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アニメやギャルゲーをよく見たり遊んだりしている人なら、おなじみの設定がある。日系オタク向けの設定で最もよくあるのが「ハーレム」だ。
この「ハーレム」は、よく見る清朝の後宮ドラマとはちょっと違う。『鹿鼎記』なんかに似ている部分はあっても、やはりどこか違う。
日系のハーレムはほとんどが「男主角が長い間、複数の女性と曖昧な関係を続けているのに、肝心なところで告白しねえ」というものだ。日本は現在一夫一妻制だから、告白したら他の女性は終わり、お払い箱、敗犬になって、ハーレムの意味がなくなる。
この「ハーレム」ってのは、要するにギリギリのラインの曖昧さを楽しむもので、全裸でいろんな娘と抱き合ってもいい、娘の全身を見てもいい、Kissしてもいい、胸を揉んでもいい、果てはマンコに触ってもいい。だが挿れさえしなければ、お前と彼女は曖昧なままで、他の女性にもチャンスがあり、ハーレムは続く。だからこのセックスってのが基本的に一線で、大抵のハーレム作品はその一線を越えない。越えるのは結末を迎える時だけだ。
しかし「ハーレム」という作品はギャルゲーにとってはまた別の光景になる……ギャルゲーには一線がないから、ハーレムには「真ハーレム」と「偽ハーレム」が存在する。「真ハーレム」は読んで字のごとく、ハーレムで、男主角が3P 4P 5678P…………いろいろ言葉にできないことになる。そして「偽ハーレム」はやはり漫画アニメのあれで、曖昧さを玩ぶ。全てのヒロインが男主を好きだが、ギャルゲーである以上、必ず本塁打を打つし、一部のクソ漫画やラノベみたいに終わりのない引き延ばしにはならない。
大抵のハーレム設定はこうだ:
阿虎虎はこれ以上ないほど普通の高校生。家にはこれ以上ないほどブラコンで、イカを食べるのが大嫌いな妹がいる。隣には小竹という幼馴染がいて、毎日阿虎虎と一緒に登校する。学校の生徒会長は毒舌女で、毎日わざと阿虎虎に絡んでくる。同時に阿虎虎は学校の図書館にいるある女子に密かに恋していて、彼女は来たばかりの転校生で、阿虎虎はある時電車の中で彼女と偶然出会う。
阿虎虎はずっと自分には恋愛運がないと言っているが、この物語の結末はというと、阿虎虎の妹は自分と結婚したいと言い、阿虎虎は小竹をただの幼馴染だと思っているが実際には小竹は毎日阿虎虎に向かって自慰していて、生徒会長は毒舌だがツンデレで、阿虎虎のことが好きで好きでしょうがなく、絡んでくるのは阿虎虎ともっと話すためで、図書館の妹子も実は阿虎虎が好きだが、どうしても言い出せず、心の中に隠すしかない……
こうして阿虎虎は、自分はチー牛だと謙遜しながら、まるで恋愛とは無縁のクソKYのように、これらの美少女たちの間を立ち回る。ある事件が訪れて選択肢を選び、告白する時まで……
見覚えあるだろ? ありきたりだろ? 漫画やラノベはともかく、少なくとも大半のギャルゲーは似たような設定だ……
実はこの設定にはツッコミどころがたくさんある。特に男主角が自分には全く女っ気がないと言う点:
「てめえ阿虎虎、実は女っ気ありすぎだろ!」
このツッコミも、やっているうちに慣れる。中にはこの枠組みから飛び出そうとするゲームもあるが、最後には戻ってくる……ヒロインを何人も書くならこうするしかないだろ……他にどうしろと……
そう、他にどうしろと? ほら、Hookという会社が違う答えをくれた。ハーレムがお決まりのパターンに従わなかったら、どんな光景になるかを教えてくれた……
少し前にこんなことを考えた。
いったいどのギャルゲーが、リアルの恋愛にいちばん近い恋愛体験を提供しているんだろう?
