『もののあはれは彩の頃。』レビュー

紅葉散る頃、物悲しき賽振りの時

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正直に言うと、俺はななろば華のファンだ。黒歴史も多少あるけど、それでもファンなんだよ。女絵師が描く女の子には、男絵師には出せない特別な魅力があるとずっと思ってる。男には真似できない、女の子にしか分からない「可愛さ」がそこにあるんだよな。だから『もののあはれは彩の頃。』も自然と注目するようになった。発売延期を何度も繰り返して、体験版も出たからプレイしたけど、感想は……すごく微妙だった。

何というか、『もののあはれは彩の頃。』の制作元である QUINCE SOFT は糖块社こと Lump of Sugar の子会社だ。Quince はマルメロ、つまりカリンで、独特な果物で「気軽に食べられない」という複雑な性質を持つ。子会社の名前が QUINCE SOFT なのは、糖块社がもともと出していた「ある程度の遊び応えがある複雑なゲーム」を独立させて別ブランドにしたかったからだろう。「ある程度の遊び応えがある複雑なゲーム」とは何かというと、たぶん運命線上のφやMagical Charming、連想リーレシュンのような作品だ。単純な分岐じゃなくて、複雑な選択肢が大量にある。正直、こういうゲームは結構好きなんだが、『もののあはれは彩の頃。』に関しては、ちょっと複雑すぎる。

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まず、『もののあはれは彩の頃。』の企画は冬茜トムで、この人も『運命線上のφ』や『Magical Charming』の企画を担当している。悩ましいのは、『運命線上のφ』がクソみたいな出来だったのに対し、『Magical Charming』はめちゃくちゃ神ゲーだったことだ。両方に共通する特徴として、ゲーム自体にメタ要素があって、すべての分岐エンドが最後の True End へと導かれる。ただ『運命線上のφ』は「探偵」の設定がちょっとアホでお遊びみたいだったし、『Magical Charming』は「デートと恋愛と魔法のカード」のバランスが絶妙だった。この二作のおかげで、この企画の新作には慎重ながらも楽観的な態度でいたんだが、体験版をやってさらに慎重になった。

『もののあはれは彩の頃。』の設定は、中国から日本に伝わった盤上ゲーム「すごろく」をベースにしている。主人公とヒロインたちが、「すごろく」というゲームを続けなければ生き残れない盤上の世界に連れ込まれ、そこで少しずつ世界の真実を探っていくという話だ。

ゲームのシナリオを語る前に、いくつか設定について触れておこう:

  • まず「すごろく」、つまりこの双六ゲームだ。別に難しい話じゃなくて、俺たちがよく遊ぶ「人生ゲーム」みたいなものだ。参加者がサイコロを振り、出た目の数だけ盤上を進む。マスには特定の報酬や罰則があって、最初に上がりに到達した人が勝ち。

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  • 特筆すべきは、盤面が単なる「人生ゲーム」ではないことだ。緑色のマスがあって、そのマスに入ると「幻日」(げんじつ、と書いて「現実」と読む)が発動して、回想シーンのようなものが挟まれる。その回想では、主人公たちはこの「双六の世界」にはおらず、学校の日常にいる。

  • 双六には複数の盤面があって、最初の盤面で勝てば次の盤面に進める。第三の盤面まである。ゲームの分岐点は主人公が振るサイコロで決まる。たとえば最初の分岐点で主人公が偶数を出すと「永沈」、つまり死んでしまうが、奇数なら生き残る。サイコロを振るたびにここで分岐するわけだ。

  • 双六に参加しているキャラたちは、双六以外の世界の記憶を持っていない。各キャラにはそれぞれ「戒」と呼ばれる能力があり、人と人との間には「縁」が存在する。実のところ、この双六は「バトルロワイヤル」をチェス盤に置き換えたようなものだ。

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これらの設定から大体分かるのは、ゲーム全体の流れが、主人公がこの「双六」に参加し続け、双六の中で「緑のマス」を踏んで回想を集め、失った記憶を繋ぎ合わせ、なぜ自分たちがこの双六の世界に来たのかを理解し、最終的な真実を求めるというものだ。

じゃあ、なぜ主人公たちは目覚めた途端にここでリアル人生ゲームをやっているのか? ゲームはズル賢くもシナリオロックを設けていて、いくつかのエンドを先に解除しないと最後の True End に到達できない。

