先に人を救え、世界はその後だ
俺はいろんな物語を読むのが好きで、前にも言ったように、物語から思想や感情を受け取るのが好きなんだ。単純に抽出されたものには興味がない。好きな物語は小説だけに限らなくて、いろんな方面に広がっている。うん、だからAVGゲームもその一種ってわけだ。
最近はずっと小説を読むのとギャルゲーを進めるのを交互に繰り返している状態で、あまりにも多くの物語を見てきた。楽しいものもあれば、感傷的なものもあり、退屈なものもあった。ただ、俺個人としては「哲学的サスペンス」みたいな筋書きが好きで、日本のシナリオには熱を上げている。中国産の脳死ハーレム白湯や、欧米の激しく刺激的な辛口と比べると、日本式のちょっと中二病っぽくてややスローペースな話はなかなかいいと思うんだ。

話がちょっと逸れたな。ギャルゲーはかなりやってきたけど、実のところシナリオが本当に検証に耐えるものや、完全な没入感を与えてくれるものはごく少ない。大半は茶化しや、都合よく言い寄ってくるヒロインをあしらう展開から逃れられない。エンディングやTrue Endで多少の展開があればそれでもう十分すごい方だ。初雪桜みたいにな。以前考えたことがあるんだ。ギャルゲーを作る会社で、単純な脳死ハーレム恋愛から飛び出して、冷静な視点で恋愛の酸っぱい匂いを避けながら、示唆に富む物語を最後まで語りきる勇気のあるところはないものかと。それならきっと最高だと。でも後になって、そんな考えは甘すぎると思うしかなかった。ギャルゲーはやっぱりGirl and Loveのゲームだ。ハーレムも桃色要素もなければ、誰が作るもんか。もちろん、これは『穢翼のユースティア』をプレイする前の話だが……そう言うのは、このゲームが確かに「恋愛の酸っぱい匂いから飛び出して、真面目に一つの物語を描く」という思想を実現していて、しかもなかなか上手くやっているからだ。あらゆる面で真剣で、最後まで一気にプレイして、シナリオには思わず膝を打った。こういう一気呵成に、最初から層をなして段階的に進み、最後まで貫き通す描写は、無限の余韻しか与えてくれない。 以下、重大なネタバレ注意
『穢翼のユースティア』の中国語化はかなり早かった。今になってやっとプレイしたのは、随分前にネタバレを食らっていたからだ。ネタバレの内容は大体こんな感じ:
1、ユースティアは世界を救うために自分を犠牲にした 2、盲目の聖女は偽物 3、アリスはヤンデレで萌えすぎてヤバいああああ
でも今振り返ると、そのネタバレは一つも当たっていなかった……ある意味、ネタバレした連中の不正確さに感謝している。おかげでまだゲームの楽しみをそれほど失わずに済んだ。ゲームのタイトルは『穢翼のユースティア』だけど、俺が思うに実際の主人公はカイムだ。このゲームが語るのは、カイムを中心に展開する、正義、独立、信仰、公正、救済についての物語……
フィオネと正義
不出来なネタバレ野郎のおかげで、フィオネの登場時はただの通りすがりの女かと思っていた。実際にヒロインになると知ってちょっと意外だった。フィオネ編のシナリオはカイムとフィオネの恋愛描写にはあまり重点を置いていない。実は後の女性キャラ全員に言えることだが。フィオネは羽狩で、国に管理された軍の人員だ。中国の城管みたいなものだと思ってくれ……うん……評判も大体そんな感じだ。カイムとフィオネの接点は、黒羽という怪物を追跡するうちに生まれる。フィオネは剛直な性格として描かれ、国に忠誠を尽くす。羽狩の評判が悪くても、自分がやっていることが正義だと信じている。しかし、こういうキャラほど、自分がやっている「正義」が本当の正義じゃなかったと気づいた時に壊れやすい。フィオネは追っていた黒羽が実の兄だと知り、自分が護送していた羽化病患者が本当に保護されているのではなく殺されていること、自分がずっとやってきたのは正義という名の死刑執行人の行為だと知る。フィオネは完全に崩壊した。前に『翠星のガルガンティア』を見た時も言ったが、人が最も恐れるのは、ずっと信じてきたものが偽物だと気づくこと、あるいは信じてきた正義が偽善だと気づくことだ。心の支えが光ではなく毒瘤だったと突然わかるようなもので、瞬間的に訪れるのは崩壊だけだ。フィオネの兄、つまり黒羽は、死の間際にフィオネにこう告げた。「剣を役するのであって、剣に役されるのではない」と。本当の正義は自分で打ち立てるものであって、誰かに教えられるものじゃない。ただ茫然と信じているだけではダメだと。カイムはずっと羽狩を快く思っていなかったが、フィオネのような奴には心を動かされた。最後には冷笑と皮肉でフィオネの決意を刺激し、落ち込みから立ち直らせ、真の正義を追い、独立した自我を持つに至らせた。しかし……カイムに対して憎しみも抱いている。
