『晴のちきっと菜の花びより』レビュー
Quoraのキーボード評論家たちが議論していた問題がある。
ギャルゲーは文学か?
実はこの問題自体が問題だ。ゲームが文学かどうかを聞くのは、「人間」は「変態」かと聞くようなものだ。確かに人間には毎日舐めないと気が済まない変態もいれば、俺のようにそういうことに全く興味がない正常人もいる。
ギャルゲーはやはりGameだ。Gameである以上ストーリーがある。ただ大多数の非抜きゲーギャルゲーではストーリーに重点が置かれているだけの話で、ここに「文学」の要素が多少あるかもしれないが、それだけで文学とイコールだと言えるわけがない。
では「文学的要素」を持つGameジャンルとして、ギャルゲーにはストーリーで何とかしようとする作品が多い。このご時世、伏線も神展開もなければ「つまらない」と叩かれる。だからこそ「虐めてみたり」「死なせてみたり」「飛ばしてみたり」しないと神シナリオと呼ばれず、日常重視のものは見向きもされない、という風潮がある。
これについては2007年の中国の大学入試国語の作文のお題がすごく好きだ。「意料之外、情理之中」――予想外だが、もっともな話。
つまりどう展開しようが、どれだけ飛んでも、脳洞がどれだけ広かろうが、筋が通っていて「予想外だけど納得」と思わせられれば、その物語は成功だ。たとえ日常描写でも、生き生きと書けて、各キャラの性格が「意料之外情理之中」に達していれば、それもまた成功だ。少なくとも物語自体にハラハラ感があり、理解しやすく、無茶苦茶とも思われない。
もっと露骨に言えば、どう書くにせよ、最低限論理は必要だ。これが基本。
論理がなければ物語はちんぷんかんぷんになる。まさに『晴のちきっと菜の花びより』のように。