糖块社

『ゆまほろめ 時を停めた館で明日を探す迷子たち』レビュー

何年も前にエロゲーを始めた頃、俺にはちゃんとした理由があった。何年もだらだら続くラノベやアニメ漫画の「連載」にうんざりしていたし、あのくそ長いだけの物語にも飽き飽きしていたからだ。だからギャルゲーを選んだ。当時、俺が一番満足していた理由の一つはこれだ。 「ギャルゲーは他のACG作品と違って、同じ作品の中で必ず物語の結末を見ることができる」 しかし時が経ち、この言葉はどんどん現実から乖離していき、俺のギャルゲーに対する見方も反対の端へと変わり始めた。飽きから、嫌悪へと。 今のギャルゲーがラノベのような「分巻」販売方式を覚えたことはさておき、俺が一番うんざりしているのは、ギャルゲーが長年にわたって「現状維持か後退」の市場発展を続けていることだ。 ギャルゲープレイヤーはよく自分を「サブカル愛好家」と称し、いわゆるマイナー趣味であることに誇りを持ち、常に他人にギャルゲーを勧めようとしたり、自分でギャルゲー制作に身を投じたり、ほとんどのACG掲示板で自分の好きなギャルゲーを紹介したりする。いわゆる「愛好家」の大半は、これがマイナー市場であり、グレーゾーンにあって日の目を見ない之类だと認めているが、いつかこの市場が進化してより多くの人に受け入れられることを祈っている。そして、一つの細分化されたゲームカテゴリーとして、ギャルゲーには大多数の人に明らかに拒絶される欠点が多すぎるのに、いわゆる愛好家の大半はそれを無視し容認し、しかも十数年も我慢している。これも俺が予想だにしなかったことだ。

『若葉色のカルテット』レビュー

一、 私の名前はソフィア、フルネームはソフィア・クーゲル・ウェストリン。名前がクソ長すぎて自分でも覚えられないから、みんなソフィアと呼ぶ。エリデュローネという国の王女として、日本に留学に来ている。 もちろん、我が国の地位がクソしょぼいせいで、堂堂たる一国の王女なのに「転校生」として日本の普通の学校に来る羽目になった。さらに悲惨なのは、自分で家を借りてアパートに住まなきゃいけないことだ。 王女にあるまじき待遇じゃん! もちろん理由は分かっている。 我が国エリデュローネでは、誰もが二つの形態を持っている。動物形態と人間形態だ。もちろん我が国はセナリオ遠征隊のスポンサーじゃないし、私もドルイドじゃない。ただ、国の誰もが「変身」できる血統を持っていて、動物と人間の形態を自由に切り替えられるだけだ。 しかし、その能力を私は持っていない。

『縁りて此の葉は紅に』レビュー

Lump of Sugar、そう、またLump of Sugarだ。方糖社、角糖社、糖块社、その新作がまた来た。 今回は他のクソ絵師を全部蹴り飛ばして、唯一戦える萌木原ふみたけだけを残した。しかも萌木原は唯一の絵師として画風を進化させていて、要するに前より可愛く見えるようになった。 このゲームの宣伝には大きなサプライズがあった。前述の通り女の子が可愛くなったのもそうだが、もう一つのサプライズは世界観の設定とゲーム自体の雰囲気だ。 宣伝では「紅葉」を大量に使っていて、タイトルの『縁りて此の葉は紅に』と相まって、ようやくちょっとした文芸っぽさが出てきた。 エロゲーのタイトルに文芸っぽさが出るのは本当に珍しい。みんな知ってる通り、今のクソ日本のACG作品のタイトルは全部「漢字名詞/形容詞」+「カタカナ外来語」の構造になっていて、しかもそれが何年も続いている。「星降る夜のファルネーゼ」だの、「初情スプリンクル」だの、「景の海のアペイリア」だの、「春音アリス*グラム」だの、「蒼の彼方のフォーリズム」だの、「水葬銀貨のイストリア」だの、「月影のシミュラクル」だの、こういうタイトル以外にも、全部カタカナか平仮名で漢字を書かないクソゲータイトルの方がもっと多くて、もう何と言っていいか分からないくらいだ。だから不思議でしょうがない。日本人も自国文化を叫んでるんじゃないのか? カタカナばかりじゃ無理だろ? まさか今後全部カタカナで書くつもりか? 森森森が散歩のことをツイートする時も「散歩」じゃなくて「ウォーキング」って書くんだぜ。日本人は漢字よりカタカナの方が打字しやすいからそんなに熱心なのか、俺には分からん。 とにかく、『縁りて此の葉は紅に』、このタイトルは気に入った。この紅葉の雰囲気と設定も気に入った。タイトルの意味もなんとなく分かる。「縁/姻縁」が前提にあって、「ここの葉が紅くなり始めた」ということだ。 正直、1月のゲームはどれも普通だと思ったが、このゲームが最後の希望になった。やってみた感想は、かなり進歩している、ただまだ伸びしろはある。
広告