無理やり考えてみると、真っ先に浮かんだのが SMEE という会社のゲームだった。
そう、SMEE は HOOKSOFT と実質同じで、「段階的な恋愛」を描くことに重きを置いていると謳っていて、「主人公とヒロインが、出会いから知り合い、知り合いから恋に落ち、恋から……いや、恋からゴールインへ」みたいなスタイルのゲームをよく出す。ただし口ではそう言うものの、ゲーム自体はあまりそう見えないんだけどな。
なんだろう、SMEE のゲームは日常の中でギャグや小ネタをやる感じのものが多い。最初のフレラバ friend to loverの頃はまだそこまで露骨じゃなかったけど、後のPureXConnectだのステップ彼女だのからは、ゲームのギャグ部分にどんどん重心が移っていって、ヒロインの個性や主人公のツッコミをより誇張した表現で見せるようになった。中には主人公まで変態みたいにして、そっちにツッコませるものまである。
SMEE はギャグ路線でどんどん逸れていってる感じがある。特に前作の「田舎恋愛」なんかはもう小ネタの集合体で、ヒロインたちにもこれといった特徴がないし、絵柄も怖いし、プレイしててマジで苦痛だった。本田さんが演じる田舎のお嬢様がゲーム中ずっと下ネタを連発するのを見せられて、しかも精子を観察するらしい小ネタとかもあって、泣くに泣けず笑うに笑えず、最後の告白もすごくお約束で気が抜けてて、わけわからんまま終わった。
個人的に好きなのは SMEE 初期のフレラバのスタイルで、ゲーム中の会話は「女の子を知る」ことが中心、選択肢も「女の子とコミュニケーションを取る」ことが核になっている。しかも多くの女性キャラの造形がリアルの恋愛にかなり近い。特に望月里奈、それに野菜を売ってる沢渡岬先輩あたりだ。これが SMEE のゲームがリアルな恋愛に近いと言っている理由でもある。
そして今回 SMEE がまた新作を出した。Making*Lovers だ。これもプレイヤーが恋愛対象を探すのが主導で、スタイルはやっぱりあの軽妙でユーモラスな会話タイプ。しかもゲーム開始時にすごく簡単なプレビュー版が配信されて、各ヒロインと数分ずつ会話する程度のもので、正直何がなんだかわからなかった。その後体験版も出たけど、もうすぐ発売だし見る気も起きなかった。
製品版をプレイして言えるのは、これは近年の SMEE でフレラバの次に良いゲームだということだ。
先週、鄭州で北京から来た、全国に事業を展開する有名ネット企業の知り合いに会った。G+ でそこそこ名の知れたロードバイクの内腿摩擦係にして上級プログラマー評議員の「Neo Slixurd」だ。彼はホモで名前が Neo なので、俺はたいてい「キニオ」と呼んでいる。略して「キニョ」だ。
キニオとの会話は楽しい。まず「小竹姫は結局バカなのか」という問題について一緒に議論し、すぐに意見が一致した。その後の雑談で、俺がギャルゲーをやっている話にもなった。
キニオが一番不思議がっていたのは、俺がなぜそんなに早く日本語を覚えたのかということ。実は全然早くない。毎日エロゲーをやっていれば誰でも早く覚える。関連する経験はここに書いてある。
次にキニオが興味を持ったのは、俺が一体どれくらいゲームをやっているのかということ。自分で数えたところ、一年で 80 本くらいだ。ただこの数字はあまり正確じゃない。俺はギャルゲーを小説のように読んでいるからだ。つまり「ゲームが指定するメインルートの結末」しか見ない。他の結末は俺にとってはただの「可能性」であって、ヒロインに愛があれば妄想すればいい、本物の物語ではない。だから「はつゆきさくら」のように物語全体を分割するタイプでない限り、たいていはメインルートだけ進んで、他はざっと見る程度。だから一本のゲームもそんなに長くない。全ルートクリアとなると、批評空間の統計では多くの日本人が 19 時間くらい必要とする。もちろんその時間もそんなに長くない。ただ毎日やる奴はいないだろ?