ここまでプレイした時点では、フィオネも多かれ少なかれカイムがわざと自分を嘲って奮起させていると分かっているようで、でも頭が固すぎて、そのまま誤解してカイムの対立面に立つしかなかった。まあ、最後まで対立する機会はそれほど多くなく、口喧嘩程度で済んだのは幸いだ。
アリスと独立
正直、フィオネ編が終わってからアリス編までの間には結構な間隔がある。一見あまり関係がない、とても独立した話に見える。唯一の関係は、ティアが羽化病患者として安全になったことくらい。もちろん別の面から言えば、アリス編でさえアリスとの関係は薄く、むしろ不蝕金鎖と風錆の抗争が中心だ。正直この二つの幫派の争いは見どころがあまりなく、どちらかと言うと謎を醸成し、次の章への伏線を張るためのもの。つまり、この章の内容は伏線を張るだけで、ついでに幫派抗争を手がかりにアリスという女性の過去を語っている。
アリスは幼い頃から人形として育てられ、すること為すことすべて親に決められていた。「あれをしなさい、これをしてはいけない」と。アリスはまるで操られているように命令に従うだけだった。やがてアリスの親は殺し屋カイムに殺され、自身は娼館に落ちて娼婦になる。カイムは内心で彼女に負い目を感じ、身請けする。救済されたアリスはカイムを自分の主人と考え、何をすべきか、何をすべきでないかを教えてほしいと願う。一方カイムはアリスに自由を返したいと思う。しかしアリスは幼い頃から人形として扱われてきたため、自由を告げられるのは糸を切られたようなもので、完全に沈み込み、どうしていいかわからなくなる。カイムに命令を下してもらうため、あるいは少しでも自分を見てもらうために、わざと愚かさを装い、自傷し、裏切り者にまでなる。ただカイムから命令を告げられるためだけに。ここまで来ると、アリスは悲劇的な女だとしか言えない。ヤンデレでもなければ、萌えるとも思えない。ただ可哀想だと感じるだけだ。

正直、この人形のような感覚は、俺たち誰しも多かれ少なかれ持っているんじゃないか。子供の頃から、自分の人生の段階はどうあるべきか教えられてきた。幼稚園に入ればその後に中学があると知り、中学が終わればその後には高校があると知り、高校が終わればすぐに大学があると知る。そして大学を卒業した後、多くの人は迷子になる。
なぜなら、これからの自分を導いてくれる人は誰もいないからだ。残された選択肢は自分だけ。ああ、そうだ。親が働き口を手配してくれる奴もいるだろう。大学院に合格するために必死に勉強して、社会に出る現実から逃げ続ける奴もいるだろう。でもその先は?社会の奔流は遅かれ早かれお前を飲み込む。準備のできていない奴は渦の中で途方に暮れるしかない。
「お願い、カイム、どうすればいいのか教えて。自分が何をすべきかわからないの。誰の命令に従えばいいのかもわからないの」アリス編の最後、アリスはカイムに方向を示してほしい、いや命令を下してほしいと懇願する。人形であることに慣れてしまった奴は完全に独立を失っている。人間が、生きている人間が、自分の人生の目標もわからず、何のために生きているのかもわからない。それは確かに人形と何が違うのか。カイムが言うように、アリスには生きる能力があり、優れた医術を持ち、社会でやっていける。でも彼女はその社会を恐れ、勇気を持って行動することも、自分で選択することもできない。いや、選択する能力すらない。何をすべきか、何をすべきでないかは、ずっと他人が選んでくれたのだから。
もっと皮肉なことに、アリスルートに入りたければ彼女の主人になる選択をすべきで、物語を進めたければアリスを独立させ続けるべきだ。正直この場面でアリスを拒むのは忍びなかった。彼女があまりにも可哀想だから……
