レビュー

『聖娼女 ~性奴育成学園~』レビュー

抜きゲーとは何か? 簡単に言えば、抜き=オナニー、抜きゲーとは内容のすべてがオナニーのために存在するものだ。他のストーリー重視の18禁ギャルゲーには「ストーリーを求めてプレイする」という言い訳の布がまだあるが、抜きゲーは直接的に、シンプルに、乱暴にアナタの相棒を刺激するために存在している。 『聖 ○女 ~ ○ ○育成学園~』はまさにそういう抜きゲーで、名前の通り、学園の女生徒を手にかけてRBQにしてしまうのがゲームの目的だ。

『恋がさくころ桜どき』レビュー

『ましろ色シンフォニー』のキャッチコピーはこうだ。男の子は何色だろう? 女の子は何色だろう? そして男の子と女の子が恋をしたら、恋は何色になるのだろう? 『恋がさくころ桜どき』のキャッチコピーはこうだ。恋ができない女の子、恋に興味がない男の子、二人が恋をしたら世界はどう変わるのだろう? まあ、パレット+和泉つばす先生の再タッグ作である。タイトルの紹介文も相変わらずキザでほんのり青くさい、恋への憧れを抱かせる純粋な雰囲気を漂わせている。最初は俺もそう思っていた。恋がさくころ桜どき(Koi ga Saku Koro Sakura Doki)なんて、要するにただの……学園もので……主人公がゆっくりヒロインを落としていく話で、せいぜい少し甘い程度だろう、瀬名愛理や瓜生桜乃のルートとそう変わらない。どんなに頑張っても、乾紗凪のルートみたいに無理やり引き延ばすのか? 実際は全然違った。

『变态王子与不笑猫PSP』レビュー

日本のラノベ市場の作品の大部分に対して、俺はそこまで高い評価を持っていない。ストーリーはともかく、まず語りの滑らかさが大きな問題だ。読んでいてまあ許せると思える作品はごくわずかで、大半は中学生レベルの語り口、単純粗暴な展開、退屈極まりない倒れ込み、そして意味ありげに「正義の味方」を大げさに語るだけ。正直、目新しさを感じるものは少なく、この点では俺は国内の作品の方が好きだ。 もちろん無理もない。ラノベという産物はイラストと共に興ってきたものだから、ストーリーがダメでイラストが良い作品にはこんな言葉がある。 「イラストを買ってトイレットペーパーをおまけで貰う。」 一番ムカつくのはブサイクな人間じゃなくて、ブサイクなのに自分をイケてると思っている人間だ。 一番アホらしいのはアホに見える人間じゃなくて、アホなのにずっとそこら中でイキっている人間だ。 大部分のラノベ作品についても俺はそう見ている。ただし一部の作品は除く。『変態王子と笑わない猫。』はその一つだ。
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『恋する彼女の不器用な舞台』レビュー

成人してから一度も恋愛をしたことがない人間なら、多かれ少なかれ幻想に浸る「二次元妄想」の時期を経験しているはずだ。 否定するなよ。恋愛したことがあるか、認めたくないかのどっちかだ。でなきゃ……リア充のあんたが、なんで俺のブログなんか読んでるんだ? 俺にもそんな時期があった。あの頃の俺は妙に自意識が高くて、どこか距離を置いた孤高さをまとって、世界に想像を膨らませていた。 他人の恋愛話を見ると、つい胸が締め付けられる:なんであんなやつに彼女ができるんだ? なんであのカップルはいつもどこか間抜けに見えるんだ? この世に女の子はこんなにいるのに、どうして誰も俺に気づいてくれないんだ?俺の「彼女」はまだ現れてないってことなのか? かつて私は信じていた。自分には幼い頃からそばにいて、毎日自分から話しかけてくれる幼馴染がいるはずだと。学校では、部活で顔を赤らめながら話す女子が一人や二人いるはずだと。あるいは、ふとした偶然から、とある謎めいた少女の知られたくない秘密を知ってしまい、そこから二人だけの絆が生まれるはずだと…… 女の子が瓊瑶(キョンヤオ)の小説や青春恋愛ものにハマるように、男子が見るああいったハーレム系の作品も、俺たちに夢のような理想世界を作り出してくれる。 「なぜこういう物語は俺の身に起きないんだ?なぜ俺の周りには、まだあんな女の子がいないんだ?」 ことわざにもある通り、人は自分自身を少しずつ知っていく過程で成長する。ある日鏡に映る自分を見て、「これ誰だよ、誰が好んで近づいてくるんだよ」なんて思ったとき、いわゆる「主人公補正」がこれまで一度も自分に降りかかったことがない理由も、なんとなく分かる気がする。 成長するにつれて、十分なリソースと魅力がなければ奇跡なんて降ってこないと分かるようになる。かつて見ていた夢は、振り返ってみれば現実世界が自分に突きつけてくるある種の反差と茶化しに近い。虚構はやはり虚構で、非現実的なものはどれほど美しくても現実には根を下ろせない。のめり込むほどに落差と疲れが生まれやすい。 俺は結局、そこから抜け出せた。でも、いつまでもバラ色の夢に浸ったまま、目を覚まそうとしない奴もいる。現実の挫折感には、ちょっとした幻想のクッションが要る。そんな夢がもたらす一瞬の高揚も、たぶんまた別の依存のはじまりにすぎない。 だから今日話すのは、まさにそういう幻想投影みたいな作品——

