『すみれ』レビュー

Sleeping Pretend

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ネットには「寝たふりをする人間は起こせない」ってことわざがある。

この言葉は俺の嫌いな連中によく引用されるけど、言葉自体に間違いはない。

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睡眠はただの休息で、正確に言えば自分が何時何分何秒に寝たかなんて誰にも分からない。コントロールできないからだ。コントロールできない睡眠から呼び覚まされれば、自然と目を開ける。だが寝たふりをする人間は、本当に寝たいわけじゃなく、周りに自分が寝ていると思わせたいだけ。

起きているのに寝ていると思わせるのはなぜか。簡単だ。見て見ぬふりをしたいだけ。起きた後に向き合わなきゃいけないことから逃げたいだけ。

簡単な例を挙げれば、嫌いなやつが話しかけてきたとき、そいつと向き合いたくないし、どう向き合えばいいかも分からないし、断りたくもないし、話したくもない……

机に突っ伏してぐーぐー寝たふりをする。友達が起こそうとするけど、元々起きているんだから、起きたフリをしないように自分をコントロールする。

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「寝たふりをする人間は起こせない」の意味はここにある。寝たふりを選ぶ人間は、そもそも起きたくないから選んでいる。だから起こせないんだ。

ねこねこソフトの15周年記念作品『すみれ』(紫罗兰)は、まさにこの「装睡」をテーマに選んだ。ゲームのOP名がSleeping Pretendなのと同じく、これは3人の女の子がいろんなことに向き合うために寝たふりをする物語だ。

物語は主人公が卒業して社会人になるところから始まる。毎日の仕事でオタクをやる暇もなくなり、忙しい合間にネットで時間を潰すようになる。ネットの仮想コミュニティで3人の女の子と知り合う。モエ、ピンク、多恵。この3人がゲームのヒロインだ。


現実のモエは存在感に欠ける人間だ。成績は中くらいで、毎日授業以外は机に突っ伏して寝たふりをしている。

そう、寝たふり。寝てない。寝たふりをしながら、耳を澄ませて周りの話を聞いている。周りのクラスメイトとも交流したいけど、行動に移せない。ただ延々と寝たふりを続けるしかない。ネット上のモエはというと、外交的で明るい女の子。現実とは全然違う……

この落差が生まれた理由は「嫌われたくないから」。

ネットは虚ろで儚い。着替え(アカウント)を変えれば生まれ変われる。でも現実には着替えなんてない。モエは放課後、校門前のバスに乗るのが怖い。クラスメイトに会うのが怖い。話すのが怖い。一言でも言い間違えたら嫌われるんじゃないかと不安になる。休み時間も話しかけられない。変なことを言って笑われないか不安で、友達は欲しいけど、どう始めればいいか分からない。逃げて逃げて逃げまくって、逃げ場がなくなったら寝たふり。

モエには虚栄心もある。作中にこんなシーンがある。主人公がモエの本人と義兄妹になり、学校まで迎えに来たことで、モエの彼氏だと勘違いされる。一瞬でモエは女子たちの話題の的になる。

それに対してモエが選んだのは説明ではなく、嘘と黙認。しかも自分が話題にされていることを嬉しく思う。でもすぐにバレて、返ってきたのは嘲笑だった。

モエはその噂話に耐えきれず、ついに爆発する。自分を噂する連中と完全に縁を切る。

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その後、モエは自分がなぜか変わったことに気づく。話したくなっている。もちろん噂していた連中じゃなく、自分の過去を気にしない人たちと。

「一部の人を敵に回したけど、一部の人を得た」

その後モエは友達を得て、寝たふりの影から抜け出す。

この世で生きていれば100%全員を喜ばせることなんてできない。友達が欲しけりゃ、一部と敵になる必要もある。


ピンクは現実ではクールな女の子。母子家庭で育った。母親は優しいけど、小さい頃から父親がいない。

幼い頃から父の愛を知らずに育ったピンクは嘲笑われ、一緒に遊ぶ友達もいなかった。そのうち孤独を愛するようになる。周りの人間が嫌いになり、世を拗ねるようになった。

そんな中でピンクはネットに逃げる。毎日学校は適当にこなし、放課後は誰もいない場所でネットにつなぎ、ネットの中でいろんな友達を見つけて一緒に遊ぶ。ネットにハマればハマるほど、現実が嫌いになる。

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正直、ピンクと話したがる人は多い。でもピンクはいつも冷たく対応し、見て見ぬふりをする。社会で生きる人間にとって、これもまた「装睡」だ。

ほどなくして、ピンクは自分が母親以外にほとんど友達がいないことに気づく。友達がいないのは誰も自分と友達になりたがらないからだと思う。時には自分から話しかけるべきかとも考えるけど、勇気が出ない。

主人公はピンクの正体に気づき、頻繁に接触するようになる。ピンクに嫌われても主人公は諦めない。

この辺の展開は説明不要だろ。自閉気味な女の子はみんなこうだ。『神のみぞ知るセカイ』の汐宮栞みたいに。

「栞は図書館を守りたいのか?それとも自分を受け入れてくれる唯一の場所を守りたいのか?外に出る勇気がないなら……俺が勇気をやる!」

「ピンク、遊園地で笑ってたじゃん……笑えるのに、なんで他人の好意を受け入れないんだ?」

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「現実を楽しむには一歩踏み出すだけでいい。勇気がないなら、俺が手を引いて一緒に進んでやる」