『もののあはれは彩の頃。』レビュー

正直に言うと、俺はななろば華のファンだ。黒歴史も多少あるけど、それでもファンなんだよ。女絵師が描く女の子には、男絵師には出せない特別な魅力があるとずっと思ってる。男には真似できない、女の子にしか分からない「可愛さ」がそこにあるんだよな。だから『もののあはれは彩の頃。』も自然と注目するようになった。発売延期を何度も繰り返して、体験版も出たからプレイしたけど、感想は……すごく微妙だった。 何というか、『もののあはれは彩の頃。』の制作元である QUINCE SOFT は糖块社こと Lump of Sugar の子会社だ。Quince はマルメロ、つまりカリンで、独特な果物で「気軽に食べられない」という複雑な性質を持つ。子会社の名前が QUINCE SOFT なのは、糖块社がもともと出していた「ある程度の遊び応えがある複雑なゲーム」を独立させて別ブランドにしたかったからだろう。「ある程度の遊び応えがある複雑なゲーム」とは何かというと、たぶん運命線上のφやMagical Charming、連想リーレシュンのような作品だ。単純な分岐じゃなくて、複雑な選択肢が大量にある。正直、こういうゲームは結構好きなんだが、『もののあはれは彩の頃。』に関しては、ちょっと複雑すぎる。

『タユタマ2 - After Stories』レビュー

『タユタマ2 -you’re the only one-』は去年出たゲームで、個人的にはかなり良いと思ってる。 どこが良いかって? 毒がないからだ。 そう、ハードルは低いのにこれがなかなかできてない。ざっと見渡しても、ゲームどころかアニメですら、余計なストレスをくれない作品はごくわずか。唐突に三角関係で胃薬を渡してきたり、すぐ妹を虐めて胸を痛ませてきたり、はたまたループだのタイムスリップだのの超展開で吹き出させてきたり。だからこそ、「人間」と「太転依」がどうやって仲良くやっていくかをひたすら描く、これ以上ないくらいの正能量ゲーム『タユタマ2』は業界の清風なのだ。 Steamで出てから売れ行きは微妙だし、値段は値上げ後の2Bお姉さんの4分の1に届く勢いだけど、現実なんてそんなもんだろ。地味な正能量コンテンツは刺激が足りなくて、ひねくれた死んだオタクの注目を集められない。お尻だけがすべての売上の源泉なのだ……

『学☆王 + PSP Ver』レビュー

正直な話、俺はもうほとんどただの萌え豚になりかけている。 萌え豚って何かっていうと、もう物語とか筋書きとかどうでもよくなってて、女の子が可愛くて声が良ければ、俺はもうこのゲームはアリだと思う。他の奴がダメって言っても、俺は無理やり理由をこじつけてでもアリだって言う、そういう感じの…… まあそれも仕方ないよな。何せこの世界は顔で決まるんだから。