前提となるエンドは四つ。最初のバッドエンドでは、主人公が最初の分岐でサイコロを振って 6 を出す。偶数なので即死だ。これを回避する方法は、6 を出した時にさらにサイコロを連打すること。すると画面が一瞬チラついて 5 に変わり、主人公は死なない。

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以降の分岐も同じ調子だ。本来なら 4 か何かが出ていたはずなのに、サイコロを連打すれば超能力でも発動したかのように数値が変わって、主人公は先へ進める。

あのバッドエンド以外にも、三人のヒロインそれぞれのエンドがある。ピンク髪のみさき、金髪のクレア、そして黒猫の化身・琥珀だ。この三つのエンドの分岐点は、主人公がサイコロを振る一度のロールと、どのヒロインと最後の勝利を分かち合うかにある。

  • みさき:ゲーム序盤のピンク髪。彼女と勝利すると、みさきは双六の外の現実世界では身体がとても弱い女の子で、いつも半死不活の状態だということが分かる。京都の紅葉が好きで、鴨川の伝説も好き。現実のみさきは半死不活だからこそ、双六の仮想世界では自由に歩き回れて元気でいられる。最終的にみさきは、主人公がこの双六の世界から抜け出すのを助けるため、現実に戻ることを選ぶ。現実の自分は病弱だけど、主人公と一緒に困難を乗り越えたいと願うのだ。

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  • クレア:ゲーム序盤にヘッドホンをしている外国人。現実のクレアは町の喫茶店の店員で、店は父親が経営している。クレアは、父親が密かに「リアル双六」の儀式を研究していることを知る。ある人物を盤に、二人を双六のコマにして、リアル双六で勝負させる。勝った側はコマのキャラの能力を得られるという。だが奇妙なことに、「リアル双六」を発動できるのは、現実の人間が「半死不活」の状態の時だけ。主人公のいる双六世界には何人も走り回っているが、まさかそんなに大勢が半死不活なのか? クレアはさらに奇妙な点を指摘する。双六の世界で緑のマスに入った時に見る回想シーンは、死にかけた人間が見る人生の「走馬灯」なのではないか、と。

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  • 琥珀:現実では黒猫だが、双六の世界ではロリの姿で人間の形を取る。琥珀のルートは、現実で猫だった時に見た多くの人々の状況を回想するものが多い。主人公が名前を付けたこと、そして鹿乃縁という別の少女に出会ったことなど。鹿乃縁は双六の世界では殺人鬼だが、現実では悲惨な境遇にある。主人公と同じ孤児で、後に主人公は良い家に、鹿乃縁は悪い家に引き取られて虐待され、自負と世を憎む心理が芽生え、双六の世界で殺戮を始めたのだった。

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三つのルートの手がかりをすべて集め終えると、主人公は再び分岐点でサイコロを振る。サイコロ自体を連打すると新しいイベントが発生し、主人公は「双六」世界そのものに疑問を抱き始める。自分も周囲もみんなコマ……双六盤上のコマなのだとしたら、では……この「双六」というゲームを延々と続けさせているのは誰なのか?

疑問をぶつけた後、黒幕が現れる。現実の主人公の教師で、回想シーンによく出てくる人物だ。クレアも気づいていた。教師とクレアの父親はずっと会って「リアル双六」の儀式を研究していた。だから彼が手を下した可能性は高い。

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教師は現れて、自分がこの双六ゲームを操る Player だとあっさり認める。リアル双六の儀式には盤とコマが必要で、コマになれる人間は全員半死不活の状態でなければならない。

みさきは元から病弱で半死不活。鹿乃縁は自殺しようと飛び降りて、主人公のデブの親友が身体で受け止めて二人とも半死不活。黒猫の琥珀も何らかの理由で半死不活(忘れた)。そして主人公自身は、自分を引き取った紫髪の子と一緒に教師に刺されて半死不活。

みさきを盤に、主人公と紫髪をコマにし、他の通行人を吸収して、終わりのないリアル双六が始まった。しかも主人公と紫髪はコマでありながら敵対関係にある。だからこそ紫髪はゲーム中、いつも理不尽に主人公を狙ってくるのだ。

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主人公は、なぜ自分が教師に刺されてこのゲームに入れられたのか不思議に思う。教師は言う。自分は主人公のある能力が欲しいのだ、と……。