こうしてピンクは救われる。

時には自分から一歩踏み出すだけで、人生は変わる。


多恵は『すみれ』の第一ヒロインだろう。前の2編にも登場して、救済者として関わってくる。

実は多恵と主人公の出会いはもっと早い。

多恵はお嬢様だが、家庭はあまり円満じゃない。両親はいつも仲が悪い。そしてある日、多恵は慢性疾患で入院する……すると病気の多恵が両親の停戦の特効薬になる。二人とも自分を中心に回り始める。

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幼い多恵はその光景を見て、ある考えが浮かぶ……病床で寝たふりを始める。自分が病気のままでいれば両親は罰を受けると頑なに信じ込み、心にずっと引っかかりを抱える。多恵は自分の両親があまり好きじゃないんだろう。だからやり続けた。病棟の看護師は多恵が寝たふりをしていると分かっていたが、多恵に頼まれて両親には言わなかった。どうせ多恵の家は金持ちで、いくらでも入院していられたから。

多恵の長期間の昏睡に父親は深く絶望し、ある日、多恵を抱き上げて一緒に屋上から飛び降りようとする……娘がこうなってしまっては、自分が生きていても意味がないと。この時多恵は起きていた。目を開ければ父親は馬鹿げたことをやめる。でも彼女は開けなかった。

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結局、多恵の父親は多恵を下ろし、一人で飛び降りた。

父親を失った多恵はそれでもまだ寝たふりを続ける。多恵の母親も崩壊し、多恵はそのまま何年も何日も病室で寝たふりを続ける……やがて母親も自分から去っていくまで。

最初は小さなことのために始めた寝たふり。でも自分の寝たふりが引き起こす出来事がどんどん大きくなるにつれ、なぜ始めたのかも忘れ、習慣のように黙って続けていた。

幼い頃、多恵が寝たふりをしていた時、主人公も同じ病院に入院していて、多恵と知り合う。一緒に遊び、笑い、楽しんだ。やがて主人公は退院し、多恵はそこに残って寝たふりを続ける。二人はまた戻って一緒に遊ぶと約束した。でも多恵の父親が死んだ後、主人公は二度と戻らなかった。

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多恵は相続した資本を利用して会社を立ち上げ、オンラインゲームのコミュニティを作る。そして手段を使って、社会から逃げ、自分と同じように寝たふりをしている連中をその仮想社会に引き入れ、彼女たちに居場所を与える。自分も寝たふりをする者の一人だと分かっていながら、寝たふりの呪縛から抜け出せない。

物語の最後、主人公は多恵との約束を思い出し、病室にいる本当の多恵のもとへ行き、もう一度約束を果たす。そして多恵も救われる……

寝たふりで逃げても解決にはならない。しかも寝たふりは罠で、深みにハマりやすい。


『すみれ』は全体として、テーマ性は素晴らしい。社会の中で現実から逃げて「装睡」する人々を描くテーマは深くて重い。キャラクター造形にも良さはある。タイトルは一応第一ヒロインの名前だが、結局本当のヒロインは多恵なのは残念だ。

テーマは素晴らしくても、『すみれ』が良いゲームとは限らない。猫猫社15周年記念作品を名乗っているせいで、ゲーム内容に「記念」の要素を詰め込みすぎた。ゲーム内の仮想コミュニティに無理やり旧作のキャラやネタをぶち込んだり、そういうのは本編と一切関係ない。しかも本編には旧作の劇中劇を無理やり長々と挟み込んでいて、冗長で何を言いたいのか分からない。

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しかもそういうネタはほぼ序盤に集中していて、すみれ編が終わると、ゲームはネタも「記念」も完全に諦めたように、ただひたすらシナリオを進める。その進め方がすごく唐突で、三つの編が無理やりくっつけた感じで、まとまっていないし、安定もしていない。

立ち絵は全然良くない。絵師は『終わりの世界とバースデイ』の人で、趙本山フェイス。しかも頭が悪いことに、この絵師は自分が描く絵で抜けないと分かっているらしく、露骨に乳首やパンツをたくさん描く。でもこれじゃさらにダサく見えるだけだ。清純な少女のワンピース姿にも抜きどころはあるってのに、下半身をたくさん描けばオタクの購買意欲が上がると思ってる制作陣は何か勘違いしてないか……

とはいえ『すみれ』はテーマ的には悪くないゲームだ。むしろ斬新で深い。脚本家が過去に築いた評価には応えている。ただ残念なのは構成の仕方がひどすぎること。BGMもダメ、絵もダメ、シナリオはバラバラ。俺も飛ばしたり脳内補完したり、苦労して理解しながら、あのめちゃくちゃな三つのパートをやっとつなげた。中には張り紙広告みたいな「記念」コンテンツが多すぎるからだ。実は公式もゲームのomakeで、これは単独の独立ゲームというよりFandiskに近いとツッコんでいる。

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振り返ってみれば、シナリオ重視の人間として、『すみれ』はいくつか反省と共感を与えてくれた。社会から逃げること、嫌われるのが怖いこと、過度な孤独が生む「装睡」の現象は、俺自身にも深く心当たりがある。ネットと現実の大きな落差も俺にある。俺の実物を見たやつは、ネット上と違うと思うだろう。ネットのようなノリにはとても開けないし、自分もだんだんネットのコミュニケーションに慣れて、現実のやり方が嫌になってきた。これは俺だけじゃなく、ネット世代のほとんどが抱える悩みだと思う。

いつになったら自分は「装睡」の影から抜け出せるのか。ゲームOPのSleeping Pretendが歌うようにならないといいけど:

君が笑って くれたなら
これで 本当に良かった
出も書き換えることは出来ない
後悔を抱いている
私は眠りにつく
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