レビュー

『ワルキューレロマンツェ』レビュー

最近、なんか欲求不満なんだよな。歳を取るにつれて、こういう淡々とした筋書きには何も感じなくなってきた。 ゲームを遊びすぎたせいか、もうどんな展開も見尽くした感じで、ありがちな流れを見ても「ふーん」で終わってしまう。最近は「刺激的なやつ」「激しいやつ」を探したくなっている。 もちろん深読みはしないでくれ。変な何かに目覚めたいわけじゃない。要は「主人公が弱いところから強くなって、強い敵を一人ずつ倒していって、最後は熱くボスをぶっ倒す」みたいな筋書きが見たいだけだ。 ああ、つまりは「王道」が見たいんだよ。 王道の筋書きなんて少年漫画にはそこら中に転がっていて、例の国民的漫画もみんなそのパターンだ。ところがギャルゲーの世界ではそういう王道がどんどん減っている。手抜きか、無理にひねくって書いて自滅するか。そもそもまともに書く気すらないものもある。前にやった戦闘機のゲームにはガッカリさせられた。こっちだって要求は高くない、あおかなみたいなゲームが一本欲しいだけなのに、そんなに少ないのか。 仕方ないから古いゲームを漁るしかない。そういえばずっと前に見つけて放ったらかしにしてた『ワルキューレロマンツェ』があったな……

『ひとつ屋根の、ツバサの下で』レビュー

ゲーム『ひとつ屋根の、ツバサの下で』は中国語名だと直訳で「同じ屋根の羽翼の下で」、別名は「俺は四人の美人と同居しすぎて最高すぎてオナニーの仕方まで忘れた」。予備パイロットである主人公が、コネを使って祖母が経営する飛行学校に入り、自分の強みを活かして四人の美人と同じ寮で暮らし、毎日イチャイチャ抱き合ったりして飛行の練習をする時間もなく、最終決戦で自分がヘタレだと気づき、喜んで試合で降参するという励志(励志)な物語。

『IxSHE Tell』レビュー

アニメやギャルゲーをよく見たり遊んだりしている人なら、おなじみの設定がある。日系オタク向けの設定で最もよくあるのが「ハーレム」だ。 この「ハーレム」は、よく見る清朝の後宮ドラマとはちょっと違う。『鹿鼎記』なんかに似ている部分はあっても、やはりどこか違う。 日系のハーレムはほとんどが「男主角が長い間、複数の女性と曖昧な関係を続けているのに、肝心なところで告白しねえ」というものだ。日本は現在一夫一妻制だから、告白したら他の女性は終わり、お払い箱、敗犬になって、ハーレムの意味がなくなる。 この「ハーレム」ってのは、要するにギリギリのラインの曖昧さを楽しむもので、全裸でいろんな娘と抱き合ってもいい、娘の全身を見てもいい、Kissしてもいい、胸を揉んでもいい、果てはマンコに触ってもいい。だが挿れさえしなければ、お前と彼女は曖昧なままで、他の女性にもチャンスがあり、ハーレムは続く。だからこのセックスってのが基本的に一線で、大抵のハーレム作品はその一線を越えない。越えるのは結末を迎える時だけだ。 しかし「ハーレム」という作品はギャルゲーにとってはまた別の光景になる……ギャルゲーには一線がないから、ハーレムには「真ハーレム」と「偽ハーレム」が存在する。「真ハーレム」は読んで字のごとく、ハーレムで、男主角が3P 4P 5678P…………いろいろ言葉にできないことになる。そして「偽ハーレム」はやはり漫画アニメのあれで、曖昧さを玩ぶ。全てのヒロインが男主を好きだが、ギャルゲーである以上、必ず本塁打を打つし、一部のクソ漫画やラノベみたいに終わりのない引き延ばしにはならない。 大抵のハーレム設定はこうだ: 阿虎虎はこれ以上ないほど普通の高校生。家にはこれ以上ないほどブラコンで、イカを食べるのが大嫌いな妹がいる。隣には小竹という幼馴染がいて、毎日阿虎虎と一緒に登校する。学校の生徒会長は毒舌女で、毎日わざと阿虎虎に絡んでくる。同時に阿虎虎は学校の図書館にいるある女子に密かに恋していて、彼女は来たばかりの転校生で、阿虎虎はある時電車の中で彼女と偶然出会う。 阿虎虎はずっと自分には恋愛運がないと言っているが、この物語の結末はというと、阿虎虎の妹は自分と結婚したいと言い、阿虎虎は小竹をただの幼馴染だと思っているが実際には小竹は毎日阿虎虎に向かって自慰していて、生徒会長は毒舌だがツンデレで、阿虎虎のことが好きで好きでしょうがなく、絡んでくるのは阿虎虎ともっと話すためで、図書館の妹子も実は阿虎虎が好きだが、どうしても言い出せず、心の中に隠すしかない…… こうして阿虎虎は、自分はチー牛だと謙遜しながら、まるで恋愛とは無縁のクソKYのように、これらの美少女たちの間を立ち回る。ある事件が訪れて選択肢を選び、告白する時まで…… 見覚えあるだろ? ありきたりだろ? 漫画やラノベはともかく、少なくとも大半のギャルゲーは似たような設定だ…… 実はこの設定にはツッコミどころがたくさんある。特に男主角が自分には全く女っ気がないと言う点: 「てめえ阿虎虎、実は女っ気ありすぎだろ!」 このツッコミも、やっているうちに慣れる。中にはこの枠組みから飛び出そうとするゲームもあるが、最後には戻ってくる……ヒロインを何人も書くならこうするしかないだろ……他にどうしろと…… そう、他にどうしろと? ほら、Hookという会社が違う答えをくれた。ハーレムがお決まりのパターンに従わなかったら、どんな光景になるかを教えてくれた……
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『妹を汚した記憶』レビュー

