Pieces/渡り鳥のソムニウム

『Pieces/渡り鳥のソムニウム』レビュー

誰にでもある種の錯覚があるはずだ。ある人に出会ったとき、あるいはある瞬間に、頭の中に「この情景/この人、夢で見たことがある気がする」という考えがふとよぎる。 この現象については多くの人が研究し、論証してきた。大半がたどり着く結論はいくつかの可能性だ。記憶のズレか、似た場景による錯覚か、あるいは潜在意識にある場景の曖昧な記憶か。シュタインズ・ゲートのゲームに至っては「異なる世界線の既視感」と説明していたりもする。そして最後に、確証はないが排除もできない要素がひとつ残る。夢だ。 つまり、あり得る話として、あなたが出会った馴染みのある出来事は、確かに夢で見たものかもしれないのだ。 夢は面白いものだ。人間は自分の夢を決してコントロールできないが、その夢はその人自身が作り出している。すなわち、私たちが夢の中で冒険しているとき、その夢は私たち自身が編み出したものなのである。「自分と自分で遊んでいる」感覚がちょっとある。 普通の人間は毎晩眠るときに一〜三つの夢を創造していて、成長の過程でさまざまな夢が積み重なるとその数は恐ろしいほどになる。それらの中には現実で出会う情景に近いものが一、二つあってもおかしくない。だからいわゆる「既視感」が生まれる。この方法で人間の「いつも夢で見た気がする」感覚を説明するのが一番信頼できるはずだが、そんな冷たい現実より、私たちはロマンチックな解釈のほうを受け入れたいと思う。 「あなたと私の間には天が定めた何らかの繋がりがあって、だからこそ私たちはとうに夢の中で出会っていて、夢の中の情景が現実での出会いへと私たちを導いた……」 ロマンチックに聞こえるだろ? uh?