最後で最悪とも言われる『大衆軟件』の最終号を買った

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昨年の年末、SNSのタイムラインで誰かがシェアしていたウェブページを見て、衝撃のニュースを知った……

『大衆軟件』は2017年に休刊したらしく、そして2016年の最終号が魔点でクラウドファンディングをやっているという。

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衝撃を受けたのは『大衆軟件』が終わること自体じゃない。「大軟ってもう2014年に終わってたんじゃなかったっけ?」という点だ。

検索エンジンを使えばすぐ分かる通り、2014年に『大衆軟件』は休刊すると言われていて、その後は名前だけ残って実質死んだ状態みたいな話だった。俺もそれ以降は追いかけていなかったし、ずっと死んだものだと思っていた。それが今になって生きていると聞かされ、喜んだのも束の間、これが最終号でもう本当に死ぬと聞かされて、気持ちが複雑になるのは避けられない。

ご想像の通り、俺はこのクラウドファンディングに参加して、最終号の『大衆軟件』を手に入れた。手に取った時、多少なりともガッカリした。

ガッカリその1:郵便の配送が遅すぎる ガッカリその2:この雑誌、薄すぎる

郵便が遅いことについては特に言うことはない。雑誌が薄くなった件については、俺にも発言権がある。家に残っている2002年の『大衆軟件』を持ち出して比べてみた。今手元にあるこの「11月・12月合併号」は、15年前のこの雑誌のせいぜい3分の2しかない。

正直、今の『大衆軟件』にそこまで多くを求めているわけでもない。どちらかといえば思い入れのようなものだ。だからゆっくりページをめくって、我慢しながら読んで、だいたい1時間くらいでざっと読み終えた。

ぶっちゃけ、今これを最初から最後まで全部読めと言われたらかなりキツい。中に載っているハードやソフトの話の多くは、ネット上でとっくの昔に見たものだ。それに今はゲーム市場をそんなに詳しく追っていないから、多くのゲームはタイトルを眺めて、内容を軽く流しただけ。

それでも予想外だったことがある。「魔之左手」と「Cross」の両編集者がまだいたことだ……「魔之左手」にはかなり印象がある。一番覚えているのは、昔林暁がやってた読者交流コーナーで自分を「手手」と呼んでいたこと……めっちゃキモい……

実はこの雑誌を読む前から、ネットでこの雑誌についてのツッコミを散々見ていた。内容がスカスカでつまらない、広告だらけ、よりによって最終号なのにこんなボロを出すとは、誠意ゼロ、などなど。中には「これは『大衆軟件』の最終号であり、最悪の号でもある」とツッコむ人もいた。

しかし俺が個人的に読んだ感じでは、むしろどこか懐かしい匂いがした。

家にある古い『大衆軟件』まで引っ張り出して比べて、自分のその考えが正しいことを確かめた。

前半は相変わらずハードウェアの評判、次にソフトの活用法、そしてニュース欄。後半は相変わらずゲームの紹介とレビュー、それにゲームの文化や舞台裏、派生系の記事。最後にはゲームの二次創作コーナー、読者交流、ゲームランキング……

無理やり違いを挙げるなら、増えたスマホゲーの内容と、裏表紙からDellのノートPC広告が消えたことくらいか?

でもこれは確かに昔の『大衆軟件』のスタイルだ。この雑誌のどこがツッコまれるのか、正直分からない。確か2008年頃だったか、大学に入ってから『大衆軟件』を一冊買った。その雑誌もだいたい1時間で読み終えて、読み終わった感想は今と同じだった。

良くも悪くもない。『大衆軟件』は俺の中で、内容はもともとこんなもんだった。ただネットメディアの発展とともに、『大衆軟件』のような紙媒体はどんどん優位性を失い、『大衆軟件』の効用もどんどん小さくなっていった……

『大衆軟件』が全盛だった頃を思い出すと、俺たちはみんな学生で、PCを触る時間は限られていたし、ネットもそんなに便利じゃなかった。一冊の『大衆軟件』をカバンに楽に突っ込めて、授業中に教科書の下に敷いてじっくり読める。先生の話を聞くよりよっぽど面白いだろ? そうして一冊の『大衆軟件』はクラス中にすぐ回っていった。ネットも情報も制限されていた若い時期、この雑誌はほぼ外界を知る唯一のチャンネルだった。昔ラジオを聴いていた人が多かったのと同じだ……それは仕方のない手段で、当時の状況に合った要素があった。

しかし今は昔とは違う。ハードやゲーム、アプリの評価や感想を知りたければ、ブラウザを開くだけでいい。PCを開く必要すらない。スマホを出してアプリをいくつか開けば済む……紙媒体『大衆軟件』の内容の80%は、その前では優位性が完全に消える。一番大事なのは、『大衆軟件』を見て育った俺たちの世代がもう学生じゃないことだ。俺たちは少しずつ大人になって社会の主流になり、この社会に参加し始め、この社会に影響を与え始めている。主要メディアや情報源のどこにも俺たちの姿がある。そしてメディアの多様化によって、もう戻れなくなっている……

そう、戻れない。ニュースを見てもコメントできない、XやInstagramにシェアできない、なんて苦痛だ。ハードのレビューを見ても、エロい男性配信者が動画でグダグダ喋ってくれないと物足りない。だんだん、爆発する情報の流れの中で、俺たちの記事への態度もどんどんせっかちになっていく。サイトを開き、興味のあるカテゴリを探し、タイトルを見て、アイキャッチを見て、だいたいの内容を見て、タブを閉じて次へ。記事が少し長いと「まとめをくれ」と言う。せっかく書いた文章を最後まで真面目に読む人がいるだけでも儲けものだ。ほとんどはチラ見するか、重要なとこだけ見てスクロールする。正直に言うと、この最終号の『大衆軟件』に載っているゲーム関連の感想のうち、何本かはけっこういい出来だった。少なくとも、どこかの「ゲームをやるのはみんな友達(国産課金/スマホ/LoL/ブラウザゲーを除く)」と自称する場所の平均点以上ではある。でも誰が気にする? 誰が読む? ましてやこれらのゲームの紹介やレビューは1か月前にはネット上に溢れていて、みんなもう興味を失っている。

