は別に向上心がないわけじゃない。ただ、メーカーの手抜きと、ユーザー自身の選り好みと安逸さが、暗黙のうちに「永遠のループ」を形成しているだけなのだ。(これで雷電将軍を理解し、雷電将軍になるというやつか)

別に俺がメーカーによるギャルゲーの枠組みでの挑戦を見たことがないわけじゃない。初期の Lump Of Sugar しかり、後に出てきた非線形叙述の真似事しかり、バトルやアクションシステム、QTE みたいなものを入れたり、文章の穴埋めや推理を追加したり……でも基本的にいい結果も売上も残らず、赤字を生むばかりで、メーカーはすぐに大人しくなって元の低コスト量産テンプレ的オタク狙いゲームの道に戻っちゃうんだよな。特に2020年からのコロナ禍で経済が不景気になってからは、ほとんどの日本のメーカーがもっと保守的な「分冊純愛短編」開発路線を選んで、シナリオは適当に書く。よく言えば「王道の甘々恋愛」、悪く言えば画像付きの ASMR 音声みたいなもんで、将来的には AI でも作れるんじゃねえかとすら疑ってる。そうなればコストはさらに下がるわけだし。

DSC_0377~2.jpg (『明日の世界』、今思うと当時感じていたよりずっと良いゲームだ。当時は健速が心底嫌いだった)

昔のエロゲーから今のギャルゲーまで、『同級生』を始まりとして「合理的なエロ」を掲げる純愛ゲームが生まれて以降、文字恋愛を主軸とするゲームは「ゲーム性」をどんどん捨て去り、シナリオとテキストに重心を置くようになっていった。なのに、そのテキストの質までどんどん悪くなり、どんどん手抜きになっていくとなると、このゲームからいったい何の熱意と楽しさが得られるのか、俺にはとても言えない。

一番感じたのは、少し前に10年近く前のSMEEの『PureXConnect』を起動したときのことだ。驚いたことに、10年経った今でもこのゲームは現在のギャルゲー市場でほとんど見劣りしない。会話のノリはどれも面白いし、OPもEDも今より聴き映えがする。解像度もシステムも今とほぼ変わらない。昔は720Pだったのに、今もクソみたいに720Pのままだ。この分野の発展停滞について、誰が正しいとか誰が悪いとかは言いにくい。ただ、いろんな要素が重なった結果だと言うしかない。個人的な視点で言えば、日本のああいう保守的なメーカーの責任のほうが大きいと思う。

WP_20140922_23_29_04_Pro.jpg (『大図書館の羊飼い』。俺の中では最高の学園ファンタジー作品で、あらゆる面がカンストしてるやつ)


国産ギャルゲー:より高い技術力と抽象的なシナリオ

ここ数年、国産ギャルゲーは大きく盛り上がりつつある。国内のギャルゲープレイヤーは大半が多少はプログラムをかじっていて、プログラマーの比率も低くない。嬉しいことに、国産ギャルゲーの多くはより優れたシステムと充実した機能を備えていて、しかも「プレイアビリティ」のためにちょっとしたミニゲームを足してくる。これは何万年も守旧的な 32bit Kirikiri にしがみついている日本本土の連中と比べると、かなり大きなアドバンテージだ。しかも時代は進んでいて、中国側の二次元創作コンテンツの多くはすでに日本に引けを取らない。二次元ゲーム系の逆輸出だって実現できている。ハードパワーに関してはもう余裕で抑えてる感じだ。

だが国産ギャルゲー最大の問題はやはりシナリオだ。いまだに理解できないのは、なぜ国産ギャルゲーが必ず日本を模倣しなければならないのかということ。設定の用語といい、言葉遣いといい、どれもこれも「日本アニメ翻訳臭」が漂っていて、まともに話せない人間みたいな印象を受ける。もっと酷いのは、これらのゲームの大半が「ローカライズ」を謳っているのに、出てくるのはどれもこれも揃いも揃って「桜の香り」一色なことだ。まるで昔の国産ラップ音楽みたいで、アメリカの語彙を無脳コピーして、やたら銃を撃ったりマリファナを吸ったりする。向こうのブルックリンの黒人の日常がそうなんだから仕方ないが、お前は天朝の大学生だろ、どこで銃を撃ってマリファナを吸うんだよ。東施のひそみに倣うと笑い者になるだけだ。

