中国語

『琉璃樱』レビュー

日本人は物語を語るのが好きだ。特に伝説の話が好き。中国の伝説がだいたい「一定の枠組みに沿う」のに対し、日本の伝説の多くはめちゃくちゃ自由奔放だ。これは日本の「八百万の神」の思想と関係していて、万物が神様、誰だって小さなカミサマなわけだ。しかも日本の神話には「仏教」の味がするものも多く、たいてい「輪廻」の思想を踏襲している。神様にまつわる伝説を語り、その伝説が輪廻にも関わり、話がどう転んでも最終的には始まりと終わりがつながった円になる。そうやって読者をハッとさせようという狙いだ。 でもこのパターンも何度もやられると飽きる。少なくとも俺は飽きた。俺はこういう筋書きをたいてい「人語を話さない日系の感傷的な物語」と呼んでいる。

『眠れぬ羊と孤独な狼』レビュー

Clockup は「とても真面目な」ゲームをよく出す会社だ。もっとも、大半の時間に抱く印象はそうじゃないけど。 Clockup の代表作は euphoria で、これがどんなゲームかは自分で検索すれば分かると思う。それ以来、Clockup というブランドが出すゲームの多くは「隠す気ゼロ」な印象を与えてくる。 ここでいう「隠蔽なし」とは、ゲーム内容における「直接性」や「暴力性」だけを指すわけじゃない。むしろ、そもそも「18禁」ゲームそのものの特色を体現しているってことだ。18禁って何かって言えば、要は成人向けコンテンツでしょ。成人向けコンテンツって何かっていうと、色情だけじゃなくて暴力もあるわけで。だからこの二つの要素が、Clockup の多くのゲームでこれでもかとぶちまけられているってわけだ。 Clockup は数多くの抜きゲーを世に出してきて、「エロ」のイメージを存分に表現してきた。それと同時に、「シナリオゲー」も多数リリースしていて、面白い物語をたくさん語ってもいる。もちろん、そうした物語には「エロ」だけでなく、露骨な「暴力」も含まれている。さらにぶっ飛んでいるのは、Clockup が妙ちくりんな笑える抜きゲーまで出していることだ。作風はこれまでのダークな路線とはまるで違う。しかし、これら毛色の異なるゲームはすべて同じブランドから出ているのであって、他の会社のようにサブブランドを立ち上げて分類するわけではない。なんだかすごくいい加減に見える。これこそ、俺が最初に Clockup はいつも奇妙な印象を残すと言った理由だ。 しかし間違いなく、Clockupは定期的に、時にはかなり含蓄のある良作を出してくる。初期のどこか文芸映画風の『夏ノ鎖』だけではなく、数年前の『Maggot baits』も強く印象に残っている。絶望の極致にある世界で、もう一度希望が生まれる物語を描いていたが、内容はやはり非常にハードコアなエロと暴力に満ちていた。それらは意図的に盛り込んだものではなく、ゲームのテーマをしっかり際立たせている。いわゆる「過激」な要素に妥協する気は一切ないらしく、必要なCGはきっちり出す。少しの美化もない。時々、そこには「暴力美学」とでも言うべき要素すらあるように思える。 このスタイルを思い出させるもう一つのゲームが DOOM だ。暴力に反対してきた連中は多いが、そいつらはみんな死んだ。 そうして『Maggot Baits』を作った当時のスタッフが再びClockupに集結し、またもやややダークな雰囲気の『眠れぬ羊と孤独な狼』を届けてくれたわけで、当然期待も高まるというものだ。

『夜巡る、ボクらの迷子教室』レビュー

Galgameをいくつか遊んで、いくつか罠を踏んで、いくつかクソを食らって、振り返ってみると色々と面白いものが見えてくる。 Galgame好きのほとんどは中国語翻訳版から入る。最初はアニメや漫画を見て、それから「あのゲームにはエロいやつが出るらしい」と聞きつけて触り、そういうルートでシナリオ重視のGalgameに出会う人もいれば、より多くの人はGalgame=AVだと完全に思い込む。 今どき「Galgameって何?」と聞けば、おそらく80%は「ネコぱら」と答える……残りの18%がシュタゲと答え、その2%の中にようやく『メモリーズオフ』が出てくるかどうか、ってところだ。 そう、ここでハッキリ言うが「ネコぱら」はクソだ。ただのエロゲーで中身も議論の価値もない。絵柄も個人的には好みじゃないし、抜くことすらできない。だから今のところ2分くらいしか遊んでいない。もっと悲しいのは、あまりにも多くの新規がネコぱらに釣られて、ネコぱら=Galgameとまで思い込んでいることだ。思い出すだけでため息が出る。 Galgameの多くにエロ要素があるのは確かだが、HしかないGalgameに立ち位置はない。Galgameを知りたいなら、入門にはもっと面白い作品が必要だ。 『メモリーズオフ』シリーズはGalgame入門として良い作品だし、この特殊なジャンルの一番素朴な形でもある。音楽に問題はないし、シナリオもまあまあ、大きな波はないが起伏はそれなりにあって、多くの人が最初に触れる作品としては確かに向いている。これでGalgameに興味を持った人は、もっと「似たようなゲーム」を探すだろう。そこで色々と問題にぶつかる。
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『千の刃濤、桃花染の皇姫』レビュー

俺は「ガンシュー」系のゲームはあんまり好きじゃない。すぐ飽きるのが分かるからだ。ぶっ放し系はいつも同じパターンばかりで、CSが流行った頃も長くは遊ばなかった。 楽しく遊べたのは、やっぱり中国語のRPGだな。最初に触れたのはみんなと同じく『仙剣』シリーズ。RPGをやる前はストーリーなんて全然読んでなかった。ぶっ放し系のゲームも当時は翻訳なんてなかったけど、GPSみたいなナビがあって、マップを開いてルート通りに進んで、見かけた奴を片っ端から殺せばよかった。でもRPGはストーリーを見なきゃダメだ。物語だからな。攻略だって、俺みたいに遊んだゲームの話をいちいち復唱するような暇人はいない。 だから『仙剣』シリーズから、最初は余杭県で誰かに会うたびにエンターキー連打で会話を飛ばしていたのが、蘇州城に着く頃には真面目に話を読むようになって、だんだん物語に溶け込んでいった。「ゲームの筋書き」の魅力を味わったわけだ。もちろん当時の「ガンシュー」に筋書きがなかったわけじゃない。ただ当時のゲームは筋書きの表現が少なかったんだよ。Delta Force 3 Land Warriorに可愛いMakoちゃんが出てて、危うく死にかけるなんて、どうやって知ればいいんだ……ゲーム本編では何も語られないんだから。 つまり何が言いたいかというと、中国語RPGの流れに乗って、俺は「ゲームを物語として読む」遊び方を始めた。同時にRPGと「ガンシュー」をだんだん分けて考えるようになった。後者は「爽快感」を追求し、前者は「読む」ことを追求する。 国産RPGにはかつて輝かしい時代があった。今見ても日本産ギャルゲーを軽く凌駕する作品は少なくない。中華の歴史は日本より長いし、誇れるものも多い。大陸の文化的雰囲気がどんどん悪くなっても、華語圏には台湾がある。『軒轅剣』シリーズは中国語RPGの中でも独特な存在だ。いち早く「歴史」と「神話」を融合させ、特に外伝では「感情」も織り交ぜてくる。