「世界そのものが不公平だ。不公平な世界に浮かび、不公平に直面して生き残り、それでも自我を保てるなら……お前には価値がある」カイムは言葉でアリスに世界の不公を受け入れさせ、アリスも自我を見つけ、もう人形でいることを望まなくなった。プロセスは少し強引かもしれない。尺の都合だろう。でもともあれアリスにとっては救済だった。
すると大学卒業の頃、多くの人が「大学にヤられた」と嘆くのを思い出す。俺もかつてはその意見に同意した。でも今振り返ると、大学がもたらすのは勉強や深造よりも、人と人との交流の確立……そして、この世界に存在する不公をあらかじめ感じさせ、受け入れさせることだったのかもしれない。
コレットと信仰
『穢翼のユースティア』の世界観では、世界全体が浮かんでいる。天使の力で世界が浮いていると言われ、神に選ばれた聖女が毎日天使に祈り、世界が浮かぶ願いを叶えている。もし世界に動揺が生じ、浮かぶ世界が崩壊したら……それはきっと聖女の祈りが足りず、天使を怒らせた罰だ。
ずっと民衆はそう思ってきた。カイムもそうだった。カイムが聖女コレットに出会うまでは……
コレット編の序盤はそれほど重くない。カイムは大崩落の被害者で、ずっとコレットに良い印象を持っていない。世界の崩落はコレットの祈りが誠実でないことと大いに関係があると考えている。コレットが自分は操り人形のようだ、信徒は誰も本当に自分を信仰していないと嘆く時、カイムは心の中でこう呟いていた:
「聖女と呼ばれるのは世界を浮かせることができるから信仰されるだけだ。聖女が世界を救えなくなったら、誰が信じるもんか」

その時、毎日下の階でパチモンのキリスト賛美歌を大声で歌うおばさんたちを思い出した……彼女たちは癌か他の難病の患者らしい。元々イエス・キリストなんて知らなかったのに、伝道者の話を聞いて、主を信じれば病気が治ると聞いて、慌てて信仰を拾い上げ、神が自分たちの命をもう少し長引かせてくれることを切望している……
俺は、これは信仰とは言わないと思う。
コレットが後にカイムに打ち明けたように、自分は聖女として世界が浮かぶために祈ったことは一度もない。世界の維持は別の人がやっていて、自分の祈りはただ天使に誠実に懺悔し、耳を傾けるだけだった。やがてカイムは、コレットが本当に天使の声を聞けることを知る……もしかしたら別の意味では、彼女は本当に聖女なのかもしれない。
聖女は「浮遊都市」という理念の上では偽物で、世界を維持しているわけでもなく、何の役にも立たない。ただ天使と交信できるだけ……この衝撃の事実にカイムはさらに驚く……そして次にカイムが知ったのは、聖女の役割は国王がスケープゴートを立てるために過ぎないということ。民衆に「世界の平穏は彼女がもたらした。世界が平穏でなければ、責任の所在は彼女だ」と示すため。

聖女の選定は厳密ではなく、適当に女の子を選ぶだけでいい。聖女の役割は、社会が動揺した時に差し出され、民衆に「すべて彼女のせいだ」と告げられ、処刑されて怒りを鎮めること。
コレットは可哀想だ。たとえ本当の意味での聖女であっても、世界を浮かせることはできないから死ななければならない。誰も本当に聖女を信仰していない。誰も本当に天使を信仰していない。信者たちはただ「こっちは信じてやってるのに、なぜ利益をもたらさないんだ」と感じているだけ。
下の階で賛美歌を歌うおばさんたちが臨終の際に、イエス・キリストが命を延ばしてくれなかったと罵るかどうかはわからない……ある人が言っていた。中国人には信仰がない。あるのは等価交換と利益交換だけだと。「利益をもたらさない信仰は誰も信じない。でも本当の信仰がただ自分の心の平穏のためだけだなんて、誰が知るだろうか」と、俺の知り合いの本物のクリスチャンが言っていた……
人は他人が利益をもたらしてくれる時にだけ、この最後の藁にすがって「信じます」と言う。本当の無条件の信頼なんて……ほとんど存在しない。
時には、自分に信仰が必要なんじゃないか、本当の意味での信仰が、と反省する必要があるのかもしれない。
リシアと疑問