ここで「こういう“日系スタイル”こそ伝統的な“二次元の味”であって、これをやらないと売れないんだ」と言う人が出てくる。もう一つは、国産ギャルゲーのシナリオの文章力がかなり低い部類で、起点で新連載を始めても読者がつくかどうか怪しいレベルだということ。この点は日本側も同じ粒度で見ている。他人と話している時にもこの話は出たが、そこで出た結論はこうだ。国産ギャルゲーの企画はたいてい脚本家本人が立てていて、みんな十分な情熱を持ってゲームを作っている。愛で動いている人間に、優秀な作家であることまで求めるのは無理というものだ。考えてみれば確かにその通りだ。だからこそ、俺は「まともな」国産ギャルゲーを見ると大げさに褒める。この界隈の作品で「ちゃんと会話が成立する」ということ自体が、かなり難しいことなのだ。


新人がハマるためのアドバイス

さんざん愚痴をこぼしてきたが、10年以上ゲームをやってきた「古参」として、これからギャルゲーを始めたい新人に少しアドバイスくらいはできる気がする。もっと釣りっぽいタイトル、たとえば『新人ギャルゲープレイヤーへの10の提言』みたいな書き方もできなくはない。でもやめておいた。ここまで読んでくれた人ならアドバイスも素直に受け止めてくれるだろうし、釣りタイトルで寄ってくるのはろくに読まずに噛みついてくるだけのイキり連中だ。

1、まずは幻想を捨てろ:国内のGalgame 界隈には妙な風潮がある。一部の古参やKOLが、「Galgame はマイナーで、高尚で、格が高く、古参オタクにしか極められない、果ては『第九芸術』の雰囲気すら漂う、ゲーム界の神秘的な宝石のような精品カテゴリだ」という空気を醸し出すんだ。だが言わせてもらうと、Galgame をそんな高尚なものだと思うな。大半は大人向けのポルノ映画と席を並べる程度のものだ。古参たちは「素晴日」だの「Fate」だのと口を開けば持ち出し、こっちでは「白学」、そっちでは「12神器」と、どれもこれも大昔の古いゲームばかり。彼らが滔々とイキり散らすのを聞くと、これらのゲームには深遠な内涵があるように思えてくる。だが古参に導かれてゲームを開けば、おそらく苦痛を味わうことになる。これらのゲームはテンポがクソ長いだけでなく、設定も現代の内容と明らかに乖離している。いわゆる「超展開」まで耐え抜いたとしても、多くの場面は現代作品で何度も見たことのあるものばかりで、驚きもない。それでも古参はPUAを続け、「これらは業界の道しるべだ」「続けていれば、この設定を受け入れれば、その背後にある深遠な意味がわかる」と言い、さらにゲームの裏側にある過剰な解釈まで教えてくる。おかげで高山を見上げるような劣等感を抱かされ、自分があまりにヘタレで作品の偉大さを理解できないだけなのだ……という気分にさせられる。

IMG_0012.PNG (かつては自分もLASS厨だったが、その後倒産してしまった。『3Days』は正直、あらゆる面で『11eyes』に劣る)

言っておくが、そういうありがたいお言葉は聞かなくていい。ああいう上古の作品は大体において時代の制約と欠点を大量に抱えている。ひどい絵柄、時代遅れのBGM、そしてマニュアル通りのテキスト。もしお前が真剣に一つのゲームを遊んでいて、そのゲームの流れが長く、無駄話が多くて苦痛を感じたなら、大胆にスキップするか諦めろ。それはお前のせいじゃない、そのゲームのせいだ。さっきもツッコんだが、日本のギャルゲーはテキスト量を誇示するために、共通ルートに大量の水増しをぶち込んでくる。物語の行方を決める個別ルートはほんの一部でしかない。前半の無駄話は捨てて、最後のごく一部だけを楽しめばいい。ギャルゲーのシナリオライターがみんな高尚な芸術の巨匠だなんて思うな。あいつらも仕事をこなすために締切ギリギリで原稿を出すただの凡人だ。

