Whirlpool
何年も前、Google+ がまだ閉鎖していなかった頃、ある親切なネット友達が言っていた。彼が最も嫌いなのは、一部の「アニメ・ゲーム」作品のキャラクターが発するあるセリフで、それが口から出た瞬間に、その作品はクソだと無意識に思ってしまうのだと。
「人間なんて~そんなものだよ」
最初はその考えが理解できなかった。しかし、その後ギャルゲーをどんどんプレイし、いわゆる「神ゲー」に触れるうちに、こうした口を開けば「人間とは……」と語るキャラクターのことが……
マジでムカつくんだよ!
一番嫌なのはそのセリフそのものではなく、話し方の口調だ。高高在上で、自分も「人間」なのに常に神の視点で人類を批判する。自嘲しているのかと思えば、その清廉ぶりはそうは見えない。さらに嫌なのは、その行動が「文句は言うけど解決策は出さない」厄介な奴そのものだということ。たとえば、そういうキャラは決まって神経質に人類の醜さや自己中心性や愚かさをブツブツと呟きながら、自分も同じように醜く、自己中心的で、愚かな行いをしている。しかも真善美を訴えるわけでもなく、自分の愚行の言い訳を探しているように見えるだけで、本当に批判しているわけではない。
かつて、とても好きな絵師がいた。白もち桜である。中国語では「白餅桜」と訳されることもある。Twitterのアカウントが開設されて間もなくフォローしたのだが、不思議なことに向こうからもフォローしてくれた。
茉宮祈芹さんに次いで、俺をフォローしてくれた2人目の絵師だったはずだ。
彼女のキャラクターにはかなり好感を持っていて、一番好きだったのはやはりナツイロココロロッグだ。ヒロインの表現が本当に心に響いたし、後の魔女こいにっきで参加したキャラクターも人物造形に昇華をもたらしていた。
白もち桜が描くキャラクターは、顔に八重歯、そして綺麗な衣装がメインで、本当に少女らしさを感じさせる。ただ欠点もはっきりしていて、いわゆる「判子絵」――要するに、何を描いても同じ顔になるのだ。
その後、白もち桜はいくつかの新作に参加し、たくさんの絵も描いたが、残念ながら大きな進歩は見られなかった。彼女の筆が生み出すキャラクターはいつも同じポーズばかりで、常にパンツを見せ、常に同じ笑顔……。
次第に、俺は彼女の描くキャラクターに反応しなくなっていった。対照的に、茉宮祈芹は普段は露出の高いエロ絵を描いていても、多くのゲーム制作で魅力的なキャラクターを出してくれる。例えば、あの『タマユラミライ』とか。
そして何より、彼女はもう長い間ギャルゲーの原画を手がけていない。以前は配信もやっていて、スーパーマリオを一度プレイしたことがあるのだが、その過程は見ているこっちの血圧が上がるだけだった。
しかし最近、彼女はついに復帰した。しかも漩涡社と組んで、小品を作ったのだ。名前が覚えられない。確か……
けもの道☆ガーリッシュスクエア
去年僕がずっと持ち上げてて、破先生がずっと貶してたゲーム『Pieces/渡り鳥のソムニウム』が、一年ぶりに続編を出した……
もちろん続編と言っても、どう見てもファンディスクで、タイトルは『Pieces/揺り籠のカナリア』、揺り籠の中のカナリアだ。
実はこのゲームがFDを出すと聞いてかなり驚いた。原作のストーリーはもう終わってるし、FDを出そうにも後日談なんてほぼ無理がある。なにせ主人公たちはみんなあの「夢世界」から目覚めて、男主と女主が再会しても過去の記憶を失っていて、ただの運命的な再会ってだけだ。FDで何を語れっていうんだ? まさか現実世界でまた一発やるのか?
現実にはもう竹牛逼(竹チンポ)みたいなBoringな晒しチンポ飲精のクソ野郎がいるんだ、そんなの御免だわ!