リシア編のシナリオはすでにほぼ本筋に近づいている。カイムは王室に入り、現在の権力者が王女リシアであり、真の権力者は摂政王だと知る。摂政王は容赦なく、すべてを掌握し、天子を狭んで諸侯に命じる。リシアは摂政王の影に生きる子供だ……アリスのように、人形のようで、何もできず、何も知らず、ただ茫然と他人の言葉を信じ、他人が言えばそれが正しいと。疑問のかけらも持たない。
「摂政王が言うには、民衆はみんなよく暮らしている。下層は災害を受けたが、すでに大量の物資を送ったから問題ないはずだ」
下層の人間であるカイムにとって、そんな言葉は到底受け入れられない……そこで彼はこの王女に世界の本当の底辺を見せ、摂政王の言葉がすべて嘘だと知らせることにした。一日王宮を抜け出して現実の社会を見た後、リシアは迷いに陥る。自分がずっと騙されていたなんて信じられない。摂政王を疑いたいが力がない。軍隊もない、思想もない、何より国王としてのオーラがない。

貴族のルキウスは国王の意見を支持するが、大多数の王族は国王のようなやり方には同意しない……
例えば、お前が家と金を持ち、美味いものを食って飲んでいるとして、突然誰かが「社会には貧富の差がある。お前の財産を出して他人と平等に分けるべきだ……そうすればもっと安泰に暮らせる」と言ってきたとする。すぐに受け入れられる奴はいないだろう。それが理にかなっていても。
王城には正義の士もいれば良臣もいる。しかし彼らは今の王女に国王になる能力があるとは信じていない。基本的な信頼がなければ国王に権力はなく、権力がなければ摂政王の支配を覆すことはできない。
王者になるには統率力と基本的な判断力が必要で、普通の人とは違い、良い統治者であるためには、物事の見方に個人的な感情をあまり持ち込むべきではない。過去のリシアは摂政王を無限に信頼していた。そして今、リシアは摂政王を無限に拒絶し、カイムを無限に信頼している。カイムにとっては良いことだが、国王になろうとするリシアにとっては間違った道だ。
「王者になるには、すべてに疑いを持て。自分の目で見たものだけを信じよ。他人の口から出た言葉は、まず疑え」
「じゃあカイムの言葉は?」
「俺に対しても、絶対の信頼を置くべきではない。これが孤独な王者の道だ」
ある人が言っていた。神には感情がない。感情があれば偏りが生じ、物事の裁決が公平でなくなるからだと。国王も結局は人間で、絶対的な冷血にはなれないが、できる限り世界の公平と公正を維持する必要がある。良い心構えを築き、すべてを信じ、すべてを疑うことで、王者のオーラをまとうことができる。
そしてリシアはカイムへの未練を捨て、冷血な王者となった……忠臣が従い、クーデターは成功し、摂政王も倒され、都市が浮かぶ秘密も明かされ、最終章が訪れる。
ティアと救済
都市が浮かぶのは天使の力に違いない。しかし天使自身が人間に拉致されていた……天使には人類を救う力があり、焦った人類は天使が自分たちを見捨てるのを恐れ、都市の中心に縛り付けた……摂政王の所業は天使を救うことではなく、天使の力を抽出して愛する女を救うことだった。
摂政王は倒れ、女も救われず、拉致された天使は死にかけ、人類への憎しみを抱き、世界は危機に瀕する。天使の力のない都市はまさに落ちようとしている。
ティアは最初から翼を持ち、聖女コレットもティアが天使の子であることを予知していた。彼女には羽化病患者を救う力がある。ルキウスはカイムに、世界の救済のためにティアに実験を受けさせる必要があると言う。苦痛を伴うが、世界がなければすべてがなくなる。
そしてカイムはティアに告げる。世界がまさに滅びようとしている。お前だけがこの世界を救える。苦痛は伴うが、自分を犠牲にする覚悟はあるか、と。
ティアは同意した。そして実験室には毎日ティアの苦痛の叫びが響いた。ティア自身も苦しい。でもそれがカイムの望みだから、耐えていた。
ここまで進んで、何かがおかしいと感じ始めた。ルキウスの実験への熱意は想像以上だが、ティアやカイムの気持ちを無視しているわけでもなさそうで、ただ一つの理屈を突きつける。「世界を救うか、ティアを救うか」
一人を救うか、大勢を救うか。

単純な選択問題に見える。より多くの人を救えるなら何が悪い?
しかしカイムが二度ティアを見舞ううちに、ティアの苦痛にカイムは揺らぎ始める。ルキウスも、ティアはこれで犠牲になるかもしれないと言う。一人を犠牲にして世界を救うのは、割に合うのか?
