エロゲー

『プトリカ 1st cut:The Reason She Must Perish』レビュー

ルクルというシナリオライターは、Galgame市場の中でちょっと異質な存在だと思っている。他の作品がまだ表面的でステレオタイプな二次元恋愛にこだわっている頃から、ルクルは演劇風の文章と演出で、ひと味違う見せ方をしてきた。「中二病哲学」だの「暗くて重い話」だの「テンプレ通りの校庭告白」だのに固まりきったGalgameのシナリオ業界に、一種の次元の違う一撃を食らわせたわけだ。 『紙の上の魔法使い』『水葬銀貨のイストリア』『空に刻んだパラレログラム』、そして『冥契のルペルカリア』を経て、ルクルは長いこと新作を出していない。サボっているからだと言う人もいるが、自分はそうは思わない。彼の一連の語りを追いかけたり、ちゃんとプレイしたことがある人なら、ルクルの得意な叙事の三本柱はすぐにまとめられるはずだ。矛盾だらけの悲惨な宿命、臆病な主人公と、長い時間をかけてその耳元で悪魔の囁きを続ける敵役、そして天才を造形して凡人が彼の前に抱く劣等感を描くこと。だから『冥契のルペルカリア』はすでに集大成なんだよ。ルクルが出し切れるものを全部詰め込んだ作品で、この作品の中に他の作品の影をいくつも見ることができる。自分はしばしば、ルクルは『冥契のルペルカリア』を書き終えたあと燃え尽きてしまったんじゃないかと思う。 もちろん、冗談めかして言えば「ネタ切れ」だ。

『妹ぱらだいす!3』レビュー

去年の十月、北京で瘋牛居士竹牛逼が東四民芳レストランで灌腸をご馳走してくれた時、彼がこんな質問をしてきた。 「お前のブログ、今かなりイケてるよな?」 「イケてるも何もないわ。俺のブログでイケてるのは一箇所だけだ。」 「どこだ?」 「Googleで「妹ぱらだいす2」って検索してみろ。一番上に何が出るか見てみろ。」 「何を検索するって?一摩托……何だ?」 「日本語だよ!」 それから竹牛逼に「妹ぱらだいす2」を検索するよう指示して、一番上の結果を見た竹牛逼も思わずこう唸った。 「すげえすげえすげえ、マジすげえ。」 「だろ?俺のブログの唯一すごいところはこれだけだ。まあ、どう説明していいかはわからんがな。」

『Making*Lovers』レビュー

少し前にこんなことを考えた。 いったいどのギャルゲーが、リアルの恋愛にいちばん近い恋愛体験を提供しているんだろう? 無理やり考えてみると、真っ先に浮かんだのが SMEE という会社のゲームだった。 そう、SMEE は HOOKSOFT と実質同じで、「段階的な恋愛」を描くことに重きを置いていると謳っていて、「主人公とヒロインが、出会いから知り合い、知り合いから恋に落ち、恋から……いや、恋からゴールインへ」みたいなスタイルのゲームをよく出す。ただし口ではそう言うものの、ゲーム自体はあまりそう見えないんだけどな。 なんだろう、SMEE のゲームは日常の中でギャグや小ネタをやる感じのものが多い。最初のフレラバ friend to loverの頃はまだそこまで露骨じゃなかったけど、後のPureXConnectだのステップ彼女だのからは、ゲームのギャグ部分にどんどん重心が移っていって、ヒロインの個性や主人公のツッコミをより誇張した表現で見せるようになった。中には主人公まで変態みたいにして、そっちにツッコませるものまである。 SMEE はギャグ路線でどんどん逸れていってる感じがある。特に前作の「田舎恋愛」なんかはもう小ネタの集合体で、ヒロインたちにもこれといった特徴がないし、絵柄も怖いし、プレイしててマジで苦痛だった。本田さんが演じる田舎のお嬢様がゲーム中ずっと下ネタを連発するのを見せられて、しかも精子を観察するらしい小ネタとかもあって、泣くに泣けず笑うに笑えず、最後の告白もすごくお約束で気が抜けてて、わけわからんまま終わった。 個人的に好きなのは SMEE 初期のフレラバのスタイルで、ゲーム中の会話は「女の子を知る」ことが中心、選択肢も「女の子とコミュニケーションを取る」ことが核になっている。しかも多くの女性キャラの造形がリアルの恋愛にかなり近い。特に望月里奈、それに野菜を売ってる沢渡岬先輩あたりだ。これが SMEE のゲームがリアルな恋愛に近いと言っている理由でもある。 そして今回 SMEE がまた新作を出した。Making*Lovers だ。これもプレイヤーが恋愛対象を探すのが主導で、スタイルはやっぱりあの軽妙でユーモラスな会話タイプ。しかもゲーム開始時にすごく簡単なプレビュー版が配信されて、各ヒロインと数分ずつ会話する程度のもので、正直何がなんだかわからなかった。その後体験版も出たけど、もうすぐ発売だし見る気も起きなかった。 製品版をプレイして言えるのは、これは近年の SMEE でフレラバの次に良いゲームだということだ。
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『初情スプリンクル』レビュー

