新島夕
俺は新島夕に対してかなり思い入れがある。彼が書いた『初雪桜』が、初めて「うわ、ギャルゲーってこんなこともできるんだ」と思わせてくれたゲームだったからだ。何しろそれまで俺が遊んできたギャルゲーは、ありきたりな学園恋愛もので、毎日ヒロインと会話して、時間が来たら告白して、そのままエッチして終わり、というパターンばかり。ところが新島夕はなんとかなり特殊な展開をぶち込んできたので、俺の中で彼の印象はすこぶる良くなった。
その後も新島夕は次々と新作を出した。『魔女恋愛日記』だの、あの『しんあい彼女』だの、評価は彼を叩くものが多かったけど、俺は彼には才能があると思っていた。ただギャルゲーのユーザー層に理解されていないだけで、時には小説でも書けばいいのに、ギャルゲーなんていう安っぽいものを作るべきじゃないとすら思っていた。
そしたら新島夕がクソ野郎の麻枝准とつるみ始めたと聞いた。二人で商業互賛して、Summer Pocketsをでっち上げ、さらには新島夕が枕のホモどもと一緒に『サクラの刻』を作るだとか……
俺が新島夕のことなんか忘れかけていた頃、今月発売のゲームに『アインシュタインより愛を込めて APOLLOCRISIS』なんてものがあるのを見つけた……
新島夕がまた新作を出した。下半期に突然、Key傘下に新ブランドGlovetyを立ち上げると発表し、以前『恋×シンアイ彼女』で組んだきみしま青、志水マサトシとタッグを組んで、ブランド第一作(そしておそらく最後の一作)『アインシュタインより愛を込めて』を発売する準備を進めている。
アインシュタインより愛を込めて、つまり From Einstein With Love ってことだ。でもこのゲームの英語サブタイトルはそれじゃなくて、The only source of knowledge is experience. なんだよね。「理論は実践から」みたいな意味で、しかもこの英文はアインシュタインの名言 Information is not knowledge. の続きっぽい感じもある。
ともかく、新島夕がまた来た。しかもオタク連中がこぞって愛するきみしま青を連れて、この文芸臭プンプンのタイトルで。阿呆なオタクどもは早くも大興奮、体験版すら出てないのに「聖地巡礼」だのなんだのと気が早い。そして公開されてるたった一枚のポスターからあれこれ要素を分析して、新島夕がどんな話を書くのか予想し始めた。ヒロインの「高IQ」設定と絡めて、「高IQ低EQな奴が恋に目覚める話なんじゃね?」とか「理系男女が恋に落ちてそれを証明しようとする展開?」とか、勝手に脳内補完しては勝手に感動してやがる。発売前からここまで自己陶酔できるのは、柚子厨以外じゃお目にかかれない。おかげで俺のこのゲームへの期待値は下がった。
むかしむかし、七人の人間が重い罪を犯し、天罰を受けた。
彼らは神と対話できるという島へやって来て、信心深く天に願った。赦しを請い、救済を求めた。
その心があまりに敬虔だったため、天の神は彼らに心を動かされ、神力でもって七人の罪を赦し、彼らが犯した罪をも取り消した。彼らのせいで死んだ者たちも蘇った。
そして過去の罪の歴史が変わったことで、七人は天に願ったことすら忘れ、幸せに暮らし続けた。
だが七人の所業は傍らの者に覗かれ、天に祈る儀式も覗き見た者によって書き留められた。
この儀式は後に「刻の調べ」と呼ばれるようになり、七人揃えば儀式を執り行えて、天の神の加護を得て、望むことなら何でも叶う、歴史すら変えられるとされた。
やがてこの儀式は悪人に利用され、取り返しのつかない結果を招き、悲劇を生んだ。
島の神社の巫女たちは、そんな悲劇を二度と起こさぬよう、儀式に必要な品を隠し、この「七人の伝説」を可能な限り薄れさせ、いわゆる儀式をこの世から消そうとした。
それから何年も経ち、同じく「七つの罪」を背負う者たちがここへやって来た。
彼らは偶然から「カルマルカ」という謎の儀式を起動するよう求められた。起動すれば自らの罪は消えるという。
