カップ麺の野菜パックが脱水処理されてるのは仕方ないことなんだよ

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『グリザイアの果実』という作品は、原作の時点でかなりヤバい存在だ。強烈な黒歴史、十分に詳細な心理描写、そしてふざけてない軍人要素。単純にゲームをクリアした後かなり衝撃を受けた。設定には色々と厳密でない部分もあるが、同系統の作品と比べればはるかにマシだし、キャラクターの性格づけもしっかりしている。主人公も十分に強気で、軟弱な男ではない。アニメ化と聞いて、プレイ済みの自分としては嬉しかった。もっと多くの人にこの作品を知ってもらうのは悪いことじゃない。

しかし『グリザイアの果実』は本質的にギャルゲーであり、ギャルゲー原作アニメは二つの難点に必ず直面する。一つは作画の再現、もう一つはシナリオの構成だ。前者については、アニメのスタッフを見てそれほど心配しなかった。総作画監督の渡辺明夫はそもそも『グリザイアの果実』の原画の一人で、ゲームのOPアニメにも参加している。自分で自分の絵を描くんだから、どこまで崩れるというのか? シナリオ構成はさらに壊れにくい。グリザイアの果実はヒロイン√同士の交錯点がまったくなく、衝突もない。むしろ無関係と言っていい。話は一人ずつ順番に語ればいい。一号を語ってから二号、二号から三号、せいぜい順番を決めるくらいだ。その後、iQIYIでアニメは全25話と確定したと聞いて、シナリオ構成については安心した。

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「各ヒロインの個別√がどれも長いんだから、25話あれば十分描けるだろう」

実際、俺は甘すぎた。

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アニメ第1話はゲームの序章だ。由美子が雄二を平手打ちするシーンで音楽が始まり、ゲームではOPが流れた。アニメでもOPが流れる…………BGMとして。すべてがゲームと同じで、高い再現度。原作ファンとしてはテンションが上がる。特に第1話のカップ麺の野菜パックが脱水処理されてるのは仕方ないことなんだよというラスト、各ヒロインの闇を描く部分が上手く目を引いていて、離脱していた人たちも「このアニメは只者じゃない」とすぐ気づいた。

実際、第1話ラストの闇描写は少しやりすぎだと思った。その時点で思ったのは、多くの人がバトルロワイヤル的な展開を期待しているんじゃないかと。天音√のアレを除けば、他の連中の話はせいぜい家庭環境や心理的要因で、そんなに大げさなものじゃない。結局、闇を待っている連中を失望させるんじゃないか?

そして失望はすぐに訪れた。第2話から共通√が始まる。正直、ゲームの共通√は長さが異常で、しかも共通√には暗い要素がなく、日常日常日常日常日常日常。たまに各ヒロインの過去や奇妙な点が覗く程度だ。もちろん、この長さの共通√に不満はなかった。ゲームでは、この死ぬほど長い共通√があるからこそ、プレイヤーは各ヒロインの性格をよく理解できる。なぜ天音はいつも主人公にべったりなのか、なぜ時菜は自分をバカと言いながら高い知能を見せるのか、なぜ小嶺幸はいつも無条件に他人の要求をすべて受け入れるのか、なぜ松嶋みちるは時々死ぬほどバカなのに、別の死にたがる性格も持っているのか。共通√はプレイヤーに疑問を植え付けるためのもので、その疑問は個別√で展開される。

だが! これはアニメだ! 全部クリアするのに20時間かかる死ぬほど長い共通√をやる余裕なんてない!

だから第5話でいきなり松嶋みちるの個別√に突入した。この時点で違和感を覚えた。松嶋みちるのゲーム√では、彼女の過去について長い描写があった。なぜこんなにバカで怯えているのか、それは幼い頃から父親に強制的に様々な天才教育を受けさせられたからだ。結果、早すぎる英才教育で英才にならず、バカになってしまった。父親が雇った家庭教師にまで辱められ、その後学校でできた友人は明らかに彼女より悲惨で、男に騙されて輪姦されたり……アニメでは一筆書き。あっという間にみちるは人格分裂し、またあっという間に回想シーン、またあっという間に心臓移植を受け、最後にはあっという間に救われた……

