ギャルゲー

『お兄ちゃん、朝までずっとギュッてして!』レビュー

ずいぶん前になるが、タイトルがツッコミどころ満載で話題になったゲームがある。 『お兄ちゃん 右手の使用を禁止します』 純粋な妹萌えゲーで、主人公には名前があるのに存在感が異常に薄い。妹たちが何人も主人公の周りを囲んで回る、OPがやたらと耳に残る作品だ。 要はキャッチーなネタがあったから成功したわけだ。

『見上げてごらん、夜空の星を Interstellar Focus』レビュー

『見上げてごらん、夜空の星を』というゲームが最初に発売されたのが何年だったか、もう忘れてしまった。それでもこのゲームが俺に与えた印象はかなり強い。 確か冬、それも真冬の12月頃だった。布団にくるまって、序章からOPまで一気にプレイした。主人公が望遠鏡を作り上げ、みんなで初めての星空観測に臨む。あの胸が高鳴るOPを見て、内心かなりグッときたのを覚えている。 一番印象的だったのはゲームの音楽演出だ。大半が夜のシーンで、静かなBGMが多く、さまざまなカット割りが映画のようだった。メインストーリーも非常に優れていて、「天文観測」がテーマでありながら、実態は三角関係。本当のヒロインは異色瞳を持つ天ノ川沙夜だろう。物語の進行には回想と現実が織り交ぜられ、詳細なタイムラインまで用意されていて、本当に丁寧に作られている。 だが……『見上げてごらん、夜空の星を』は、本編がそこそこ売れたところでファンディスクが出た途端、なんだか物足りない感じになった。 まずタイムラインが消え、次に映画的なBGMと演出も消え……最後には天文観測すらほぼ消えた。 FDとは言うものの、本編にあった長所を一つも引き継いでおらず、ただのHシーン目当ての内容で、がっかりだ。 がっかりはしたが、FDだしあまり多くは求めまい。しかし、まさか……『見上げてごらん、夜空の星を』が、こんなに時間が経ってからまたFDを出すとは思わなかった。 正式名称は『見上げてごらん、夜空の星を Interstellar Focus』。後ろのInterstellar Focusは「星空フォーカス」の意味だが、Bobの指摘で気づいた。このInterstellar Focusという単語は、ただ「IF」を作るためだけに並べられたものだと。 IFとはつまり、このゲームが「もう一つのifの物語」を描いているということだ。 そのifとは何か…… 主人公はひかりと沙夜の三角関係に直面し、こう言い放つ……

『Making*Lovers 激イチャアフターストーリー Volume.01 亜子、可憐、咲』レビュー

知っての通り、今のゲーム会社ってのは基本的に節操がない…… その節操のなさが一番露骨に出るのが、ゲームを作るときに「完成するまで待つ」なんてことをせず、それなりの内容ができた時点でさっさと売り始めるという点だ。残りの内容はというと、まず本体を売って、あとは後から作る。できあがったら追加する。しかもそれを「Downloadable Content」、つまり DLC と美しい名前で呼ぶ。DLC の中には別途金を払わないといけないものもある。つまりこういうことだ。半製品のゲームをまず金を出して買わされ、さらにその後追加された内容を買うために金を出し、何度も金を払ってようやく内容が完全になり、ゲームが円満になる…… よく考えたらクソみたいな話じゃないか。幸いなことに、このバカげた悪癖は主に欧米メーカーに見られるもので、日本メーカーはまだ少しは節操がある……たぶん。 「たぶん」と言ったのには理由がある。今や日本のメーカーも悪くなっちまったからだ。ゲームを半分作ってから拡張パックを出す、ってのが日本のメーカーの新常態になってしまった。エンジンとフレームさえできてれば、マップエディタを開いてステージをいくつか追加するだけの話だろ…… ましてやマップエディタすら不要な、ゲームの最底辺に位置する「ギャルゲー」においてはなおさらだ! 不動産会社 HOOKSOFT のサブブランドである SMEE は、まさにそんな節操のない存在だ。Minifandisk と称して、やたら短いファンディスクを出したがる。内容の長さは DLC といっていいレベルだ。ああ、無恥なのは SMEE だけじゃない。実は HOOKSOFT にも節操がない。HOOKSOFT のゲームにも Minifandisk がある。HOOKSOFT のもう一つのサブブランド Asa Project は比較的節操があって Minifandisk を出さない、なんて言ったら大間違いだ。あっちは新キャラを追加して PSV 版を売る。より高く売って、より多く稼ぐ……節操なんてどこかに吹き飛んでる。 日本の不動産業って儲からないのか? だから HOOKSOFT はこんな無恥な手口で金を巻き上げるのか? さて、今回 SMEE は昨年大好評だったゲーム「Making*Lovers」の DLC、いわゆる Mini Fandisk Volume 1 を出した。 ゲームの正式名称はこうだ: 「Making*Lovers 激イチャアフターストーリー Volume.01 亜子、可憐、咲」 うわ、この名前マジでバカすぎる。あとは VOL が全部出揃ったら Deluxe Package Complete Edition とかいうサフィックスを付けるだけじゃないか。
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『かりぐらし恋愛』レビュー