菊桜は美しい少女で、ピンクの髪に白い肌、そして甘い笑顔を持っている。 菊桜は自分の元の姓を覚えていない。両親が誰なのかさえ知らず、長い間祖母と一緒に暮らしてきた。 祖母と言っても、実は彼女を引き取っただけで、本当の血のつながった祖母ではない。菊桜は何度も祖母に尋ねた: 「私のパパとママはどこにいるの?」 祖母はいつも笑って菊桜の頭を撫でながら、ゆっくりと言う: 「まだ子供だからね、大きくなったら教えてあげるよ」 時は流れ、月日は矢のように過ぎ、気づけば菊桜は成人し、十八歳になっていた。 十八歳の誕生日、ケーキを食べ終えた後、祖母は菊桜に誕生日プレゼントをくれた。小さな箱は重く、何が入っているのか分からない。 菊桜は早く開けて見たくてたまらなかったが、祖母に止められた。 「ケーキを食べたら、夜に、自分の部屋でゆっくり見なさい」 祖母の表情にはある種のやるせなさが……何か言えないことがあるかのようだった。 菊桜はうなずいた…… ………… 秋の夜、涼しい風が吹く中、菊桜は窓辺の机に座り、このパンドラの箱を開けた。 中には一冊のノートが……紙の層は少し黄ばんでいるが、表紙は厚く、中身は影響を受けていないようだ。 最初のページをめくると、写真が挟まっていた。写真にはピンクの髪の女性が赤ん坊を抱き、カメラに向かって微笑んでいる。 菊桜は悟った。ここに両親の情報があり、写真の人物が自分の母親なのだと。 さらに読み進めると、これは日記だと分かる……過去の物語が日記とともに菊桜の目の前に現れた。

『縁りて此の葉は紅に』レビュー

Lump of Sugar、そう、またLump of Sugarだ。方糖社、角糖社、糖块社、その新作がまた来た。 今回は他のクソ絵師を全部蹴り飛ばして、唯一戦える萌木原ふみたけだけを残した。しかも萌木原は唯一の絵師として画風を進化させていて、要するに前より可愛く見えるようになった。 このゲームの宣伝には大きなサプライズがあった。前述の通り女の子が可愛くなったのもそうだが、もう一つのサプライズは世界観の設定とゲーム自体の雰囲気だ。 宣伝では「紅葉」を大量に使っていて、タイトルの『縁りて此の葉は紅に』と相まって、ようやくちょっとした文芸っぽさが出てきた。 エロゲーのタイトルに文芸っぽさが出るのは本当に珍しい。みんな知ってる通り、今のクソ日本のACG作品のタイトルは全部「漢字名詞/形容詞」+「カタカナ外来語」の構造になっていて、しかもそれが何年も続いている。「星降る夜のファルネーゼ」だの、「初情スプリンクル」だの、「景の海のアペイリア」だの、「春音アリス*グラム」だの、「蒼の彼方のフォーリズム」だの、「水葬銀貨のイストリア」だの、「月影のシミュラクル」だの、こういうタイトル以外にも、全部カタカナか平仮名で漢字を書かないクソゲータイトルの方がもっと多くて、もう何と言っていいか分からないくらいだ。だから不思議でしょうがない。日本人も自国文化を叫んでるんじゃないのか? カタカナばかりじゃ無理だろ? まさか今後全部カタカナで書くつもりか? 森森森が散歩のことをツイートする時も「散歩」じゃなくて「ウォーキング」って書くんだぜ。日本人は漢字よりカタカナの方が打字しやすいからそんなに熱心なのか、俺には分からん。 とにかく、『縁りて此の葉は紅に』、このタイトルは気に入った。この紅葉の雰囲気と設定も気に入った。タイトルの意味もなんとなく分かる。「縁/姻縁」が前提にあって、「ここの葉が紅くなり始めた」ということだ。 正直、1月のゲームはどれも普通だと思ったが、このゲームが最後の希望になった。やってみた感想は、かなり進歩している、ただまだ伸びしろはある。

