ギャルゲー
正直、最初はHARUKAZEって会社もう終わったのかと思ってた。これからは全部TokyoToonの全年齢作品に転換するんだろうな、と。まさかまた生き返って、しかも新作を引っさげて戻ってくるとは思わなかった。
タイトルは「Monkeys!¡」。しかも後ろに意味深な「二重逆感嘆符」が付いてる。加えてゲームの背景設定もあって、今回は女装ネタをやるんだな、とピンと来た。
女装作品にはあまり触れてこなかった。たいていのパターンは同じで、花を咲かせられるものは本当に少ない。印象に残っているのは昔の「まりあ†ほりっく」くらいだし、それも女装とはあんまり関係ないような気がする。
俺は昔からHARUKAZEの「ネタを振る」力には感心していた。今回も期待でいっぱいだ。新しいサプライズを期待したい。
ただ、実際にやってみた感想を言うと、この作品がもたらした「サプライズ」は多かった。でも「失望」の方がもっと多かった。
なんでこんなゲームを遊んだのか自分でも謎だ。好奇心だろうな。
『公務員辞めて、穴を掘ることにしました』
タイトルからしてネタ丸出しだが、実際その通りで、いわゆる 4399 の同人小品ゲームだ。かつての「橙光(チェングアン)」というプラットフォームがまだ生きているのかは知らないが、この作品はまさにああいう場所でしか生まれない代物だ。
ゲームの流れは短い。アホ面の主人公が、家のオタク嫁を置いて玄関先で穴を掘り、異世界へ冒険する話だ。マルチエンディングで、地下に潜って帰宅したら嫁が他の男と逃げていたパターンもあれば、時空を超えるパターンもある。ただ単にツッコミとネタで構成された作品で、面白いものなど期待するだけ無駄だ。
それに、このゲームの「ネタ」がマジで理解できない。俺が日本の若者じゃないからか、遊んでいる間ずっと表情は「電車でスマホを凝視する老人」のままだった。
「なんだこのクソ案件、これのどこが面白いんだ?」
池上茜先生にTwitterアカウントを通報されて封鎖されたことがあるんだが、理由は「ネタバレ」だの「男主のチンポの長さを泄露した」だの。とはいえ最近のエロゲー業界がマジでアホすぎて、新作が一作ごとにアホになってることを考えると、この横並び比較なら池上茜先生のこの作品は一見の価値ありだ。
『俺の恋天使がポンコツすぎてコワ~い。』
ここの「こわ〜い」は、絶対に伸ばして読まないと効果が出ない。タイトルは以前の「やばい」シリーズと同じ套路で、今回は「こわ〜い」に変わっただけ。タイトルの意味はすごくストレート:
俺の愛神キューピッドがあまりにもポンコツすぎて怖い件。
正直に言うと、このゲームはタイトル見ただけでどんな展開か分かるし、冒頭を読んでさらに吹いた:
男主が道端で「Love Note」を拾い、自称「キューピッド」の天使と知り合う。天使曰く、Love Note に好きな人の名前を書けば、すぐその人と邂逅が発生するらしい。
ああ、男主はこの「Love Note」を手に新世界の神にでもなるんじゃないか。
俺は新島夕に対してかなり思い入れがある。彼が書いた『初雪桜』が、初めて「うわ、ギャルゲーってこんなこともできるんだ」と思わせてくれたゲームだったからだ。何しろそれまで俺が遊んできたギャルゲーは、ありきたりな学園恋愛もので、毎日ヒロインと会話して、時間が来たら告白して、そのままエッチして終わり、というパターンばかり。ところが新島夕はなんとかなり特殊な展開をぶち込んできたので、俺の中で彼の印象はすこぶる良くなった。
その後も新島夕は次々と新作を出した。『魔女恋愛日記』だの、あの『しんあい彼女』だの、評価は彼を叩くものが多かったけど、俺は彼には才能があると思っていた。ただギャルゲーのユーザー層に理解されていないだけで、時には小説でも書けばいいのに、ギャルゲーなんていう安っぽいものを作るべきじゃないとすら思っていた。