Player としてコマを操って双六に勝てば、コマの能力を得られる。教師は、自分が主人公たちのコマを何度も操って遊んできたと告白する。ほとんど全員の「戒」、つまり能力は手に入れた。残るは主人公の最も重要な能力だけだ。だから主人公に勝たせるため、教師は双六ゲームに細工までした。だから主人公がサイコロを振って不利な目が出ても、いつも画面がチラついて有利な数値に変わる。これはプレイヤーがゲーム中にサイコロを連打して選択肢を変える行為のメタ表現でもある。

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主人公はずっと自分はラッキーだと思っていたが、実はただのコマで、ラッキーでも何でもない。全部、自分を操る者のイカサマだったのだ。

そしてゲームはお決まりの展開に突入する。コマである主人公が反抗し、自分を操る Player に立ち向かう。教師と口論になり、最後には教師が脳みそ筋肉でこの双六ゲームに参加してしまう。本来なら無敵の God モードなのに、わざわざ自分のコマと PK しに来て、最後は主人公たちの口車と外掛けに打ち負かされる。コマたちは自由を手に入れ、双六ゲームから解放される……。

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解放後はゲームも実質終了。ここで誰を抱くか聞かれ、個人のエロルートに入る。本編はもう関係ない。


正直に言って、『もののあはれは彩の頃。』にも良いところはある。全体としてシナリオはかなりまとまっていて、多くの伏線にはちゃんと意味がある。序盤なぜ紫髪が主人公に敵意むき出しなのか、なぜゲーム開始時に回想が見えるのか、なぜみさきの服だけ違うのか、なぜ主人公のロールが変えられるのか、これらはすべて True End への伏線だ。ゲーム中の分岐はいつも三途川の近くで、案内役の NPC クナドも三途川付近にしか現れない。これは主人公自身が半死不活で、黄泉路である三途川の近くだけが現実に最も近い場所だということを示している。さらにゲームには大量のサブシナリオがある。主人公の活動部のチャットルームの面々、脇役たちの裏話、主人公と紫髪の出会いがずっと教師に仕組まれていたこと、様々なイベントの展開がすべて繋がっている。同じ脚本家が『Magical Charming』で見せた「万事に因があり果がある」というパターンを守っていて、展開が意味不明に感じることはない。

もう一つ、ゲームは細部にこだわっている。主人公の家の背景の書道は毎回変わるし、双六の世界では主人公は三人称で描写され、現実では一人称で描写される、などなど。

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だが、しかしだ! 『もののあはれは彩の頃。』の欠点の方が多い……。まず何より、ゲームがコストを削りすぎている。多くの人は丁寧に作られていると感じるかもしれないが、実際は間違いなくコスト削減だ。CG が少なすぎるし、大半の時間は「双六」の対峙に費やされる。双六の心理戦を盛り上げる時、ゲーム自体には CG なんてほとんど必要ない。盤面だって特別な画像なんて要らない。BGM は比較的綺麗で、紅葉や鴨川の京都情緒をよく表しているが、数が少なすぎる。曲数が少なすぎる。共通ルートでは頻繁に BGM を切り替えるのに、入れ替わるのはいつも同じ数曲だけ。すぐに飽きる。

CG の少なさ、音楽の少なさに加えて、ゲームには最大の論争点がある。俺個人がとても嫌いで、これを欠点に数えるべきかどうかも分からない部分だ。それはゲーム中の日本陰陽学や日本語漢字文化への探求だ。

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脚本は京都の古典文化を宣伝するために「双六」を導入し、ゲーム全体の格と神秘性を高めるために主人公を「陰陽師」に興味があるキャラに設定した。そのせいで主人公はよく呪文のようなことを呟く。大体、日本の陰陽と「戒」と「縁」についてだ。中国人として見ていると、何とも……奇妙に感じる。陰陽五行の多くは天朝から伝わったもので、日本は中華文化を吸収した後に大きく魔改造した。魔改造後のそれは現代から見ると中国の元々の陰陽五行とはかなり違っていて、どう受け止めていいか分からない。ゲームには日本語漢字の音読みと訓読みの多音トリックも大量に導入されている。その意味は大体、宋代の「海水朝朝朝朝朝朝朝潮落、浮雲長長長長長長長消」のような、漢字の多音字を利用した特殊な意境と謎かけに似ている。ただ日本語の漢字の読み方はそれ自体が混乱していて、彼らの多音字の読み方の謎かけは俺には全く筋が通らない、理解不能なものに見える。