『キミへ贈る、ソラの花』レビュー

幽霊の存在については、いくつかの段階を経てきた…… 小学生の頃、この世に幽霊がいるかもしれないと聞いて、恐怖でいっぱいだった。香港や台湾の粗悪なホラー映画を見ただけで眠れなくなったし、地元のくだらない心霊怪談を聞けば暗闇が怖くなった。でもその後、香港・台湾のホラー映画のメイキング映像を見て、自分でも心霊怪談を広めてみたら、怖いと思うことは二度となかった。 人間は未知のもの、制御できないものにしか恐怖を感じない。そう理解している。幽霊の存在について、人間は捕まえることもできず、かといって否定もできない。挙げ句の果てに幽霊は魔法が使えるだの、超能力があるだの、人間を操って風雨を操るだのと言い出すから、ますます人間は不安になる。 そしてその後、幽霊が存在するかどうかについて新たな認識を持った。もし人が死んで幽霊になり、この世界で横行できるというなら…… この世界、幽霊だらけじゃないか!人類なんてとっくに幽霊にやられてるだろ! というわけで、初雪桜の次に俺がプレイした幽霊がらみのゲームがこれだ。 『キミへ贈る、ソラの花』はCabbitの第2作。そうそう、前回の『翠の海』のあれだ。今回は前作で濃厚な抜きゲー感漂う絵を描いていた絵師を外し、知紗のキャラデザを手がけた自称女性のゆき恵が単独で作画を担当。外見からしてほのぼの系満載の作品である。 で、シナリオは本当にほのぼのなのか?信じてくれ、ほのぼのじゃなかったら俺を何とでもしてくれ!

『はるかかなた』レビュー

地雷作とは何か? 表面的には良さそうに見えて、いざ手を出したら想像していたものとまるで違う代物で、しかもひどい目に遭わせられて最後に慰めてもくれない、あの坑爹な作品のことだ。 たとえるなら、苦労して女神を落として、さあ事に及ぼうとしたら女神は実は男で、しかも強引に受けにさせられてケツが血まみれになるまで掘られ、最後には捨てられて肉便器としてゲイバーに売られる、あの感覚。 地雷作が与えるものは「騙し」とは違う。騙しはただ弄ばれただけだが、地雷作は弄ばれたうえに縛り上げられて口にクソを突っ込まれるのだ。 『はるかかなた』(遥か彼方)の評価は低いと最初に聞いた。地雷だと。だが私は思った、いくら地雷でもどれほど地雷なんだと? シナリオが息切れ? 展開の説明なし? 絵がクソ? 人がバタバタ死ぬ? それ以上何がある? どんなクソシナリオでも見てきた、そうクソじゃないはずだと。好奇心が湧いて、この地雷がどれほどのものか見てやろうと思った…… だが間違っていた。はるかかなたは確かに合格点の地雷で、地雷を再定義し、私に地雷を再認識させた。 この作品は私を深く掘り、そして笑って去っていった。