Asa Project。かつて俺が一番愛していたブランドだ。 初めてその会社の作品に触れたとき、俺はASa Projectこそギャルゲー界の王晶と周星馳だと思っていた。 その後のAsa Projectも、どうやら自分の進むべき方向を見つけたようで、それが顔芸+ギャグだった。しばらくは良い作品も出て、『ひとつ飛ばし恋愛』の頃にはパロディと悪ノリが絶頂に達していた。最初に遊んだときは正直「ビビった」し、力みすぎだとも思った。ところが数年後にあのゲームを再び触ってみて、あれこそがAsa Projectの頂点だったと気づいた。 頂点と言えば、つまりその後の作品はどれも前作以下ということで……。 『プラマイウォーズ』はかろうじてスタイルとテンポを保っていた。だが、あの意味不明な『スキとスキとでサンカク恋愛』を経て、俺は痛感した。Asa Projectは迷走している、と。 どうやら元の悪ノリ路線を捨てて、純愛路線に走り始めたらしい。同時に女の子の恥じらいや可愛さを前面に出そうとする。でも、あの「悪ノリネタ」を完全に捨てる気もない。 その結果が妙なことになっていて、純愛をやるなら徹底的に純にして、ヒロインに下ネタを吐かせるのはやめるべきだ。悪ノリをやるなら、ボケとツッコミの設定を用意して、キャラ同士に化学反応を起こさせるべきだ。 だが残念ながら、Asa Projectはゲーム内の「劇のエンジン」を一人、いや半分にまで削ってしまった。しかもだんだん端に追いやって、プレイヤーに「これはAsa Projectのゲームだぞ」と思い出させるマスコットに成り下がらせている。それ以外は何の役にも立たない……。 ゲームにはツンデレで恥ずかしがる萌えキャラがどんどん増えていく。しかも分かるだろ、Asa Projectの絵師の実力はあんなものだ。一目見て勃起するレベルには全然届かない。だからゲームはどんどんおかしくなり、どんどんつまらなくなる。ギャグもなければ恋愛の感じもない。皮肉なことに、同じHOOKSOFT傘下のブランドなのに、Asa Projectの出来はsmeeにも劣る。向こうはネタがどんどん良くなり、雰囲気もどんどん軽くなり、恋愛パートもちゃんとある。なのにAsa Projectは四不像、居心地の悪さが半端ない……。 そんな気まずい気持ちのまま、俺たちはAsa Projectの新作『かりぐらし恋愛』を目にした。