最後にキニオとギャルゲーのシナリオの傾向について話した。キニオは自分がやるゲームは昔のものか、そこそこ有名なものばかりで、最新のゲームがどんな傾向なのか知らないと言っていた。実は最新のゲームも大半は陳腐だと説明した。全体の品質は今の主流の新作アニメよりほんの少し高いくらいだが、それも客層のせいだ。批評空間の統計ではエロゲーをやる人の大半は 25~30 歳の層で、もう中国の B 站のように 20 歳以下のアニメを見る小学生レベルではない。
「実は大半のエロゲーのシナリオはクソみたいなもんだ。例えば最近やったこれとか。」
そう言って俺は『働くオタクの恋愛事情』というゲームの話を始めた。
『初恋サンカイメ』というゲーム自体、宣伝を見た時から不思議だった。初恋サンカイメの中国語の意味は「三度目の初恋」だ。
普通、初恋ってのは「初」を強調するもんで、最初がなければ二度目は初恋とは呼べない。なのになんで三度も初恋があるんだよ、と。
このゲーム自体、元々そんなに興味はなかった。宣伝も見た感じそんな感じだったし、仙台のおばさんが女一号だし、他の人もあんまり知らないし。唯一やりたい理由があるとすれば、上原あおいが声を当ててる妹がいるってことくらいか……
もちろん俺は妹萌えじゃない。念のため言っておく。
ただ、やってみたら予想以上だった。というか、今年に入って「物語を完全に整理しきった」ゲームを見たのは初めてかもしれない。少なくとも良作のレベルにはあるだろ?
個人的に唯一の引っかかりは、なんで男主の恋が「三度目の初恋」と呼ばれるのか、ってことだ。むしろ最初からゲームが合理的な説明をくれることを期待してた。
しばらく抜きゲーばかりやってた時期があって、そのあと廃萌キャラゲーを一通りやって、やっぱり自分は「物語重視」の基本路線に戻るべきだなと思って探してみたら、個人的にかなり好きな『紙の上の魔法使い』のシナリオライターの初期作品『運命予報をお知らせします』を見つけた。日本のオタクが中二空間で書いてる評価をざっと見た感じ、大丈夫そうだったので始めてみた。
プレイ時間は十数時間くらいと聞いていたけど、思ったより長く感じた。やってみた感想はけっこう驚きで、こんなに描写が丁寧な作品に久しぶりに触れたからかもしれない。おかげでこのゲームのあとに新作の『フローラル・フローラブ』をちょっと開いたら、文章のレベルの落差が受け入れられなくなった。前者は大学生の読み物、後者は比べるまでもなく中学生の読み物レベル……
まあ、日本語力が上がってきたせいで、かなりアホっぽい書き方にも「ダサいな」と思うようになったってのもある。昔は意味が分かればいいやって感じだったし。
小さい頃、誰もが童話を読んでいた。
面白いのは、童話では主人公がたいてい女の子だということ。内容も、弱い女の子と彼女を守る王子様の物語が多い。
男の子は読んだあと、王子様になって自分のお姫様を守りたいと思う。
女の子は読んだあと、お姫様になって自分を守ってくれる王子様を探したいと思う。
記憶に残っている童話を思い出してみたが、意外なことに性別による偏りはほとんどなかった。つまり、男の子も女の子も同じ物語を読み、異世界への探求をし、何世代にもわたり語り継がれる王子と姫の物語に触れていたのだ。
だが時は流れ、男の子も女の子も大人になった。かつて聴いた童話は嘘だと、暗黙のうちに受け入れているのかもしれない。ほとんどの男は守るべき姫など信じていなし、ほとんどの女も王子が助けに来る夢を見なくなった。
過去に読んだ童話を振り返ると、思わず苦笑してしまう。懐かしさなのか、それともかつてこんなものを信じていた自分がおかしいと思っているのか。
それでも童話は止まらない。王子と姫の物語を語り続け、聴きたいと思う人のために残っている。
『ましろ色シンフォニー』のキャッチコピーはこうだ。男の子は何色だろう? 女の子は何色だろう? そして男の子と女の子が恋をしたら、恋は何色になるのだろう? 『恋がさくころ桜どき』のキャッチコピーはこうだ。恋ができない女の子、恋に興味がない男の子、二人が恋をしたら世界はどう変わるのだろう?
まあ、パレット+和泉つばす先生の再タッグ作である。タイトルの紹介文も相変わらずキザでほんのり青くさい、恋への憧れを抱かせる純粋な雰囲気を漂わせている。最初は俺もそう思っていた。恋がさくころ桜どき(Koi ga Saku Koro Sakura Doki)なんて、要するにただの……学園もので……主人公がゆっくりヒロインを落としていく話で、せいぜい少し甘い程度だろう、瀬名愛理や瓜生桜乃のルートとそう変わらない。どんなに頑張っても、乾紗凪のルートみたいに無理やり引き延ばすのか?
実際は全然違った。