2、核心を抜き出せ:新人には「とても奥深い電波系」なんて伝説の作品を勧める人が少なくない。こういう作品の主な特徴は、とにかく人語を話さないこと。大量の代名詞、大量の引用と典故で、めちゃくちゃ晦昧でわかりにくい。もちろん、それを理由にこういう作品を拒否するのも現実的じゃない。何しろこれもギャルゲーの特色の一つだし、味わってみないのは惜しすぎる。俺の提案は、わからない設定やわからない哲学的な会話は飛ばして、物語のあらすじを掴みにいくこと。優れた「電波系作品」のほとんどには実は主軸がある。「誰が、いつ、何をしたか」だ。たとえば『終ノ空』は、学校で宗教的熱狂を帯びた終末論のイカれ連中が、邪に憑かれて次々と自殺していく恐怖の物語。主軸を整理したら、その上でゲームの設定を理解してみればいい。また『終ノ空』を例にすると、なぜ中の人物が「憑かれる」のか、その背景は「クトゥルフ」神話の内容に由来する。ゲームで語られる「終末予言」なんかも検索してみれば、現実に確かに存在していたことがわかる。さらに初代発売時の日本の背景を加えれば、このゲームが生まれた目的も理解しやすくなる。当時の流行に便乗したホラー小説的な感じだ。こういうマクロな視点から見ていくと、作品の制作から創作までの工夫や仕掛けが少しずつわかってきて、その魅力をより深く感じられる。

「毒電波」系の作品について、国内のGalgame界隈には頭のネジが飛んだ連中が溢れかえっている。彼らは開口一番、脚本家たちと兄弟分ヅラで語り合い、作品評になるとすぐ価値だの強度だのを持ち出し、やれ哲学だ、内核だ、ソクラテスだと騒ぎ、挙げ句の果てには倫理、本源、量子力学などと並べ立てる。ちょっとした神作の話になれば口から出任せを垂れ流すくせに、その作品の「主旨」と「ネタ概」には一切触れようとしない。本人たちも中身を理解していないか、あるいは物語のあらすじを口にしたらイキリ度が下がると思っているかのどちらかだ……無理もない。神作と持ち上げている代物が、実のところ「哲学」用語で上手いこと包んだだけの平凡な学園ホラー小説だなんて、誰が受け入れられるというのか。

26 - 1.jpg (これはネタ画像。そういえば天神乱漫はPSPで遊んだんだが、もう昔すぎてスクショが残ってない。でもあれはゆずソフト唯一の全年齢向け拡張版で、阿澄佳奈もいた)

もしある作品に出会って、自分が理解できない内容を全部捨てても、断片からその作品の主旨が相変わらず理解できないなら、それは諦めることを勧める。間違いなくクソゲーか、作者が精神病んでいるかのどちらかだ。誰かが「作者と電波を合わせないとダメ」みたいなことを言うが、この手の言葉は正直良くない。結局、バカの思考はバカにしか理解できないんだから。一般向けに発売されるゲームが、一般の理解力を考慮せず、ただ作者が一人で盛り上がっているだけなら、そのゲームはあなたの時間を無駄にする価値がないと決まっている。金を払ってゲームをするのはあなたなんだから、作者がどうにかしてあなたに内容を理解させるべきであって、逆じゃない。本当に優れた作者の作品にはこういうことは起きない。例えばよく暴走するSCA-自なんかそうだ。彼の物語は大量の哲学や無関係な内容でパッケージされているが、メインの筋はずっと明快で、その明快なメインの筋でプレイヤーに自分が詰め込んだ私物を理解させようとずっと努めている。彼はかつて自分の作品を「ヴィトゲンシュタインの梯子、仏陀の筏」と言ったことがある。要するに、プレイヤーがゲームを進める中で自分が詰め込んだ哲学の私物に興味を持ち、さらに自分が薦める哲学作品を読み進めてくれれば、自分の目的は達成されたということだ。これはまさに今の「文化輸出」の共通点とも対応しているし、SCA-自は本当にたくさん本を読んでいて、それを作品に融通しきっている。言葉を並べ立てるだけの連中とは本質的に違う。覚えておいてほしいのは、優れた作者はどんなスタイルの作品を書こうと、主轴は永遠に明快で、小学校の作文で最初に習う「時間・場所・人物」の三要素と同じだということだ。