『約束の夏、まほろばの夢』レビュー

もう2年近く前になるかな、『初恋サンカイメ』っていうゲームがあってさ。あのゲームには嫌な仙台のオバサンが出てくるんだけど、シナリオはなかなか面白かったんだよな。当時は販促も地味だった気がするけど、2018年のギャルゲー水準で見れば十分優秀だった。業界はもう終わりだなんて言われるのも仕方ないよ、今年出たゲームはどれもこれもアホすぎるからな。 だから『初恋サンカイメ』を出した会社は、Windmill、通称「風車社」と呼ぶべきだろう。この会社が今年また派手に新作を発表した。名前からして金を惜しみなく突っ込んでいそうな、『約束の夏、まほろばの夢』である。 このタイトルを直訳すると『約束の夏、まほろばの夢』になる。もちろんまほろばは単に幻境という意味ではなく、「桃源仙境」のような意味合いのほうが濃い。 ゲームがまだ発売していないのに、風車社はもう宣伝を始めた。しかも半年以上前から予熱を始めていて、その宣伝方法を見て、俺は盛大に吹き出した。 このゲームは先に本作の脚本内容を公開して宣伝するという手法を選んだ! 黄色ゲームのメーカーって言ったら、普通は宣伝で売上をできるだけ伸ばそうとするよな? エロゲーを一番買うのは誰かっていうと、ネットで何を見ても「俺の嫁」と叫び、エロ画像を見ればすぐ「Retweet」、暇さえあれば「美少女を描きたい」と連呼する“硬核で金持ちのオタク”なんじゃないか? 皮肉なことに、毎日のようにシナリオにあれこれ文句をつけてる連中(俺みたいな)の多くは、特典のために金を払おうとしないどころか、割り厨になったりもする。 要するに、エロゲーをバカスカ買うような連中はシナリオなんてこれっぽっちも気にしてない。ヒロインが可愛ければそれでいいし、シナリオでヒロインが輪姦されて肉便器にでもされてなければ、売上は落ちない。シナリオが良かろうがクソほども意味ねえよ、売上に繋がらねえんだから。昔のさくらのうたを見ろよ、持ち上げられまくってたのに、結局その年の売上トップなんて影も形もなかったじゃねえか…… 売上一位は誰だと思います?柚子ですよ(笑) だからさ、もし俺が Windmill だったら、この新作の宣伝ではゲーム CG をひたすら流すね。しかも大半はエロ CG で、エロければエロいほどいい。そうすりゃ注目度も売上も上がるってのにな、まったく。 もちろん今の主流のギャルゲーの宣伝方法ってこういう感じなんだろうけど、やっぱり業界は一銭も変わってねえなあ。

『神待ちサナちゃん』レビュー

神待ち 読み方:かみまち 「救いの手を差し伸べてくれる人を待つ」といった意味だが、特に、家出した女性が自分を泊めてくれる男性を電子掲示板などで探すことを意味する表現。

『恋するココロと魔法のコトバ』レビュー

ギャルゲーをそれなりにやってきたけど、前から一つ腑に落ちないことがある。 ギャルゲーで一番多いのはエロゲー、つまり18禁ゲーで、中に性行為の描写があることを売りにしている以上、本来は成人向けゲームという枠に位置するはずだ。 成人向けゲームを買う人間なんて、せいぜい成人ってだけ(少なくとも建前はそう)なんだから、ゲーム内容の提示においてもっと「成人要素」を前面に出すべきだろう。 ところがめちゃくちゃ矛盾してるのは、ギャルゲー市場では、本当に「成人向けゲーム」を体現している一部のメーカーを除いて、主流のプレイヤー連中が妙な要求をしてくることだ: 1、シナリオが鬱だとダメ、刀を送りつけるぞ 2、えっちシーンがないとダメ、ないなら刀を送りつけるぞ 理屈から言えば「成人向け」の面白い話にはどうしても鬱な要素がつきもので、面白ければ面白いほど「鬱」要素は不可欠なのに、ギャルゲーの受け手はそれを受け入れない。 「鬱」な話を受け入れないってことは、純愛ものが好きってことだよな。なのにえっちシーンは必須で、しかもあれこれプレイしないと満足できない…… だからお前ら18禁ギャルゲーをやってる連中はいったいどういう歪んだ集団なんだよ……

『夏色ラムネ』レビュー

時々ふと思うことがある。自分は一体どれくらい「地雷ゲー」を遊んでいないのだろう、と。 最近ますます敏感になってきたのか、ゲームの設定を見た瞬間にクソゲーかどうか分かるようになってしまった。おかげで去年の後半からは地雷を踏んでいない…… ただ、どうしても抗えない理由がひとつある。それは絵柄だ。つまり、このゲームの絵柄がえらく自分好みなら、地雷要素のあれこれは目をつぶって、多少のことは許してやってもいいか、と思えてしまう。 実は俺だけじゃなくて、とあるクソみたいなSNSでやったアンケート調査によると、半数以上の人が「キャラの絵はいいけどシナリオが退屈な作品」のほうが「シナリオは面白いけどキャラの絵が受け入れられない作品」よりマシだと考えてるらしい。なにせ顔で判断する時代だし、なにより俺はせせなやうの絵柄が大好きで、彼女が以前関わったゲームはクソ退屈な作品だったけど、今回も迷わず彼女の作品を開いた。たとえX(旧Twitter)で誰かが長画像でこのゲームをゴミだと罵ってたのを覚えていても。 このゲームこそが、『夏色ラムネ』。最初に言った通り、このゲームは地雷……せせなやうがまた地雷を描いてしまった……