『添いカノ ~ぎゅっと抱きしめて~』レビュー

エロ音声……おっと、ASMR、Dummy Head Recording、つまりはリラックスと催眠用のドラマCDなんかをよく聴く人なら、「添い寝」って言葉には馴染みがあるはずだ。 日本語がわからなくても、「寝」の字くらいは読めるだろう。察するに「添い寝」の録音ってことだ。 だから俟斎はほんとゲスいよな。自分じゃ相手が見つからないからって、ゲームにヒロインを探させる。ゲームで探すならまだしも、自分は立ったままヒロインが勝手に寄ってくるのを待ってる。寄ってきたヒロインに文句をつけることもある。しかもその注文がやたら細かい。ブスはダメ、声が可愛くないのはダメ、非処女はダメ、人間じゃないけど最後まで男主と結ばれないのもダメ、傷ついた過去があるのもダメ、幽霊で成仏させられるのもダメ。挙げ句、とにかく男主と即エッチしないとダメ。エッチだけじゃ飽き足らず、一緒に寝ろときた。腎臓だけじゃ足りず、心まで。心だけでも足りず、サービスは完璧に。そんな風に俟斎の注文がエスカレートするにつれて、ゲームの内容もどんどん複雑になっていく。全方位的に無条件で尽くし、何も持たないデブ豚のそばで、お前が眠りに落ちるまで添い寝してくれる理想の萌え妹子が作り出された。考えただけで笑える! とはいえ、オタクは腐女子勢に比べて財布の紐が固いとはいえ、カモもそれなりにいる。だから多くのエロゲーメーカーはわざとオタクに媚びて財布を狙う。ほら、また一つゲームが出てきた。ターゲットは明確だ。萌え妹子を描いて、こう言う。「うちのゲームを買えば、この萌え妹子が添い寝してくれるぞ」と。 タイトルは『添いカノ ~ぎゅっと抱きしめて~』。つまり「ぴったりくっつく彼女、ぎゅーっと抱きしめて」って意味だ。 買うか?買うよな?原画はあめとゆき、ヒロインのCVは夏和小。こんな豪華な布陣、買うしかないだろ!どうなんだ、買うのか!

『将軍様はお年頃』レビュー

ずっと前から予感はあった。Alcot という会社はもうダメなんじゃないかと。 考えてみれば Alcot の全盛期は Clover Days の前後の時期だろう。分社の Alcot Honeycomb も活気づいていたし、Clover Days 自体が絵柄で圧倒的に有利だった。それに「春季限定」や「未来無視」シリーズの妹ゲーも独自のスタイルを確立していて、どう見ても飛躍する勢いだった。 しかし現実は違った。理由は知らないが、聞くところによると Clover Days は売上が振るわず赤字だったらしい。その後 Alcot Honeycomb の作品も魂を失ったようで、一時は地雷請負人にシナリオを書かせ、看板絵師も辞めてしまった。LoveRec というゲームはまあ悪くないと思ったが、評価は平凡だった。 それからどんどん悲惨になっていった。Alcot が去年出したママ女神ゲーなんて見る気すら起きないし、レビューすら見つからない。完全に空気扱いだ…… Alcot の公式 Twitter も毎日のようにツイートしているが、どれも「会社倒産売り尽くし」の既視感しかない。売っているのは Clover Days のグッズやら、その他古臭いものばかり。この感じ、いつ倒産してもおかしくないと思わせる。 そして今年、Alcot は新作を出した。キャッチコピーは「Alcot シリーズ作品の正統続編」。見た瞬間、あ、これは本当に倒産する流れだなと悟った。 なぜなら、以前に「正統続編」なんて売り文句を出した会社は Lass だ。彼らも最後に「長らく発売延期していた正統続編」を出し、そして潰れた。 もっとも不思議なのは、Alcot に正統続編なんてあるのか?ということだ。LoveRec は即席で作ったのか?Clover Days も間に合わせだったのか?よく見れば分かる。おそらく彼らの元々の「パロディ穿越セミSF」路線のシリーズ作品の正統続編という意味だろう。『幼なじみは大統領』や『鬼ごっこ!』、『中の人などいない!』あたりがその路線だ。その後の作品は方向性がずれていったので、今回の「正統続編」は元の路線に戻るというだけのことだ。 そして新作のタイトルは『将軍様はお年頃』。

