暗黒童謡とコマドリの悲劇
私は教養のない人間で、暗黒童謡なるものを聞くまでそんなものの存在すら知らなかった。初めてそれを意識したのは『名前のない怪物』で、とあるアニメのEDを見た時に気づいたんだ。正直なところ『名前のない怪物』は読んでいて少し薄気味悪い。というのも、この中の「怪物」は欲望、罪、汚れなど、恐ろしいものにいくらでも置き換えられてしまう。そうやって当てはめてみると、この童謡はさらに怖くなる。
「さすが暗黒童謡、考えれば考えるほど怖い」ほんの数語なのにこれほどの余韻があるのだから、暗黒童謡の威力は侮れない。
ところが、ある日ふと自分が子どもの頃に唱えていた童謡を思い出して、どうもそういう話でもない気がしてきた。
子どもの頃の童謡といえば、いつも「オオカミ」という万年悪役を中心に回っていた。オオカミはいつも羊を食べようとする。子どもたちはそれぞれオオカミ役と子羊役に分かれて……いや、オオカミと子羊に分かれて、いろんな遊びをする。捕まった子はオオカミに「食べられた」とみなされ、別の子がオオカミを捕まえることで、食べられた子を腹の中から救い出せる。
待てよ……食べる?腹の中から救い出す?私はまるで、大きく口を開けたオオカミが人を胃袋に飲み込み、別の誰かが鋭いナイフをオオカミの腹に突き刺し、大量の血が噴き出し、腹を切り裂いて、血まみれで胃酸まみれの、まだ消化しきれていない子羊を抱き出す光景を見た気がした。
血なまぐさいにもほどがある!
ところが子どもたちはそうは思わない。彼らは平然と遊び続ける。子どもの世界には暗黒童謡なんてものはないからだ。オオカミの体の構造も知らないし、消化のプロセスも知らない。知っているのは、オオカミに食べられた羊は、捕まえればオオカミの腹から救い出せる、ということだけだ。だからもし本気で実写版の赤ずきんを作るなら、それはきっとホラーになる。大人の目で童謡を見れば、恐ろしいと感じるのは当然だ。
で、今回私はもう一つの暗黒童謡、『誰がコマドリを殺したか』を見つけた。全文はもう貼らない。というかむしろ冗長というか……なぜならコマドリを殺した犯人は最初から自分の罪を認めている。そのあと周りの人間を一通り巻き込んで尾ひれをつけまくり、最後は犯人を裁く結末に戻ってくるだけだ。
これまでの暗黒童謡の理解と合わせると、この童謡はどちらかというと、子どもたちが遊びながらリズムに乗って歌うようなものに近い。彼らにとってはコマドリが殺された、スズメがやった、スズメは次に運が悪い、それだけだ。
大人の目でこの童謡を理解しようとすると、もっと多くの情報が含まれてくる。
コマドリが死んだ。しかしあまりにも当然のように死んでいる。犯人はあっさり認め、反省の色は一切ない。通りすがりの者たちは次々と犯人のために便宜を図り、死体を処理する。そして最後にふいに、犯人が裁かれると宣告する。誰も悲しまない。コマドリの死を悲しむ者はいない。みんなただ「ああ、コマドリが死んだ、犯人が捕まった、あとは俺に関係ねえ」と思っているだけだ。
読み終えて感じるのは、社会全体の冷たさ、そして弱者の誰にも顧みられない姿だ。
そこで問題だ。こんな童謡をゲームにしたらどうなるのか?というわけで先にまとめておくと、ろくなことにならない。
検索エンジンで『誰がコマドリを殺したか』を調べると出てくるのは童謡とは限らない。むしろ多いのはとあるギャルゲーだ。そう、そのギャルゲーを私はやった。正直に言うと、気持ち悪い。

ゲームは最初から結末を教えてくれる。ヒロインは暴行を受けて死に、周りの人間はそれを当然のように受け流し、誰も気に留めない。あの暗黒童謡とまったく同じだ。そしてゲームは倒叙形式で物語を展開していく。視点は三つ、ヒロインの小鳥、教師の蘭、主人公の翔。交差する視点で進めることで、多くの謎と格調を残せるらしい。見た目はすごく高尚で、最初から主人公の視点を選ぶこともできる。しかし実際には、順番通りにやらないと物語がまったく理解できない。多くの場所でこの作品のシナリオは切なくて現実的だと書かれている。
もちろん実際はそういう話ではない。見られるのはヒロインの第一章だけで、家庭の問題を抱えるヒロイン、主人公との絡み、そして肉食系教師の誘いにあえぐ生活が描かれる。
なかなか暗いし、描写も少しだけリアルだ。しかしすぐに私は違和感を覚えた。教師編に入ってからだ。
教師編では、教師が実はバイセクシャルで、小鳥を弄ぶのはただ面白いからだとあっさり暴露される。そして教師はストーカーの主人公に脅され、肉便器になってしまう。そこでゲームは本来の姿を現す。大量のHシーン、さまざまなプレイ、薬物X、集団X、睡眠X、凌辱プレイ、制服プレイ。最後には教師が完全に堕ちて娼婦になり、主人公の最終編が始まる。
そこで私はこのゲームが何なのか分かった気がした。主人公編の描写は基本的に3分もない。不科学的な小鳥のストーキング以外は、あとはHシーンばかりで、しかも多くは主人公が抜くシーンだ。オタクが画面に映る巨大な主人公の一物を見て勃つのかどうか、私には分からない。最後には主人公が小鳥を家に連れ去り、さまざまなプレイを展開し、最終的に理性を失って小鳥を生きたまま絞め殺してゲームは終わり、序章の原点に戻る。
で、このゲームをどう評価すべきか。少なくとも80%の内容はHプレイで、シナリオは第一章の薄っぺらい部分だけ。小鳥の心理描写も成熟していない。なぜ突然百合になったのか、なぜ突然教師にそこまで忠誠を誓うのか?教師は最初バイセクシャルで小鳥と遊ぶつもりだったのに、最後にはなぜ弄ばれる烈女になったのか?主人公はなぜこんなにすごいのに画面に向かって抜いているのか?主人公はなぜ教師を脅す時は百発百中なのか、もっと不科学なのは、なぜ主人公はそんなに多くのカメラを制御できるのか、お前は月詠鎖々美か?
まあ、真面目に考えたら負けだ。このゲームは真面目に見てはいけない。はっきり言おう。これは抜きゲーだ。
シナリオを一言で言えば、小鳥は他人に利用された後、輪Xで殺される。周りの人間は冷たいのか?正直、周りにNPCなんてほとんどいない。低予算のギャルゲーメーカーにH以外のシナリオを詰め込む余裕なんてあるわけがない。百合、調教、鬼畜、集団Xを含む重口作品に、暗黒童謡の名前をかぶせ、大衆の想像力を補助にして、一気に高尚に見せただけだ。
「期待を超える」という言葉がある。大衆はただ抜くために遊びに来た。そして抜きながら、抜いた後に多めに与えられたデザートに気づき、一気に期待を超えた、深く考えさせられると感じる。『euphoria』というゲームも同じだ。私たちが暗黒童謡を考えるように、適当な何かを持ち出して自分の頭を当てはめれば、いくらでも理屈をこねられる。それは私たち自身の私物であって、ゲームの派生産物とは言えない。
コマドリの悲劇は私たちの身の回りで絶えず繰り返されている。しかしこのゲームの中で起きているとは言い難い……まあ、いいだろう。小鳥は死んだ。一応、そういうことにしておこう。
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