過去の自分のギャルゲー感想を振り返ると、苦笑いしたくなる。 昔の自分はいつも思っていた。ゲームがヤバいものになるには、とにかくシナリオが良くないとダメだと。シナリオが良いって何だ?つまり超展開がなきゃいけない。しかも展開が飛躍しすぎてもいけない。爆発的な展開で、なおかつ合理性を保ち、伏線は山ほど張って全部回収する。できれば人生の教訓や世界の真理なんかも少し織り込んであれば、それがヤバいゲームなんだと。 今から思えば、当時の自分が追い求めていたのは「シナリオ重視」の中のヤバいゲームでしかなかった。でも映画館にアメリカの大作があるように、そこらへんの凡作もあるように、ギャルゲーだって「シナリオ重視」だけじゃない。 ゲームがキャラクターを十分可愛く造形できていれば、それも悪くないんじゃないか――そう考えたこともあった。ただ、そういうゲームは「シナリオ重視」のゲームより一段下に見てしまっていた。向こうは大作で、こっちはキャラを可愛く造形して萌えを売るだけの、いわゆるお茶を濁すような作品だと。『DEATH NOTE』と『ゆるゆり』を比べるようなもの、3A大作と minecraft を比べるようなものだ。普通は同じ土俵じゃないと感じる。

『アオイロノート』レビュー

エロゲーを始めてからというもの、オレはかなりクソを食ってきた。そのせいでゲームへの要求水準はどんどん下がり、今では「一つの物語をアホみたいな展開にせず最後まで語れて、キャラがそこそこ可愛くて、CVが仙台のおばさんじゃなければ、それは良いゲームだ」と思っている。 まあ、せいぜい「悪くないゲーム」ってところだが。 日本人は「予想外のクソゲー」を「地雷」と呼ぶ。要するに期待に胸を膨らませてプレイしたら、期待とかけ離れているどころか、むしろクソで、まるで犬の糞を踏んだり地雷を踏んだりしたみたいに、こちらの心が粉々に爆発する。そういうゲームを「地雷」と呼ぶのはなかなか言い得て妙だ。 正直に言うと、オレは「地雷」ゲーをそんなにたくさんプレイしたことはない。おそらくオレは欲望が小さく、ほとんどのゲームにそこまで期待を寄せていないし、許容度も高い。どんなに話がぶっ飛んでいても、まあアホな部分はあるにせよ、少なくとも光るものはある。 実はゲームがアホかどうか、クソかどうかは、主に制作陣の意識の問題だ。中には、制作側が自分で一度プレイしてみれば、このゲームがどの程度のレベルかはだいたい分かるだろう。だからプレイヤーに評価されるまでもなく、自分たちで評価すれば十分だ。 ただ、一つ不思議なことがある。一部のエロゲーは、あらゆる面から見て明らかに制作がいい加減で、制作陣も「これはかなりいい加減な寄せ集め作品だ」と分かっているはずなのに、それでも作って売り出す。 言い換えれば、お前はこれがクソだと分かっていて、それでも売り出すのか。金は稼げずに罵声だけを買うことになる。なぜわざわざ発売までこぎつけるのか。 今回取り上げるのは、その名も『アオイロノート』というゲームだ。

『こいのす☆イチャコライズ』レビュー

子供の頃、父は俺の宿題を厳しくチェックしていた。中でも一番厳しかったのが作文だ。 「チェック」って何かというと、俺が作文を書いたらまず父に見せて、ダメ出しをもらい、父が納得して、まあまあ直ったなという状態になってからじゃないと提出できなかった。 理不尽だろ? めちゃくちゃ家長的なやり方だろ? でも物事には両面あって、父自身が文章を書くのが割と上手かったおかげで、もらった意見の多くは役に立った。 一番印象に残っているのは记叙文についてで、父はよく俺の書いたものを「つまらない」とバッサリ言った。つまり読者が続きを読みたいと思わないってことだ。「話には起伏があるべきだし、場合によってはサスペンスも必要だ。そうじゃないと読んでもらえないぞ」と。 「でも俺が覚えてる出来事自体が退屈なんだよ」——確かおばあさんに席を譲る話を書いたんだったと思う。『記一件有意义的事』ってやつ。 「話を組み立てればいいじゃないか。たとえばおばあさんに席を譲るんだけど、最初は頑なに座ろうとしない。後になって、自分は年寄り扱いされるのが嫌だったと説明する、とか……」 「でもそれって完全に作り話じゃん……」 「お前が書いてる席譲りの話自体、作り話じゃないのか? お前、席なんて譲ったことあるのか?」 「………………」