『景の海のアペイリア ~カサブランカの騎士~』レビュー

『景の海のアペイリア』は個人的にかなり推せる。驚きがあるし、新鮮だ。ただ残念なことに、俺がここまで持ち上げたゲームなのに、去年の売上はぱっとしなかったらしい。とあるゲームのFDにも負けてる始末だ。 それでも『景の海のアペイリア』は続編を発表した。とはいえ続編と言いつつ、実質FDなのはタイトルとパッケージを見れば一目瞭然だ: 『景の海のアペイリア ~カサブランカの騎士~』、接尾辞は「カサブランカの騎士」。 普通、あるゲームのFanDiskといえば、本編キャラそれぞれの後日談に、本編でルートがなかったキャラの新規ルートを足したもの、大体そんなところだ。俺も最初は『景の海のアペイリア ~カサブランカの騎士~』がそういう作品だと思っていた。何せパッケージに描かれているのはあの二人の脇役っぽい連中だし。 脇役と言っても完全に脇役というわけではない。本編でも主人公と絡みの多いサブキャラだし、一人はもう一人のヒロインであるましろと縁のある看護師のお姉さんだ。ただゲームの仮想世界の中では、二人とも女騎士なだけ。 だが実際にプレイしてみると、これはFandiskというよりAppend diskと呼ぶべきなんじゃないか?

『妹ぱらだいす!3』レビュー

去年の十月、北京で瘋牛居士竹牛逼が東四民芳レストランで灌腸をご馳走してくれた時、彼がこんな質問をしてきた。 「お前のブログ、今かなりイケてるよな?」 「イケてるも何もないわ。俺のブログでイケてるのは一箇所だけだ。」 「どこだ?」 「Googleで「妹ぱらだいす2」って検索してみろ。一番上に何が出るか見てみろ。」 「何を検索するって?一摩托……何だ?」 「日本語だよ!」 それから竹牛逼に「妹ぱらだいす2」を検索するよう指示して、一番上の結果を見た竹牛逼も思わずこう唸った。 「すげえすげえすげえ、マジすげえ。」 「だろ?俺のブログの唯一すごいところはこれだけだ。まあ、どう説明していいかはわからんがな。」
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『眠れぬ羊と孤独な狼』レビュー

Clockup は「とても真面目な」ゲームをよく出す会社だ。もっとも、大半の時間に抱く印象はそうじゃないけど。 Clockup の代表作は euphoria で、これがどんなゲームかは自分で検索すれば分かると思う。それ以来、Clockup というブランドが出すゲームの多くは「隠す気ゼロ」な印象を与えてくる。 ここでいう「隠蔽なし」とは、ゲーム内容における「直接性」や「暴力性」だけを指すわけじゃない。むしろ、そもそも「18禁」ゲームそのものの特色を体現しているってことだ。18禁って何かって言えば、要は成人向けコンテンツでしょ。成人向けコンテンツって何かっていうと、色情だけじゃなくて暴力もあるわけで。だからこの二つの要素が、Clockup の多くのゲームでこれでもかとぶちまけられているってわけだ。 Clockup は数多くの抜きゲーを世に出してきて、「エロ」のイメージを存分に表現してきた。それと同時に、「シナリオゲー」も多数リリースしていて、面白い物語をたくさん語ってもいる。もちろん、そうした物語には「エロ」だけでなく、露骨な「暴力」も含まれている。さらにぶっ飛んでいるのは、Clockup が妙ちくりんな笑える抜きゲーまで出していることだ。作風はこれまでのダークな路線とはまるで違う。しかし、これら毛色の異なるゲームはすべて同じブランドから出ているのであって、他の会社のようにサブブランドを立ち上げて分類するわけではない。なんだかすごくいい加減に見える。これこそ、俺が最初に Clockup はいつも奇妙な印象を残すと言った理由だ。 しかし間違いなく、Clockupは定期的に、時にはかなり含蓄のある良作を出してくる。初期のどこか文芸映画風の『夏ノ鎖』だけではなく、数年前の『Maggot baits』も強く印象に残っている。絶望の極致にある世界で、もう一度希望が生まれる物語を描いていたが、内容はやはり非常にハードコアなエロと暴力に満ちていた。それらは意図的に盛り込んだものではなく、ゲームのテーマをしっかり際立たせている。いわゆる「過激」な要素に妥協する気は一切ないらしく、必要なCGはきっちり出す。少しの美化もない。時々、そこには「暴力美学」とでも言うべき要素すらあるように思える。 このスタイルを思い出させるもう一つのゲームが DOOM だ。暴力に反対してきた連中は多いが、そいつらはみんな死んだ。 そうして『Maggot Baits』を作った当時のスタッフが再びClockupに集結し、またもやややダークな雰囲気の『眠れぬ羊と孤独な狼』を届けてくれたわけで、当然期待も高まるというものだ。