3、包容しろ、Galgameばかりやるな:いわゆる「Galgameの大御所」を何人も見てきた。彼らはGalgameについて滔々と語り、毎月の新作をすばやく評し、これが地雷だあれが地雷だ、このシナリオは良いあれは悪いと、しょっちゅう言う。しかもこういう連中ほど大きな炎上を起こす。見かけるたびに泣くに泣けず笑うに笑えず、という気分になる。俺の見方では、Galgameの「神ゲー」比率はかなり低い。年に2〜3本優秀なものが出れば、そのうち遊ぶ価値のあるものが10本もあれば御の字だ。なのになぜ国内の多くのプレイヤーはGalgameの神ゲーがそこら中に転がっていると感じるのか。おそらく彼らの大半は漢化版しかやらないからだ。漢化組自体が作品を一度大きくふるいにかけている。以前、毎月生のエロゲーを狂ったように食っていた身としては、毎月糞をたらふく食わされ、その中からやっと1本マトモなものを拾い出すだけだったとしか言いようがない。

Screenshot From 2026-02-03 00-42-21.png (夏空カナタ、柚子史上最高のシナリオと謳われているが、今になって思えば柚子の最高シナリオは常に次の作品だ)

もし本当にギャルゲーを愛しているなら、まず必要なのは寛容さだと思う。なぜこんなにも多くの人が、もともとマイナーなこの界隈でマウントの取り合いをするのか分からない。「廃萌」をやるのは下に見られて、「毒電波大作」をやるのが上級プレイヤーみたいな。初心者がゲームのシナリオの「超展開」にこだわって、主人公には必ず深い恨みがあって、裏には必ず超弩級の陰謀があるはずだ、それが神ゲーだと、日常系をメインにした作品を見下すのをよく見かける。ギャルゲーのシナリオはそもそも一段上だと思い込んでいて、何しろ物語性が売りだから、他のゲームにあるような優れた見せ場はギャルゲーには見つからない、などと……

昔ならこの意見も通用したかもしれない。だが今は2026年だ。ガチャゲーすらストーリーを語り、物語がより直接的な実写風ゲームがそこら中に転がり、ソウルライクの断片的な語りすら超展開として当たり前になっている時代だ。そんな連中の横に並べられると、ギャルゲーの持っているものなんて正直霞む。いわゆる「ギャルゲー愛好家」と名乗る連中には、ギャルゲーと日系ゲームの狭い輪の中だけで生きてないで、他のゲームにもっと触れてほしい。井の中の蛙にならないためにもな。最近自分が見た限りだと、欧米のゲームや中国産のゲーム、果ては日本の低予算同人ゲームですら、ストーリー体験はこの手の「ギャルゲー神作」と比べて劣ってない。

Screenshot From 2026-02-03 00-44-34.png (グリザイアの果実。当時は日本語がダメで英語版をやったけど、共通ルート50時間はさすがにぶっ飛んでる)


Galgameを遊んでいるとき、俺は一体何を遊んでいるのか

最近、この問題について何度も考えた。かつて自分は「必ず結末のある二次元の物語」を求めてギャルゲーを遊んでいたわけだが、十年以上たった今、自分が遊び続けているギャルゲーに、まだそういうものは残っているんだろうか?

というか、なんでまだ続けてプレイしてるんだろう?

今のギャルゲーは、ほとんど新鮮味を感じさせてくれない。昔「Groundhog Day」という映画があって、主人公が無限ループの日々から抜け出せなくなる話だったけど、今ギャルゲーをやっているとよくその感覚になる。多くの新作の設定を見ても、どこかで見たことあるような気がする。何年も前に遊んだことがあるし、それこそいくつも別バージョンを体験してきた。毎月の新作も、古い物語の枠組みを繰り返しているだけで、キャラの名前が変わっただけじゃないか、と思うこともある。X(旧Twitter)で子供たちが新作のシナリオを「ヤバいヤバい」と持ち上げているのを見て、首を振りたくなる時がある。そんな話、何年も前のどこかのXXXゲームのXXXルートで見たぞ、と言いたくなる。でも、そう言ったところで自分が低レベルでイキってるだけに見えるだろうから、やめておく。ゲームを楽しんでいる人にとって、その気分を邪魔する必要なんてないんだから。

13-7-24 - 1.jpg (恋愛選挙チョコレート、PSP版。幼女科学者を攻略できる。現在のPC版では不可能な話だ)

それに今や毎月の新作が2本も揃わない有様で、業界はマジで終わってる。2025年のゲーム遍歴を振り返ってみると、Steamで昔ながらのゲームを起動していた時間がギャルゲーを超えていた。まさにタイトル通り「万物に始まりがあれば必ず終わりもある」ってわけで、そろそろピリオドを打つ時なのかもしれない。


