ゲームはアニメを救えなかったが、アニメはゲームを救った

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『失われた未来を求めて』はTrumpleが開発し2010年に発売したギャルゲーだ。このゲームの最大の売りは美麗な画風だが、シナリオやその他の部分に致命的な欠陥が多すぎて、結局Trumpleは活動を停止した。要するに倒産である。まあ一作出して消えるギャルゲーメーカーは珍しくないし、Trumple一人がどうこうという話でもない。ゲームは後に中国語化版も出て、結構な人数が遊んだはずだ。大半は画風目当てだろうけど。

その後、『失われた未来を求めて』のアニメ化が発表されて……この知らせを聞いて私はわけがわからなかった。なぜか? すでに潰れた会社の作品をアニメ化して、いったい何がしたいんだ? 続編の販売で会社の魂でも呼び戻すつもりか? それとも別の理由があるのか?

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そこで陰謀論でもやってみよう。アニメ化の具体的な動機がどこにあるのか、と。スタッフが公開されて、私はそこに佐藤聡美の名前を見つけた。ギャルゲーに縁もゆかりもない人が、無理やりキャラを一人作って押し込まれ、しかもOPまで歌っている。佐藤聡美が半年前に歌手デビューを発表したばかりなのを思い合わせれば、要因のいくつかはすぐ見えてくる。

「まあ、アニメに投資して歌を売るだけだろ」と。実際アニメへの投資はそこまで高くない。あちこち営業を回るよりよほど安上がりだし、オタクも財布の紐を緩めやすい。

こうして「歌を売るのが主目的、アニメはついで」疑惑のギャルゲー原作アニメが10月に公開された。まずもって、原作の深崎暮人+黒谷忍の画風をアニメで再現するのはほぼ不可能だ。作画の再現度が低いのはもう決まり。おまけにこの作品、投資の動機からして金がなさそうな雰囲気しかない。予算不足、作画崩壊、シナリオの改変、覚悟はしていた。だが第1話を見たとき……私は必死に自分を説得し続けていた、この作画品質を受け入れろと。

でも受け入れられるわけないだろ!

アニメのこの画面はもう「崩壊」とか「再現度が低い」とかいうレベルじゃない。八割方の時間、キャラの顔がまともだったことがない。しかも最初のほうは3D技術を結構使っていて、人物のポーズがスター・ウォーズのC-3POみたいで、痙攣していて笑える。加えて顔が太ったり痩せたりするものだから、注意を他に向けることすらできない。特に第2話は粗製乱造の見本みたいなものだ。アニメを見て20余年、エロアニメは言うに及ばず、子供の頃に見た『小糊涂神』ですらここまで崩れたことはなかった。面白いことに第3話から画風がまた変わり、3Dがなくなってだいぶ普通になった。それでも品質は高くないが……大事なのは、少なくとも見られる(耐えられる)ようになったことだ!

時々思うんだ。最初の2話は制作陣が給料を踏み倒されていたんじゃないかと。

まあいい、耐えれば見られる。ただこの時点でアニメはすでに大不評で、攻撃の9割は画面へのものだ。これも理解できる。アニメアニメ……動く画だ。画がまともじゃなければ、褒めてもらえるなんて期待できるはずもない。

5秒に一度崩れる画風に耐えながら、私はこの作品を最後まで見た。強迫症なのか、それともゲームを遊んだ身としてアニメがどう表現するのか見たかった好奇心か。結果は……ちょっとした驚きだった。少なくとも画面という最大の要素を除けば、音楽、OP、ED、BGM、CVの演技、そしてシナリオの構成、アニメはどれも極めて高い品質を見せていた。むしろ10月のギャルゲー原作アニメの中では一番出来が良いまである。UBWも可もなく不可もなくといったところで、『失われた未来を求めて』はシナリオ構成で原作を完全にゴミにしている。

本音を言えば、ゲームを遊んだ人間として、あのゲームはかなりクソだったとしか言えない。語ろうとしている物語のオシャレ度は高いし、画面はめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ美しい。でもシナリオはめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃバカだ。要するに幼馴染が交通事故で死んだので、未来で人造人間を作って過去に送り返し、歴史を変えようとする話だ。時々このシナリオは『ドラえもん』に似ているなと思う。華宮先輩がのび太、古川結がドラえもん、佐々木がしずかちゃん……おっと、やめておこう。