『空と海が、ふれあう彼方』レビュー

『君の名は。』を観たとき、ヒロインが自分が山村にいることを不満に思って、大都市に行きたい、新しい世界を探検したいと言っているのを見た。 正直、こういう内容は俺たちにとって目新しいものではない。日本の映像作品では、主人公が田舎にいて、この町が嫌いだ、この田舎が嫌いだ、東京に行きたい、大都市に行きたいと嘆くシーンをよく見かける。 でも、多くの人はこういう考えに理解を示さないかもしれない。 「田舎はいいじゃん、大都市の何がいいの?どこが田舎より気楽なの?」 まあ、葡萄を食べないと葡萄が酸っぱいかどうかわからないというか、大都市で育った人には小都市での繁栄への憧れが理解できないのかもしれない。いわゆる田舎に戻りたいという人のほとんどは、都会の喧騒に飽きただけに過ぎない。 それに、多くの人は田舎がどんな状況なのか理解していない。もし田舎に放り込まれて、町に入っても喜茶(HEYTEA)の一軒も見つからないと気づいたとき、どれだけ田舎で自転車に乗って尻を擦りむいても、心の空虚さは埋められないだろう。 俺は小さい頃に一度田舎に行ったことがある。俺の老家は河南省開封の貧困県にあって、正確には俺の老家ではなく、祖母の側の老家だ。 その時どれだけ貧しかったかというと、行った後、地元の人が最高の食事でもてなしてくれて、疙瘩湯(小麦粉の団子スープ)を炊いて、その中にいくつか割った卵が入っていた。これが最高基準だった。しかもその卵はその日の雌鶏が面目を保って卵を産んだからであって、そうでなければ卵すらなかった。 その村の村民は鶏を飼うのに鶏小屋すらなく、卵を産む巣だけがあって、夜は雄鶏も雌鶏も木に飛んで寝る。 そう、俺も実際に大きな雄鶏が木の梢に飛ぶのを見て、初めて「鶏」も「鳥」なんだ、奴らにも翼があるんだと思い出した。ただ、都市での慣性思考がそれを忘れさせていただけだ。 田舎には新鮮なところもあるが、すぐに飽きた。飛ぶ鶏でさえ、やっぱり退屈すぎた。あまりにも単調だったからだ。食事だけでなく、人物も、やることも、風景も。 多くの人は山奥の風景がどれだけ美しいかと言うが、毎日見ていたら、遅かれ早かれ飽きる。ここで一生見なければならず、永遠に都市に戻れないと言われたら、おそらく崩壊するだろう。 だから、田舎にいて大都市に行きたいと思う人の気持ちも理解できるはずだ。今は田舎にもネットがあり、宅配便もあるけれど、やはり華やかな世界の方がいい。 ましてや、この「田舎」が島の上だったら?
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『ずっと前から女子でした』レビュー

懐古趣味に浸っていると、どうしても小学校の頃を思い出す。 小学生の頃の自分は、いつも ACG の主人公みたいな気分だったからだ。 人は自分がイケてた頃を懐かしむもので、ダサかった頃は思い出したがらない。こればかりは仕方ない。とはいえ、俺のいわゆる「主人公」っぷりは、北京まで行って「X フェージョン」で「ヤバいほど最高だ」と吹聴したわけでも、喜茶を飲みながら自転車でケツを擦ったわけでも、毎日ノート PC をバラして Raspberry Pi をいじくり、湘南訛りで「どれほどどれほどどれほどヤバいか」を語ったわけでも、ましてや女教師と鳩娘、それから日本語教室で出会った女子学生の間を毎日渡り歩いていたわけでもない。ただ小学生の頃、成績はそこそこ、容姿もそこそこ、話し方もそこそこ、女子のほうからちょっと近寄ってくる程度だった、それだけの話だ…… だが、小学生時代の「主人公」に何が得られたというのか? 小学生なんて何も分かっちゃいない。俺も何も分かっちゃいなかった。