終わりであり、始まりでもある

多くの人が Galgame の内容目当てでブログをフォローしてくれているのは分かっている。別に今後 Galgame をやらないと宣言するわけじゃない。ただ、これからは選んでやるというだけだ。商業案件の記事を書くならその時はやる(商業誌、もうすぐ潰れそうだけど、復活戦に勝ってほしい。せめて原稿料は払ってくれ)。設定に興味を引かれたゲームなら今でもやるが、以前のように新作ならたとえ大クソでも必ず試す、というスタンスではなくなる。ただ、従来のゲームの感想も少し増やそうとは考えている。少なくとも去年は 3A タイトルで言いたいことがかなりあった。

同時に、昔のギャルゲーを買い直して応援するつもりだ。昔ちょっと興味を持ったけど、ずっと時間がなくて遊べなかった上古のゲームを、時間を見つけて引っ張り出してきて、遊んでから感想を書く。今の気まぐれなスタンスにはそっちのほうが合ってる気がする。子供の頃、ある理由でクリアできなかったゲームも補完していくつもりだ。歳を取ると、子供の頃にやり残したことを片付けたくなるんだろうな。

Screenshot_2014-11-28-22-09-37.png (Clover Days、Alcot の最高傑作と謳われているが、実際の最高傑作は Clover Hearts だ。もちろん本作以降、Alcot は急速に死に向かっていく)

もちろん、俺が別の内容に方向転換する可能性もある。たとえば従来のゲーム、音楽、小説、漫画なんかだ。あるいは完全にオタクを卒業して、二度と二次元のことに関わらないかもしれない。以前みたいに毎月の新作をずっと追いかけてプレイするのは、正直ちょっときついし、新作のほとんどがクソつまらないんだよな。

未来のことなんて誰にも分からない、一歩ずつ進むしかない。2013年に『初雪桜』を起動したとき、まさか自分がその後こんなにたくさんのギャルゲーをやるとは思ってもみなかった。Galgame に対して抱いているのは、どちらかといえば情熱と感謝の気持ちだ。十数年前に押したあのゲームのスタートキーを後悔したことは一度もない。それがなかったら今の自分はいなかったかもしれないし、結婚して子供がいる自分もいなかったかもしれない。まったく、どこかバタフライエフェクトみたいな話だ。

ここまで読んでくれてありがとう。この記事は何日もかけて細切れに書いたもので、自分自身のギャルゲー消化マシンとしての遍歴をまとめた総括みたいなものだ。ギャルゲーについては言いたいことが多すぎて、思いつくままに書いたから少し読みにくいかもしれない。でも少なくとも、長年の感想は書き出せたはず。たぶん今後こういう話をすることはもうないだろう。


最後に 2024 年 - 2025 年のギャルゲー一覧を載せておく。今後はランキングやまとめはやらない: サイトの ギャルゲーページ で引き続きすべてのゲームを検索できる:

2025年:

かなちゃんの完全吸血マニュアル /archives/14223/

透明な彼女と本当の僕 /archives/14217/

虹彩都市 /archives/14201/

オタクの人間冒険 /archives/14191/

何度目かのはじめまして /archives/14162/

ライムライト・レモネードジャム /archives/14125/

恋愛綺譚~存在しない記憶~ /archives/14117/

KATANA Project CompleteBox 煌花絢爛 /archives/14112/

恋愛、はじめまして /archives/14093/

ジュエリー・ナイツ・アルカディア -The ends of the world- /archives/14084/


2024年:

たねつみの歌 /archives/14067/

恋愛豚足丼 /archives/14188/

オトメ世界の歩き方 /archives/14035/

望却のエディシウス /archives/14021/

セレクトオブリージュ /archives/14000/

スカイコード /archives/13972/

きら☆かの /archives/13966/

プトリカ 1st cut:The Reason She Must Perish /archives/13958/

八剣伝 /archives/13945/

Inverted Angel /archives/13938/

『餓殍:明末千里行』 /archives/13919/

流る星 -a Wish Star- /archives/13904/

青羽 /archives/13900/

ハジラブ -making*lovers- /archives/13896/

はじめるセカイの理想論 /archives/13888/

ラブピカルポッピー /archives/13862/

僕の彼女は人魚姫!? /archives/13835/

Once‘ /archives/13835/

渡り鳥 /archives/13819/

Love Love School Days アップデートパッチ /archives/13808/

主人公が自殺するまであと七日 /archives/13708/

刹那にかける恋はなび /archives/13710/

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