青春

『ユキイロサイン』レビュー

以前大絶賛していた『アオナツライン』が、1年あまりの時を経て精神続編を出した。それが『ユキイロサイン』だ。 なぜ「精神続編」かというと、脚本も絵師も同じなのに制作会社が変わっていて、wonder foolという会社になっているからだ。クソみたいな戯画を捨てたことには百手を挙げて賛成だが、このwonder foolも決して良い鳥ではない。これまでに出したクソゲーを見てみろよ、どれも誰も欲しがらない端切れを適当に発売しているだけの感じがする。 ともあれ、このゲームには期待していた。『アオナツライン』がヤバかったから、これも当然ヤバいだろうと。オタク連中はこのゲームを通じて再び自分の青春を感じたいと切望していたのだ(実際には存在しないけれど)。 ところが、発売後にプレイしてみて、残念ながらこう言わざるを得ない。このゲームは大多数が求めていたものを提供してくれなかった、と。

『アオナツライン』レビュー

「青春」って言葉はよく見かけるけど、それって一体何なんだろうな? よくこういうのを見る。 「XXXってドラマが終わった。俺の青春も終わった」 「XXXってアニメが終わった。俺の青春も終わった」 「XXXが結婚した。俺の青春も終わった」 もし「青春」が若い頃の単なる一状態にすぎないなら、それは年齢と共に終わるもんであって、特定の誰かやアニメやドラマに左右されるもんじゃない。 人によって「青春」の意味は違う。

『アオイロノート』レビュー

エロゲーを始めてからというもの、オレはかなりクソを食ってきた。そのせいでゲームへの要求水準はどんどん下がり、今では「一つの物語をアホみたいな展開にせず最後まで語れて、キャラがそこそこ可愛くて、CVが仙台のおばさんじゃなければ、それは良いゲームだ」と思っている。 まあ、せいぜい「悪くないゲーム」ってところだが。 日本人は「予想外のクソゲー」を「地雷」と呼ぶ。要するに期待に胸を膨らませてプレイしたら、期待とかけ離れているどころか、むしろクソで、まるで犬の糞を踏んだり地雷を踏んだりしたみたいに、こちらの心が粉々に爆発する。そういうゲームを「地雷」と呼ぶのはなかなか言い得て妙だ。 正直に言うと、オレは「地雷」ゲーをそんなにたくさんプレイしたことはない。おそらくオレは欲望が小さく、ほとんどのゲームにそこまで期待を寄せていないし、許容度も高い。どんなに話がぶっ飛んでいても、まあアホな部分はあるにせよ、少なくとも光るものはある。 実はゲームがアホかどうか、クソかどうかは、主に制作陣の意識の問題だ。中には、制作側が自分で一度プレイしてみれば、このゲームがどの程度のレベルかはだいたい分かるだろう。だからプレイヤーに評価されるまでもなく、自分たちで評価すれば十分だ。 ただ、一つ不思議なことがある。一部のエロゲーは、あらゆる面から見て明らかに制作がいい加減で、制作陣も「これはかなりいい加減な寄せ集め作品だ」と分かっているはずなのに、それでも作って売り出す。 言い換えれば、お前はこれがクソだと分かっていて、それでも売り出すのか。金は稼げずに罵声だけを買うことになる。なぜわざわざ発売までこぎつけるのか。 今回取り上げるのは、その名も『アオイロノート』というゲームだ。
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『空色イノセント』レビュー

音楽教師とお見合いをしたとき、彼女にこんな質問をされた。 「あなたの青春って、どんな感じだったの?」 世の中には俺を完全に言葉に詰まらせる質問なんてそう多くないが、これは確かにそのひとつだった。