『空と海が、ふれあう彼方』レビュー
『君の名は。』を観たとき、ヒロインが自分が山村にいることを不満に思って、大都市に行きたい、新しい世界を探検したいと言っているのを見た。
正直、こういう内容は俺たちにとって目新しいものではない。日本の映像作品では、主人公が田舎にいて、この町が嫌いだ、この田舎が嫌いだ、東京に行きたい、大都市に行きたいと嘆くシーンをよく見かける。
でも、多くの人はこういう考えに理解を示さないかもしれない。
「田舎はいいじゃん、大都市の何がいいの?どこが田舎より気楽なの?」
まあ、葡萄を食べないと葡萄が酸っぱいかどうかわからないというか、大都市で育った人には小都市での繁栄への憧れが理解できないのかもしれない。いわゆる田舎に戻りたいという人のほとんどは、都会の喧騒に飽きただけに過ぎない。
それに、多くの人は田舎がどんな状況なのか理解していない。もし田舎に放り込まれて、町に入っても喜茶(HEYTEA)の一軒も見つからないと気づいたとき、どれだけ田舎で自転車に乗って尻を擦りむいても、心の空虚さは埋められないだろう。
俺は小さい頃に一度田舎に行ったことがある。俺の老家は河南省開封の貧困県にあって、正確には俺の老家ではなく、祖母の側の老家だ。
その時どれだけ貧しかったかというと、行った後、地元の人が最高の食事でもてなしてくれて、疙瘩湯(小麦粉の団子スープ)を炊いて、その中にいくつか割った卵が入っていた。これが最高基準だった。しかもその卵はその日の雌鶏が面目を保って卵を産んだからであって、そうでなければ卵すらなかった。
その村の村民は鶏を飼うのに鶏小屋すらなく、卵を産む巣だけがあって、夜は雄鶏も雌鶏も木に飛んで寝る。
そう、俺も実際に大きな雄鶏が木の梢に飛ぶのを見て、初めて「鶏」も「鳥」なんだ、奴らにも翼があるんだと思い出した。ただ、都市での慣性思考がそれを忘れさせていただけだ。
田舎には新鮮なところもあるが、すぐに飽きた。飛ぶ鶏でさえ、やっぱり退屈すぎた。あまりにも単調だったからだ。食事だけでなく、人物も、やることも、風景も。
多くの人は山奥の風景がどれだけ美しいかと言うが、毎日見ていたら、遅かれ早かれ飽きる。ここで一生見なければならず、永遠に都市に戻れないと言われたら、おそらく崩壊するだろう。
だから、田舎にいて大都市に行きたいと思う人の気持ちも理解できるはずだ。今は田舎にもネットがあり、宅配便もあるけれど、やはり華やかな世界の方がいい。
ましてや、この「田舎」が島の上だったら?