しかも体験版まで配信されてて、見た瞬間に噴いた。
誰にでもある種の錯覚があるはずだ。ある人に出会ったとき、あるいはある瞬間に、頭の中に「この情景/この人、夢で見たことがある気がする」という考えがふとよぎる。
この現象については多くの人が研究し、論証してきた。大半がたどり着く結論はいくつかの可能性だ。記憶のズレか、似た場景による錯覚か、あるいは潜在意識にある場景の曖昧な記憶か。シュタインズ・ゲートのゲームに至っては「異なる世界線の既視感」と説明していたりもする。そして最後に、確証はないが排除もできない要素がひとつ残る。夢だ。
つまり、あり得る話として、あなたが出会った馴染みのある出来事は、確かに夢で見たものかもしれないのだ。
夢は面白いものだ。人間は自分の夢を決してコントロールできないが、その夢はその人自身が作り出している。すなわち、私たちが夢の中で冒険しているとき、その夢は私たち自身が編み出したものなのである。「自分と自分で遊んでいる」感覚がちょっとある。
普通の人間は毎晩眠るときに一〜三つの夢を創造していて、成長の過程でさまざまな夢が積み重なるとその数は恐ろしいほどになる。それらの中には現実で出会う情景に近いものが一、二つあってもおかしくない。だからいわゆる「既視感」が生まれる。この方法で人間の「いつも夢で見た気がする」感覚を説明するのが一番信頼できるはずだが、そんな冷たい現実より、私たちはロマンチックな解釈のほうを受け入れたいと思う。
「あなたと私の間には天が定めた何らかの繋がりがあって、だからこそ私たちはとうに夢の中で出会っていて、夢の中の情景が現実での出会いへと私たちを導いた……」
ロマンチックに聞こえるだろ? uh?
過去の自分のギャルゲー感想を振り返ると、苦笑いしたくなる。
昔の自分はいつも思っていた。ゲームがヤバいものになるには、とにかくシナリオが良くないとダメだと。シナリオが良いって何だ?つまり超展開がなきゃいけない。しかも展開が飛躍しすぎてもいけない。爆発的な展開で、なおかつ合理性を保ち、伏線は山ほど張って全部回収する。できれば人生の教訓や世界の真理なんかも少し織り込んであれば、それがヤバいゲームなんだと。
今から思えば、当時の自分が追い求めていたのは「シナリオ重視」の中のヤバいゲームでしかなかった。でも映画館にアメリカの大作があるように、そこらへんの凡作もあるように、ギャルゲーだって「シナリオ重視」だけじゃない。
ゲームがキャラクターを十分可愛く造形できていれば、それも悪くないんじゃないか――そう考えたこともあった。ただ、そういうゲームは「シナリオ重視」のゲームより一段下に見てしまっていた。向こうは大作で、こっちはキャラを可愛く造形して萌えを売るだけの、いわゆるお茶を濁すような作品だと。『DEATH NOTE』と『ゆるゆり』を比べるようなもの、3A大作と minecraft を比べるようなものだ。普通は同じ土俵じゃないと感じる。
Whirlpool、俺はもともとそこまで悪い印象は持ってなかった。過去のクジラをヤるやつとか、ロボットをヤるやつとか、初期の竜の姫をヤるやつとか、ともかくWhirlpoolは人外とのアレが好きなんだろうな……いや、人と混血か。それがウリなんだろう。
で、今年のWhirlpoolの新作がいきなり発表されて、いきなり発売された……俺はずっと5月発売だと思ってた……
新作のタイトルは『猫忍えくすはーと』。設定はシンプル極まりなくて、主人公の家に代々伝わる由緒正しい家系から猫耳の忍者が二人派遣されてきて、護衛兼手下として仕える、という話が展開される。
ここで強調しておきたいのは、このゲームがたった2000円で売られていて、初回特典版の抱き枕カバー付きだけが13000円だということ。
どう?このパターン、何を思い出す?XXXのセイイキシリーズじゃないか?そう、実はこのゲームはあのシリーズを意識して作られている。
特徴ははっきりしている。シナリオは短く、話は単純、絵は可愛い。