やはり一人を救うか大勢を救うかの問題だ。
割に合う、もちろん割に合う。この時のカイムはすでにフィオネが直面した偽りの正義を見て、アリスの独立問題も経験し、哀れな生贄の聖女も見て、リシア王女を通じてこの国が抱える醜さも知った。ティア自身も犠牲になることを望み、この世界を救いたいと思っている。ルキウスの言葉には隙がない。
親友ジークに会うまでは:「カイム、お前はもう完全に上層の人間みたいに見えるな。ただ、自分ではもう歩けなくなってるみたいだぜ」
この時、俺はもうわかっていた。ルキウスも、ティアも、ジークも、リシアも、誰も間違っていない。それぞれ自分の道を進んでいる。迷っているのはカイム自身だ。
都市の崩壊は進行し、下層の人々はもはや安全を感じられない。ティアの実験も依然として進展がない……
ジークは我慢の限界に達し、蜂起しようとする。カイムはジークに、世界が崩壊している、救済が必要だ、もう少し時間をくれと言う。
ジークは意味深長なことを言った。
「わかってるよ、カイム。世界が崩壊している。たぶん下層を犠牲にしないと世界の存在は確保できない。でも、俺は下層に生まれた。俺は下層の利益しか代表しない」と。
世界を救うには下層を犠牲にする必要がある。しかしジークが守りたいのは下層であって、いわゆる世界ではない。
世界とは何か。世界は人のために存在するのか、それともそれ自体のために存在するのか……世界を救うのは大切な人を救うためだ。世界が救われても大切な人がいなくなったら、世界を救う意味はどこにある?
この時のティア視点の描写も注目に値する。作者が意図したのかはわからないが、ティアは苦痛に耐える時、一つも「世界を救いたい」とは思っていない。語る言葉も、浮かぶ念頭もすべて「カイムさんを救いたい」だ。
ティアが救いたいのは世界ではなく、カイムだ。
この時のカイムは依然として迷っている。ここでルキウスがもう一つの真実を明かす。実は自分はカイムの兄だと。しかしルキウスはそれでカイムに自分の意見を同意させようとはせず、ただ一つ質問した。
「お前は自分の生きる意味を見つけたか?」
カイムは大崩落を経験し、ずっと生きることはやむを得ないものだった。娼館に売られ、男娼になりたくなくて殺し屋になり、人を殺したくなくて普通の依頼だけを受ける。ジークが仕事を与え、カイムがこなす。それだけ。ティアの身の上に興味を持ったのが初めての自主的行動だったが、それでも自分が何のために生きているのかはわからない。
人は目標なく生き、ただ運命に流され、他人の答えを期待する。今のカイムも、ルキウスの言うことが正しいのか、それが本当の正義なのかわからない。同時にカイムは冷静すぎる疑問と損得の比較で自我を失っている。ティアに会い、ティアが自分のために犠牲になっているのを見て、ティアを犠牲にしたくないと思っても、いわゆる理性的な損得勘定が、ティアを救うことより世界を救うことの方が重要だと告げる。
ここでシナリオはほぼ明確になった。カイムが救いたいのはティアだが、世界を救うにはティアを犠牲にする必要がある。
カイムの救済
世界を救うことと一人を救うこと、どちらが重い?