そしたら新島夕がクソ野郎の麻枝准とつるみ始めたと聞いた。二人で商業互賛して、Summer Pocketsをでっち上げ、さらには新島夕が枕のホモどもと一緒に『サクラの刻』を作るだとか……
俺が新島夕のことなんか忘れかけていた頃、今月発売のゲームに『アインシュタインより愛を込めて APOLLOCRISIS』なんてものがあるのを見つけた……
みんな知ってる通り、最近の日本エロゲー業界は終わりかけていて、8月にしたってロクに張り合える大作が一本も出なかったもんだから、退屈しのぎに別のゲームを漁るしかなかったわけだ。
そんなとき、たまたまとあるブログで『幻觉』ってギャルゲーを絶賛してるのを見かけたんだが、面白いことにその制作元「灰烬天国」の前作『旧手表』がSteamでなかなか好評らしい。
Steamの国産ギャルゲーは、あれこれネタに走って自爆した連中を除けば、たいてい評価は高い。まあ『旧手表』は特にシナリオ面で高評価だったし、なにより俺が暇で暇で仕方なかったってのもあって、『旧手表』+『幻觉』のセットを購入してプレイ開始。まずは当然『旧手表』からだ。
ゲームのボリュームは長くも短くもないってところか。正直に言うと、『旧手表』は俺の予想をはるかに上回ってきた。昔触った「オタク濃度が高すぎて吐き気がする」ようなゲームどもに比べれば、『旧手表』にはある程度本物の「国産ギャルゲー」の片鱗があったし、長所も短所もはっきりしてる。だからこの記事ではこのゲームと続編、そして今ぞくぞく出てくる「国産ギャルゲー」について思うことを書いてみる。今回はあらすじ紹介もなければ、激しいツッコミもしない(国産ギャルゲーをディスると叩かれるらしいんでな)。ただの随筆で、思いつくままに書く。
最初はこの新しいMELLOWという会社と、かつてのMMEとの関係を振り返ろうかと思ったんだけど、考えてみれば意味ねえなと。だってMMEはもう死んでるんだし、だったら直接このゲームの話をしたほうがいい。
ゲームは元MMEで最もネタを振るスクリプター「垂花」によるものだ。あの、やたら大乱交や援交を書くやつ。たまにはマトモな仕事もしてたから、発売前から「こいつ絶対なんかやらかすだろ」という匂いがプンプンしていた。
アサガオは夜を識らない。
タイトルは日本語で見るとなかなか文芸的だ。アサガオは漢字で「朝顔」、紫色の……ラッパ状の花を指す。中国語で言うところの……えーと、要するにアサガオだ。直訳すると「朝顔は夜を知らない」だが、作中では「夜」に「あい」とルビが振ってある。つまり漢字の「愛」だ。そうするとタイトルの意味は「朝顔は愛を知らない」になる。
ちなみにヒロインの名前もアサガオで、このダブルミーニングの匂いがプンプンしてくる。表記は「朝顔は夜を知らない」、実際は「ヒロインは愛を知らない」ってわけだ。
ゲームは宣伝当初からずっと「本作は真の純愛を描く」と強調していた。
経験者はわかってるだろう。脚本家が「純愛」を連呼する時、中身がどうなるか……かつて虚淵玄も純愛を語るとか言って「愛の戦士」を自称してたじゃないか。
宣伝画像でヒロインが抱いている血まみれのウサギを見て、俺は覚悟を決め、そしてちょっと期待もしながらゲームを起動した。
しかし、それが失望の始まりだとは知る由もなかった。
Making*Lovers は SMEE が前に出したゲームで、あれは評判が良かった。理由はいくつかある:
音楽がいい ギャグが面白い キャラが可愛い 恋愛が甘い 他の人は知らんが、俺はこの四つが主な理由だと思う。その後 SMEE は異世界転生ものをいくつか作ったあと、ようやく本質に戻るべきだと気付いたのか、この新作を出してきた。予算が足りなかったのか、新作なのに前作の皮を被せてきて、同じ『Making*Lovers』を名乗っている。だが俺から見れば、この二つのゲームには本質的な違いがある。
年初に知人から、今年ゆずソフトが新作を出すと聞いていた。
そして先日、本当に発表された。ただ予想外だったのは、それが全年齢作品だったこと。ゆずソフトは子ブランド「ゆずソフト Sour」、つまり「酸っぱい柚子」を立ち上げた。まあ柚子は元々酸っぱいだろ、というツッコミは置いておく。
何より重要なのは今回発表された作品、『Parquet』。
多くの柚子厨は新作がまさかの「全年齢」と聞いてメンタルをやられたようだが、俺は別にいいと思った。柚子には物語をちゃんと語る力がある。少なくとも『千恋万花』は良かった。あの低レベルな「発情」や「売肉」テーマを捨てて、シナリオ重視に舵を切るのもアリだ。叙事と演出がしっかりしていれば、これを機に大きく方向転換するのも悪くない……
もちろん、「叙事と演出がしっかりしていれば」、だが。
で、このゲームは実際「しっかり」しているのか?
今年はコロナのせいなのか、ギャルゲーの作品数が急減していて、しかも老舗ブランドが制作への熱意をどんどん失っていく。例を挙げるならHOOKSOFTだ。今年のHOOKSOFTとSMEEは新作の企画をかなり出してきたけど……その新作は正直一言では言い表せない出来だった。
例えばHookの『ゆびさき』は完全にSMEEの作品って感じで、SMEEの新作はむしろMoonstone Cherryっぽい。ただこの2本(まだ発売してないHookのアレも含めて)は、宣伝のスタイルから公式サイトの紹介文まで、驚くほど似通っている。はっきり言えば、この3本は「ものすごく露骨に量産ラインの痕跡がある」。
俺は昔ゆずソフトの作品を批判した時から「量産品」に強い嫌悪感を示してきた。そりゃ「量産ライン」は作業効率を上げ、コストを下げ、発売速度を速め、収益を伸ばせるだろう。でもゲームは冷たい供給品じゃない。物語性と文化を伝える媒体なんだよ。そんなものを量産ラインで作れば、コストは下がり、速度は上がり、収益も伸びるかもしれないが、ゲームそのものが当然つまらなくなる。
日系のアニメ・ゲーム作品でよく見るパターンといえば、主人公の出自が不明で、異端者扱いされて叩かれ、最後には実は救世主だったと明かされる展開だ。もちろん日本のアニメ・ゲームでは「救世主」なんて呼び方はあまりしなくて、たいていは「神様」と言う。正直に言うと、最初に日本のアニメ・ゲームを見たとき、「神様」という呼び方を聞くたびに敬意のようなものを感じていた。だって神様だぞ、全知全能の。きっと極めて優秀な頭脳と、十分なカリスマと、我々凡人が足元にも及ばない長所を備えていて、高みの見物でこちらを「凡人」と呼び、Die Mortal!と叫んで熱い深呼吸をかますんだろうな、と。
でもその後、アニメ・ゲームに「神様」が溢れかえっているのを見て、ようやく悟った。なるほど、いわゆる「神様」は日本ではシェアサイクル並みに価値がなく、神を祀る神社は日本人自身のツッコミによれば公衆トイレ並みにありふれているらしい(実際、日本の公衆トイレは全然ありふれてなんかいなくて、俺はよく駅のトイレに行く羽目になるけどな)。物語に設定された「神様」に至っては、まったく相手にする必要がない。だって大半のアニメ・ゲームの「神様」は普通の人間よりポンコツだもの。
そうしてまた「神様」を冠したゲームが登場した。おなじみ Lump of Sugar から。
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