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正直、俺は日本の古文化にはあまり興味がない。日本が本格的に台頭したのは明治維新以降だ。それ以前の日本は中華圏にとって、どちらかといえば拿来主義と学習の対象だった。明の時代になってもまだ中国から文化を輸入していたはずだ。キリンを今でも日本で麒麟と呼ぶのはその名残の一つだ。俺はどちらかというと、明治維新以降の日本の現代文化に興味がある。現代中国語の漢字語彙の多くも日本由来だ。日本の古い文化については、研究する必要はあまりないと思っている。何しろ……当時の精華は我が国の唐や宋にあったのだから。

ひどい言い方をすれば、お前のパクリ版を研究するくらいなら、唐宋時代の原版を直接見るわ、となる。

もう一つ明らかに気に入らないのは、共通ルートでの主人公の性格づけだ。男らしさがなさすぎる。

かつて、なぜ No Game No Life のような知能が低い作品が人気なのか理解できなかった。今なら分かる。見ていて気持ちいいからだ。

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対抗戦では、主人公が自信満々に外掛けを使って、圧倒的な風格で相手を地面に擦りつけるのを見たいのだ。ところが『もののあはれは彩の頃。』の主人公は、まず見た目がダメ。ななろば華はどうやら男性を描くのが全く得意ではなく、みんなぽっちゃり気味になる。主人公の陰陽師の CG は完全に肥満オタクの姿だ。小デブの親友はなおさらだ。おまけに主人公は双六の世界でしょっちゅうぶつぶつ呟いていて、まるで祈祷師のキチガイみたいで、見ていて鬱陶しいだけで気持ちよさがない。共通ルートがあんなに長いのに、縮こまった主人公がぶつぶつ言うのを見せられて、しかも自分で操作できず、彼が一人で縮こまりながらプレイするのを眺めるだけ。これがどれほどの苦痛か。

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あ、そうだ、言い忘れた。『もののあはれは彩の頃。』は宣伝で、ゲーム内のサイコロが本当にランダムに振られているかのような誤解を与える……。

たとえば最初のサイコロはデフォルトで 6。俺が誤ってサイコロを押すと 5 になった。これで 5 や 6 をランダムに出せるような錯覚を起こさせる。

しかし錯覚は錯覚。ゲーム自体は一本道で、お前が思っているランダムロールは、実は全部固定されている……。

こう見ると、このゲームの自由度は『Magical Charming』以下だな……。


全体として、『もののあはれは彩の頃。』は「双六」というゲームを借りているが、展開自体は双六とあまり関係がない。要するに、主人公が記憶を奪われてゲームの世界に閉じ込められ、ゲーム外のボスである教師に操られるキャラになったということ。教師が主人公を操って勝利するのは、主人公を利用して自分が欲しいものを手に入れるため、ただそれだけだ。

つまり、この物語は「双六」がなくても十分説明できる。ちなみに、ゲームのボスは主人公の能力を奪うとしか言わないが、なぜ奪うのか、奪って何をするのかは一切触れていない……。時々、このボスにもやむを得ない事情があるに違いないと思ってしまう……。

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俺に言わせれば、『もののあはれは彩の頃。』は双六の部分を完全に無視していい。基本設定を理解して、ゲーム内の緑色の回想シーンを飛ばし飛ばしに見て、現実の断片を繋ぎ合わせれば、直接 True End に辿り着ける。「双六」とゲームの本筋の結びつきはそれほど強くなく、むしろ完全に剥がすことすら可能だ。加えて俺個人が双六部分の描写にあまり興味がないこともあって、『もののあはれは彩の頃。』への評価は高くない。

脚本が努力しているのは分かる。しかし本当に、『もののあはれは彩の頃。』はあの『Magical Charming』とは大きな差がある。『Magical Charming』はカードと恋愛が主軸で、両方を十分に高い水準で作り、しかも関連性も良好だった。その点で『もののあはれは彩の頃。』はまだまだ道が長い。

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最後に、『もののあはれは彩の頃。』というタイトルの意味について話そう。もののあはれは日本語で「何か物や景色に触れて悲しみを感じる」という「物傷」の感情を表す言葉だ。そして「彩の頃」が何を意味するのか、しばらく考えても分からなかった。最後に「の」を取って、はっとした……さいの頃=サイのコロ、サイコロ……つまり要するにサイコロ。ゲーム内でサイコロを振る設定にも合っている。

紅葉散る頃、物悲しき賽振りの時。

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「新詞を作らんとすれば愁いを強いて説く」的なもののあはれの果てにサイコロときた。タイトルがなんか Low になった気がするなあ……。

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