実際、原作ゲームには不合理でマヌケな点が多すぎる。一つ目は、主人公が冒頭で自分は天文学部だと言うのに、この「天文学部」はゲームの最初から最後まで完!全!に!天文と関係あることを何一つしていない! 代わりに毎日のように人と喧嘩して回り、しかも喧嘩になるとダラダラと長々と続いて、訳がわからない。二つ目は、華宮先輩がゲーム中で黒い箱を手に持っていると話すのに、その一言以外は最後までその箱に触れもしない。最後になってようやくそんなものがあると教えてくれる。しかも箱のCGもアップも一切なく、どんな箱なのかすらわからない。おまけにゲームは膨大な無駄話で埋め尽くされている。天文学部の活動と美名をつけているが、実際はただの雑談と与太話と与太話と与太話で、眠くなる。

ようやく最後、一周目の佐々木佳織が死んでから、一周目からまた一周目へという救済活動が始まる。各周回が各ヒロインの個別ルートに対応していて、しかも個別ルートのシナリオが一つ比べて一つとマヌケで、論理なんてどこにもない。先輩のお見合いが最後に喧嘩で終わるって、ふざけてるのか? 愛理のENDも意味不明。最後の最後、古川結が現れて主人公と佳織を救うところで、ようやく少し見どころが出てくる。だが残念ながら、それまでにシナリオを腐らせまくっているので、もう挽回できない。

だが! だがだな! アニメはこのマヌケなシナリオを完璧に救っている。冒頭の天文学部の活動に、なんと星を見るという項目をぶっ込んできた! 星を見るぞ! これこそ天文学部がやるべきことだ。そして先輩の箱にはより多くの描写が割かれ、序盤の日常にはタイムスリップ、人造人間、未来の科学技術の発展可能性についての説明が増えている。古川結というキャラの造形もより完全になり、最初の疑問と後の展開がつながって、ゲームのように意味不明な感じはしない。さらに楽しい思い出を育む活動も増え、ゲームでは名前だけ聞いて姿を見なかった「学園祭」も描写される。まさにゲームのクソすぎる脚本への補完と大改装で、全体としてもう唐突じゃないし、古川結にも感情がより多く宿っている。青山おばさんのCVも相まって、あのクソみたいな作画さえなければ、私は泣いていたね!

そして最後、物語はクライマックスへ。二つの世界線の異なる会話を組み合わせ、二つの世界——古川結が創られた世界と、佐々木が救われた世界——が示される。最後の「また明日」という言葉も、ゲームのOPとEDの歌詞と呼応していて、雰囲気が一気にまとまる。あのクソを食ったみたいな画面さえなければ、すべてが美しい。

そう、あのクソを食ったみたいな画面さえなければ、この作品は本来とても良い作品だったはずだ。画面という巨大な要素を脇に置けば、OP/EDとシナリオの結合、BGMの盛り上げ、シナリオの見せ方、どれを取っても100%全方位でゲームを何マイルも超えている。ゲーム派の私としても感慨深い。

「もしTrumpleがこの脚本でゲームを作れていたら、倒産しなかっただろうに」 「もしTrumpleが倒産しなければ、このゲームのアニメ化で予算ももう少しマシだっただろうに」 「もし予算がマシだったら……このアニメもここまで惨めじゃなかっただろうに……」

世の中にそんな「もし」はそう転がっていない。ましてやゲームが先でアニメが後という、こんな価値のない仮定の話ならなおさらだ。時々思う。『失われた未来を求めて』というアニメが注目されたのはゲームがあったからだが、そのゲーム自体の品質は怪しく、画風も再現不可能で、アニメに何ももたらしていない。逆にアニメはゲームに存在した様々な不足を補い、あの論理も知性も怪しいシナリオ構成を救った。

原作ゲームはアニメを救えなかった。それどころか逆で、アニメがゲームを救ったのだ。

このアニメを見る価値があるかどうかは、私は保留意見だ。シナリオ構成やその他の面は悪くないものの、画風が精神汚染すぎる。BDで修正されるかどうかはまだわからない。BDの品質が良ければ、見る価値はあるだろう。

陳腐だが、チョコレートと糞の比喩が私は好きだ。

『失われた未来を求めて』のゲームが、見た目は甘いチョコレートのような糞だとしたら、アニメは糞の形をした甘いチョコレートだ。前者は見た目はいいが食べると気持ち悪い。後者は見た目は気持ち悪いが、少なくとも食べられる。

もちろん、アニメを見ているときに誰かに「アニメのシナリオは微妙だから原作をやれよ!」と言われたら。

加減を忘れずに。殴り殺さないようにな。

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