だが儀式が起動した瞬間、彼らは自分のために罪を消すことも歴史を変えることも選ばず、この儀式を永遠に止めてほしいと願った。その願いも神に受け入れられた。過去がどうあれ未来がどうあれ、神の力で盲目的に変えるべきではない、大事なことは自分の手で握るべきだと気づいたからだ。
それきり「カルマルカ」も「刻の調べ」もなくなり、神に最も近いこの島も平穏を取り戻した。
カルマルカ*サークルの物語は、こうして終わった。
他人がどうやって「物語を読むときの『没入感』」を追い求めているのか知らないけど、まずは自分の考えを話そう。
多くの場合、何かの物語を見ると、似たような筋書きが自分にも起きたことがあるなと気づく。物語の中の結末が自分の人生のどこかと同じだったり、あるいは始まりだけ同じで結末は違っていたり、物語の誰かが現実の友人や知り合いにそっくりだったり、あるいはそういう物語の主人公が自分に似ていたり、とにかくいろいろだ。そういう物語を見るたびに、自分のことを思い出す。物語の展開が現実と違うせいで、人生の悔しさや感慨にふけることもある……
ただそれだけだ。
そう、それだけ。自分が主人公になったと想像したことはないし、ゲームの主人公が出会う女の子が自分の彼女になったと想像したこともない。このキャラかわいいなと思うことはあるけど、それだけ。俺を知ってる人なら気づいてるかもしれないけど、ゲームで好きな女の子を「嫁」と呼んだことは一度もないし、「XXX 俺の嫁」なんて言ったこともない。ゲームのキャラを好きになるのは、その子の物語が好きだから、性格が好きだから、その子の言葉が好きだから。容姿に関しては……正直、日本の画風なんて数えるほどしかないし、一人の絵師が描くキャラなんて機械の量産品みたいなもんで、誰を見てもだいたい同じに見える。だから性格と物語で決まる部分のほうがずっと大きい。
俺が大事にしている考えはこれだ。キャラクターは物語によって豊かになる。これは物語の中だけの話じゃなくて、人生も同じだ。風雪をくぐり抜けて複雑な過去を持つ人間は、自然と話し方や振る舞いに独特の魅力が出る。まあ誰だって昔話をひとつやふたつ語ってイキることはできる。見てくれよ、こんなにパッとしない俺だって、いつも昔の話をちょっと持ち出してはひけらかしてるじゃないか。
だから絵師の単体の絵を眺めることはほとんどない。Twitter で好きな絵師の画風があっても、見て、シェアして、かわいい綺麗だとつぶやくくらい。保存はしない。アイコンにすることもあるけど、すぐ変える。失礼な気がするからだ。
そう、物語の裏付けがなければ、空っぽのキャラクターには意味がない。人がただそこに立っているだけでは、性格も声も振る舞いもわからず、その人についてほぼ何も知らないのと同じだ。勝手に好きだと言うのは、ほぼ空論だ。
キャラの画像は集めないけど、これだけゲームをやってるとさすがに集めたものはある。ほとんどはゲームの音楽だ。さっき言ったスタイルと同じで、ゲームの曲を聴くときもだいたいストーリーをやったことのあるゲームの曲、特に OST を聴く。曲を聴くとゲームの物語が思い出されるし、物語の中のキャラも思い出される。たまたまどこかのゲームの曲がいいなと思ったら、しばらく聴いてからそのゲームをやりたくなる。この曲の裏にはどんな物語があるのか見てみたいと。
だからある日『永遠の魔法使い』を聴いて、すごく興味が湧いた。どんな物語なのか。八方美人な人間が、魔法を使ってもどんな願いも叶えられず、諦めようとする……
だから『魔女こいにっき』をやった。
『恋×シンアイ彼女』は正直最初はやる気がなかった。理由は二つ。
一、設定が好みじゃない。学園恋愛ものなんて見てるだけで眠くなる。 二、持ち上げられてるシナリオライターの新島夕がそこまで好きじゃない。
初雪桜(はつゆきさくら)は良いゲームだと思うけど、新島夕って奴のシナリオ能力は正直褒められたもんじゃない。如月金星での仕事を見ても、俺の判断は間違ってなかったと証明されたようなもんだ。