カイムはずっと傍観者の口調で、フィオネの正義を嘲り、アリスの盲従を責め、コレットの信仰を挑発し、リシアの純粋さを導いてきた。結局のところ、自分は「正義を持ち、決して盲従せず、信仰もなく、すべてを疑う」冷静な奴で、すでに自我を失い、人間ではなくなっている。
ここで一人の人間が成熟する三つの段階を思い出した。
まず成長期、誰もが他人の注入した意見を模倣し受け入れやすい。盲目的に他人の言葉を信じ、木偶にすらなり、他人が自分の道を導いてくれることを期待する。
そして物事への理解が深まるにつれ、人は疑問を持つことを学び、冷静になり、万物を思考し判断すべきだと知り、損得を比較し、大局的に有利なものを選ぶ。しかし、冷血にもなり始める……
国王は国を統治するために冷血が必要で、すべてを捨てる。しかし国王は一人しかいない。
最終的に、俺たちはようやく気づく。守るべきものは何なのか……人なのか、それとも世界全体なのか……
俺たち一人一人の世界は、自分と自分の周りの人でできている……孤独な世界なんて、俺たちにとって滅亡と同じだ。『明日の世界』で主人公は友人と共にいることを選び、生き延びることを選ばなかった。カイムもきっとティアを救うことを選ぶはずだ。犠牲にするのではなく。
シナリオ中でのカイムの目覚めは残念だ。遅すぎる……遅すぎる……ここでの18禁要素の追加は異常に唐突で、ゲームの評価をかなり下げている。二人がヤった後にカイムがティアを研究所に送り返すなんて、ここを見て腹が立って仕方なかった。
幸い最後にはカイムも正しい選択をした。ルキウスの選択は彼が前に言った通り、多数を救うために少数を犠牲にするというものだったが、彼も悪役ではない。カイムが自分の生きる意味を見つけたことを喜んでもいる。意味と言うより、立場だ。誰もが世界の中で自分の役割と立場を持っている。生きる立場を見つけることが、自分が生きている最高の証明だ。
ティアを救うのは遅すぎた。ティアはすでに天使と溶け合っていた。老天使はかつて人類を救おうとした……しかし貪欲な人類は老天使に信仰も敬意も払わず、聖女に対するのと同じように、老天使の浮かせる能力だけを必要とした。そして人類の悪性が露わになり、老天使を縛り付けて恥知らずに要求した。
「人類はお前が救うに値しない。この世界を壊せ!」老天使はティアにそう命じた……
ティアは詠唱を始め、カイムを見るまで正気を取り戻した。カイムはティアを救うことを選んだ。遅かったが、やらないよりはましだ。
そして今、ティアは選択を迫られる。世界を救うか、自分を救うか。
優柔不断なカイムと違い、彼女は迷わず世界を救うことを選んだ。世界を救うことがカイムを救うことになるから。彼女が救いたいのはカイムだけだ。

結末と考察
『穢翼のユースティア』の結末はHAPPY ENDだという人がいるけど、自分はそうは思わない。ティアは自分を犠牲にして世界を救った。でも彼女が救おうとしたのはカイムのためで、老いた天使が言った通り、カイムが心変わりしないとも限らない……だってティアはもう姿をなくして、大地そのものになってしまったのだから。
これから先、大地の傷ができるたびにティアはまた傷つく。将来のティアが老いた天使と同じ道を辿らないとも限らない。仮にカイムが最後まで変わらなかったとしても、カイムが年老いて土に還ったあと、ティアは一体何を守るというのか。もしかしたら世界のもう一度の終わりが、そこで訪れるのかもしれない。
ゲームのOPはとても良い。EDは『親愛なる世界へ』というタイトルだけど、ティアが本当に救いたかったのは世界じゃなくて、カイムだけだったんだと思う……
人を救うとはどう救うのか、これは永遠のテーマだ。この前、友達がこの件についても議論していた。選択は人を救うか世界を救うかほど悩ましくはないけれど、これもまた人数の多い少ないの問題ではある。
選択は実は単純だ。まず自分にとって大事な人を救う。聖母様気取り? そんな資格は誰にもない。
誰しも自分の世界は、身近な大事な人たちでできている。彼らがいなくなれば、自分の世界も存在しなくなる。
まず人を救う、それから世界だ。
その他
ゲーム制作の精巧さには驚かされた。今まで遊んだ中で最も誠意を感じるゲームだと思う。キャラデザイン、音楽、シナリオ、演出効果、そして声優の演技のスタイルまで。さらに驚いたのは、ゲームがわざと萌えやエロを売りにしていないこと。物語全体がずっとシリアスな雰囲気に浸っていて、主人公にも声が当てられているのはそのためだろう。八月社は本気で物語を語ろうとしていて、抜くためのゲームにしようとはしていない。
ルートについては、TRUE END一直線をおすすめする。つまり、道中で出会うヒロインたちの好感度をすべて断る選択をすればいい。ただ自分に言わせれば、それは拒否というより、彼女たちの救済を手伝うようなものだ。なぜならメインルート以外のルートのシナリオはどれも虚構すぎる……美しい夢のようなもので、TRUE ENDを知ったあとにプレイすると、余計に辛くなる。
『大図書館の羊飼い』がアニメ化されるそうだ。もちろんあの賑やかな作品よりも、『穢翼のユースティア』の方が映像化に値すると思う……でもこのシナリオは、FSNやFZと同じ待遇を得られない限り、原作をぶち壊す可能性の方が高いだろうな……
とにかく、忍耐力があるなら、このゲームをちゃんとプレイしてシナリオを見てほしい。近年では珍しい良作、そういうことだと思う……
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