『星織ユメミライ』レビュー

世界は暗い。だが、それだけで光の存在を否定する理由にはならない。 そんな奴を知っている。知り合ったきっかけはやはりネットで、会った当初からこいつは凡庸だと思っていた。どう言えばいいか、その凡庸さは、話はできるけど飛び抜けたところが感じられない、反抗的な個性もなければ人と争うこともなく、いつもニコニコしているように見えて、これといった主張もない。かといって無知なわけでもなく、いろんなことを知ってはいるが、これといって精通しているものもない。 こいつは人生に情熱のかけらもないんじゃないかと思うことがある。でも、ずっと楽しそうなのだ。 将来何がしたいのか聞いたことがある。プログラマーになりたいと彼は言った。「すごいソフトを書くってこと?」と聞くと、彼は否定した。「それができれば一番いいけど、まあ何かを作って誰かの問題を解決できればそれでもいい」と少し間を置いて、「コードを書くのが好きなんだよ。子どもの頃にほとんどの奴がブロック遊びが好きだったのと同じ感じで」と続けた。 それから彼とは連絡を取らなくなった。話していても退屈すぎたからだ。何を言っても受け止めるだけで、自分は平凡な人生を淡々と送り、何かを企てようともしない。大物や凄腕というのは偏執的で狂熱的で、頭が一本気なものだと思っていた。そんな奴は、人混みに放り込んだら見つからなくなる類の人間だ。 だが年月が流れ、ネット越しに無数の大物が立ち回るのを見、何人もの凄腕の曲折した人生の曲線を見てきた。彼らはいろんなことのために奔走し、何かを得ては何かを失った。そこでようやく気づいた。情熱のかけらもないあの男のほうが、かえって一番幸せな人間になっていた。

『SINCLIENT』レビュー

SINCLIENTはBOOST5開発のギャルゲー……ああ、正確に言えばギャルゲーじゃないな。18禁内容のあるビジュアルノベルだ。選択肢も分岐も一切なく、最初から最後まで一直線に進む。 ボリュームは長くはないが、決して短くもない。二章構成で、序章とbabylonという本編に分かれている。クリアして思ったことが一つある…… それは、このゲームの序章と本編Babylonがまったく噛み合ってないってことだ。別ゲー……別シナリオ……厳密さで言えば別の水準だ。

『翠の海』レビュー

『翠の海』を知ったのは2年前。ゲームCGの1枚を見かけて、月明かりの下のヒロインがあまりに綺麗だったから、もっと何枚か探そうと思って検索してたら、CGがおかしなことになってるのに気づいた。同じポーズでヒロインが血の付いた包丁を握ってるCGがある。ああ、はいはい、分かった、闇落ちヒロインの設定なんてそこら中にあるし。調べるとどうやら漢化組が翻訳中らしい。じゃあ中国語版を待とう、と待って待って、待ちに待って、俺みたいな雑魚が生肉に手を出し始める頃になっても漢化の報せは来ない。仕方ないから本体に手を出した。 このゲームについてはあまり知らなかった。プレイ前にざっと見た感じ、評価はおおむね好評。ただ誰もシナリオには触れてなくて、選択肢を間違えると死ぬ、とだけ書いてあった。 「男主が死ぬくらい大したことじゃねえだろ。」 というわけでゲーム開始。
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『紙の上の魔法使い』レビュー

この世界には魔法が存在するし、魔法の本だってある。魔法の本っていうのは魔力を帯びた存在で、書かれた物語は悲しかったり嬉しかったり、宙ぶらりんだったり呆気なかったり……別に珍しいことじゃないかもしれないけど、魔法の本と呼ばれてる以上は「魔法」な部分があるわけで。 「魔法の本を開けば、書かれた物語があなたのそばで実際に繰り広げられる。物語が本の結末まで進むと、魔法の力は消える」 すごい話だけど、魔法の本がもたらすのは幸せばかりじゃない。むしろ現実に迷惑をかけることのほうが多い。だから游行寺闇子は使命として、本を集めて魔法図書館で保管している。 闇子は游行寺家に嫁いだ女性で、とある事情から一族に疎まれていた。游行寺家は魔法の本と関わりがあるけど、彼らには恐れているものがある。紙上の魔法使いと呼ばれる魔女で、白髪赤眼が特徴だ。疎まれていた日々の中、游行寺闇子と夫は娘を授かった。でもその瞬間、すべてが変わった。