結局、この最終号の『大衆軟件』は昔のあの味のままだ。ただ、読者である俺たちが、昔の「俺たち」じゃなくなっただけだ。

「この最終号は広告だらけだ。最後のページを破いて、残りは捨てていい」と笑う人もいた。

何なんだろうな。冷静に言えば、この号の『大衆軟件』は広告そんなに多くない。手元の2004年頃の雑誌をめくると、真ん中の広告はもっと氾濫していた。その広告のおかげで当時の雑誌はあんなに厚かったんだ。

「大衆軟件は2014年に死んだ。今のは羊頭狗肉だ」と皮肉る人もいた。

何なんだろうな。この最終号の『大衆軟件』の記事を読んで、少なくともCrossと「魔之左手」がまだそこにいるのを見たし、ほとんどの記事の質は悪くない。「シヴィライゼーション」シリーズの起源の説明は、俺が見た某ネットトーク番組よりよほど严谨だった。ただ、みんなもう読むのが面倒なだけだ。もっと便利で面白いチャンネルがあるから。俺が少しキツいと感じたのは、唐突な「スマホゲー」のパートくらいだ。でもこれがトレンドなんだから、何もクールぶる必要はないだろ? スマホゲーのプレイヤーはプレイヤーじゃないのか?

なぜあんなに多くの人がガッカリしたのか分かる。みんな『大衆軟件』の最終号だと知っているから、心の中で無意識に、この最終号は『大衆軟件』のこれまでを振り返るものだろう、泣かせるかもしれない、『大衆軟件』シリーズが誕生から終焉までを振り返るかもしれない、などと思い込んでいた。ところが手に取ってみたら何もない。ただの普通の雑誌で、しかもネット資源に慣れた俺たちにはもう見慣れない雑誌。当然、一瞬でガッカリする。

でも考えてみれば、『大衆軟件』の最終号はクラウドファンディングの時に「特集号」にすると言っていなかった。俺もこの雑誌を読み終わってから魔点で向こうのクラウドファンディング宣言を見直したが、「特集号」になるという内容は書かれていなかった。書かれていたのは、最後に「かつて大軟に関係した編集者全員のサイン」を集めるということだけ。そして実際に「Darwin」「Walker」「林暁」「氷河」「美麗人生」など、馴染みのある名前が中にあった。

まあ言ったことはやったし、詐欺でもない。俺たちが本当に考えすぎたのかもしれない。『大衆軟件』は昔のあの「大軟」のままだ。ただ紙媒体として、元々の内容と構造が、確かにこの時代に合わなくなっただけだ。

前に誰かと話した時にも言ったが、『大衆軟件』は成功して方向転換し、ニュースや動向の報道から離れて、質の高い評論とゲーム文化の雑誌になることもできたはずだ。でもその道には進まなかったんだろう。原因はいろいろあるが、雑誌が終わりを迎えたなら、そっとしておいてやろう。


後記:

『大衆軟件』は俺たちの青春を代表している。

この言葉は陳腐だし、何度も言われてきた。でも確かに事実だ。実際、俺たちの青春を代表できるものはたくさんある。WCG、『ゲーム東西』、『ウォークラフト』、Nokia、ファミコン、『我愛我家』、などなど……時々過去を懐かしむのは、過去の人や出来事を懐かしんでいるだけじゃない。懐かしんでいるのは、かつて若かった自分の過去と、もう二度と戻れないあの美しい時間だ。

『大衆軟件』と言って思い出すのは、中学時代によく買っていたある新聞スタンドだ。通学路にあって、経営していたのはおじいさんとおばあさん(実はそんなに年寄りじゃなくて、たぶん今の俺の親くらいの年齢だったかもしれない)。正直に言うと、中学時代に買った雑誌は全部そこで買っていた。買う回数が多かったから、そのおじいさんとおばあさんとも顔馴染みになって、わざわざ『大衆軟件』を一冊取っておいてくれた。『大衆軟件』の新刊が入荷すると、俺が来るのを見て「入ったよ」と声をかけてくれたりもした。

いい老夫婦だった。彼らのスタンドも何度か引っ越して、その度に俺に知らせてくれた。でも中学を卒業してから、俺はそのスタンドに二度と行かなくなった。大学卒業の数年前に思い立ってまた行ってみようとしたら、もう見つからなかった……

鄭州では2012年頃から新聞スタンドが全面的に禁止された……それ以来、新聞スタンドを二度と見かけなくなったし、あの老夫婦に会う機会も永遠に失った。今どうしているのか分からない。

よく夢を見る。目が覚めたらまだ中学の机の上にいて、友達と「ウォークラフト3」の兵種の相性の話をして、最新の『大衆軟件』の内容について話して、放課後には一緒にあのスタンドを通って雑誌を買い、あの老夫婦を思い出し、中学の夏の暑さと冬の雪を思い出す。あれはたぶん、俺の人生で一番いい時間だったんだろう。

俺は黙ってこの最後の一冊の『大衆軟件』をしまい、目の端の涙を拭った。多くのことは、もう戻れない。一冊の最後の雑誌がもっと多くの思い出をくれた。これもまた、一つの価値なのかもしれない。

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