まあ……実は俺も松嶋みちるのシナリオはそれほど好きじゃない。尺が限られているなら、他の人に回したほうがいい。ギャルゲー原作アニメとしては仕方ないことだ。

第7話で由美子√に来て、正直度肝を抜かれた。由美子√は原作では半分真ヒロイン的な存在だ。何しろ彼女が学校の存在理由だから。なのに一話で終了。元々の由美子√は彼女の悲惨な過去についてゲームで少なくとも5時間は語っていた。アニメでは「父親が愛人を作った」の一言で済まされ、父親が後で由美子を偽って騙すシーンもすっ飛ばされた。視聴者はこの少女がなぜ父親とそこまで恨み合うのかほとんど感じられない。あるいは「父親がクズで彼女が可哀想」と設定を鵜呑みにするだけだ。最後の結末もゲームとまったく違う。ゲームでは由美子が取締役会で父親に勝ち、認められる。アニメでは偽装死……

まあ、これはギャルゲー原作アニメ、仕方ないことだ。

ここまでの√がただの縮小なら、第8話の小嶺幸√は完全に覆された……小嶺幸√で視聴者に何が残る? 放尿プレイ? ゲームの小嶺幸√は天音に負けず劣らずの長さで、この少女が子供時代に受けた心の傷、PTSD症状について詳細に描かれ、以前学校で受けた辱めも深く刻画されている。それがアニメでは松嶋みちるの一言で学校を爆破しようとする。ここ、個別√ラスト10分の内容だぞ?

まあ……アニメの脚本家は小嶺幸が好きじゃなかったんだろう。俺は小嶺幸√をプレイした時、泣きそうになるほど感動したのに。ギャルゲー原作アニメ、仕方ないことだ。

続いて時菜√、そして天音√。この二つは基本的にゲームと一致しているが、かなりの箇所で不同程度的に縮小されている。天音√の遭難した15日間について、ゲームでは深く描写され、プレイ時には絶望感が際立つ。アニメでは細部の省略によって「なぜ飢え死にするんだ、XXXXすればいいのに」としか思えず、シナリオの理解に一定程度影響する。最終話のオッサンは元々天音個別√のボスなのに、総ボスとして引っ張り出された。まあ、これも仕方ないことだ。

最終話の時点で、ようやく思い出した。あれ? 25話じゃなかったっけ? もう終わり? 後半打ち切り?

そこで『グリザイアの迷宮』と『グリザイアの楽園』のアニメ化の知らせが届いた。ああクソ、なるほど二部に分けたのか。

つまり25話は三部作全体の長さで、25話で果実のシナリオを詰め込むならちょうどいいかもしれないが、三部作に詰め込むとなるとさすがに苦しい。シナリオを簡略化するしかない。これも確かに仕方ないことだ。

では『グリザイアの果実』というギャルゲー原作アニメはどうなのか? ゲームプレイヤーとして客観的に言えば、それほど悪くない。しかし原作の大きな売りであるシナリオを省略しすぎていて、物足りなさを感じるし、多くのアニメ勢のツッコミも呼ぶだろう。しかしラクダが死んでも馬より大きい。原作シナリオが100点なら、アニメも低くない70点は取れる。作画は8Bitを信頼している。昨年同時期のギャルゲー原作アニメ『少女騎士物語』は、馬上対戦の制作品質だけで『機巧少女は傷つかない』や『東京レイヴンズ』を圧倒していた。だから『グリザイアの果実』の作画は一部多少崩れているが、目くじらを立てる必要はない。音楽については言うことなし。全部ゲームのコピーだ……楽だし、可もなく不可もなく。

ギャルゲー原作アニメはいつもこの問題に直面する。ゲーム全体のシナリオは良いが、それを一クールのアニメの長さに圧縮してなおかつ失われないようにするのは、あまりに難しい。『グリザイアの果実』の原作ゲームは、一碗の紅焼牛肉麺のようなものだ。美味いが賞味期限は限られ、持ち運びにも不便。アニメはというと、その牛肉麺をインスタントのポータブルカップ麺にしろと言われるようなもの。だから我々は麺の塊を乾燥させた後、原材料の野菜も脱水処理するしかない。

この紅焼牛肉カップ麺はお湯を注げば元の70%の味はするかもしれない。でもやはり何かが足りない。

とはいえそこまで求める必要もない。アニメはもう十分やれている。分かるだろ、カップ麺の野菜パックが脱水処理されてるのは仕方ないことなんだよ。

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