ギャルゲー

『GRISAIA Phantom Trigger VOL 2』レビュー

数年前、『グリザイアの果実』はFrontwingのアニバーサリー作品として大ヒットした。ヒットしたのには理由がある。まずゲーム自体の質が高く、「日常ギャグ」と「シリアスな本筋」を見事に融合させていた。30時間にも及ぶ共通ルートはひたすら日常ギャグ、そしてもう片方の30時間の個別ルートは怒涛の超展開。この「両方をしっかり押さえる」作りが高評価につながったのは当然だ。 グリザイアの果実:もしかしたら神ゲー その後frontwingは調子に乗って、このシリーズの続編を出す。『グリザイアの迷宮』、『グリザイアの楽園』、さらにゲームのDLCもいくつか追加し、最後のDLC『グリザイアの旋律』を以て『グリザイア』シリーズは完結した。ゲームシリーズはアニメ化もされた。frontwingは「グリザイア」シリーズに区切りをつけて、新しい「反米神ドラマ」に取り掛かったように見えた……

『初恋*シンドローム』レビュー

孔子もイエスも光良も新島夕も言っていた。「初恋は無限に美しい」と。特に「初めて」に対してより深いコンプレックスを持つ日本では、「初恋」はより甘く、青く、ちょっと苦い、後を引く記憶を意味する。 「初恋」は一人が初めて恋心を抱いたことを表し、恋の味を初めて知ったことを表し、感情の道と套路の上で次第に成熟していくことをも表す。初恋を経験した後、人は恋愛のベテランや古狸になるかもしれず、もう単純なことでは感動しなくなる。そう考えると、「初恋」は確かにかけがえのないものだ。

『田舎姦 ~奇跡のイキ神力で純朴娘に精注入♥~』レビュー

高校の頃は毎日ネット小説を読んでいて、かなりの数を読んだ。大半は実のところ……まあまあってところで、ネット向けに書きすぎなものもあったけど、一応は物語として成立していて個性もはっきりしていた。爽快感重視のものに文学性を求めるほど野暮じゃないし、逆に真面目に書かれたものを爽文として読んだりもしないけどね…… あー、でもガチで書かれてるネット小説ってほんと少ないんだよな。ほとんどがネットスラング全開で、しかもセルフツッコミ付き。文学作品の中で自分で自分にツッコミ入れるのは別に悪くない、むしろ面白さが増すこともある。ただ、ツッコミが度を越すとちょっとよくないな。 前に読んだネット小説が二つあって、一つは『三国厚黒伝』、もう一つは『我是这样泡到校花的』。後者は実は悪くない。個人的にはそこそこおすすめで、学園ラブコメとしてはなかなかの内容だ。ただ前者は……首を振るしかないw もちろんこの二つを挙げたのは共通点があるからで、どちらも自前のツッコミを好んで挟んでくるのだ。
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『パコマネ わたし、今日から名門野球部の性処理係になります…』レビュー

高校の頃、よく「歓歓文苑」というサイトを見ていた。実態はアダルトサイトのテキスト版みたいなもので、定期的に更新されるエロ小説が載っていた。 そのサイトは俺が大学を卒業するまでしぶとく生き残っていたが、その後は消えた。今に至るまで、二度と復活していない。 あのサイトにはなかなか良い文章がいくつかあって、筆致がかなり上手く、中には想像を掻き立てるものもあった。一番印象に残っているのは女教師の話で、女教師が生徒の成績を上げるために、クラスの落ちこぼれ連中が全員学年トップに入れたら体を差し出す、抱かれてもいいと生徒と約束する話だ。 その小説の描写もなかなか面白くて、教師もいくつもの心理的障壁を突破していく。校長の淫威に屈するかと思いきや、逆に生徒に身を捧げる方を選ぶ。結末はちょっと意外で、むしろハッピーエンドっぽい感じすらあった。 ああ、話がだいぶ逸れた。ただ、物事の定型ってのは時に思いがけない効果を生むものだ。たとえばこの『パコマネ わたし、今日から名門野球部の性処理係になります…』というゲームがそう。

『ちっちゃな花嫁 ~まだまだつぼみだもんっ~』レビュー

エロゲーはそんなにたくさんやってないけど、それなりには触れてきた。価値があるなと思う作品もあれば、ただのゴミだと思う作品もかなりある。 でもそのゴミの大半には法則性があって、たいていは企画かシナリオが大きな話題を狙って、ワケのわからない展開を入れて虎の威を借る狐状態になってるパターンだ。本当にある嗜好を救おうとして作られた作品は、だいたい「くそったれ(坑爹)」な内容にはならない。たとえば妹控向けの作品とか。 妹控向けの作品は立ち位置が純粋で、テンポもシンプル明了。ほとんどは主人公を兄、ヒロインを妹、あるいは「妹たち」に設定して、いい感じにイチャイチャさせておけばそれで終わり。たまに濃いめのやつがあっても宗旨から外れない。つまり「妹の兄への愛」を表現する。どんなに歪んでても、それは愛じゃん?兄の首を切って解剖するのも愛の表現じゃん?ヤンデレだってデレの一種だし。 だから昔は「妹控作品をやる」のに地雷を踏むなんて絶対ありえないと思ってた。せいぜい頭が弱いか、バカっぽく見えるか、少なくとも不快にはならないでしょ?システムがクソでも、展開がアホでも、妹に罪はない。制作者が可愛い妹を届けたいという気持ちは間違ってないでしょ? 俺は妹控じゃないけど、妹控作品には慰めと温かさを見つけられる。なにせ向こうは真面目に飴を配ってくれている。妹控同士は世俗への抵抗と相互理解で満ちていて、毎日お互いを傷つけ合う一部のオタクとは全然違う。愛にあふれている。有名ネットインフルエンサー「疯牛居士(狂牛居士)」の言葉を借りれば、 「妹控なやつは、みんな友達。」 もちろん、この世に永遠の友達なんていない。『ちっちゃな花嫁』に出会うまでは。

『カサブランカの蕾』レビュー

よく各種掲示板を見ていると、面白い現象に気づく。女性中心の掲示板はクズ男を罵る書き込みばかりで、男性中心の掲示板はというと、一部のアダルトサイトを除けば、だいたいが叩き合い、そして「緑にされた(寝取られた)」という嘆きで溢れている。 「緑にされた」というのは確かにすごく奇妙なのに、なぜか普遍的な現象でもある。本当にそんなに大勢の人が寝取られているのか、本当にそんなに大勢の人が「許してやる」を選んでいるのか。ともかく、俺がよく行く掲示板のあだ名がいくつか変わってしまった。「緑化街」だの「雷霆崖」だの、もっと直接的なやつは掲示板のあだ名をそのまま「緑帽フォーラム」に変えている。 だから最近ネットを見ていると、いつもいろんな緑が目に入る。ハラールの緑もあれば、裏切られた緑もある。緑だの何だので、最初はうんざりしていたが、そのうち慣れた。見てくれよ、俺なんてそもそも相手がいて、その相手にすら寝取られていないんだぜ。緑かどうかなんて、気にする価値あるのか? 実は「寝取られる」という設定は日本のエロゲーでもよくある。日本語ではこれを寝取る、つまり NTR と呼ぶ。要するに、お前の彼女が他人に寝取られた、お前が緑にされたという意味だ。NTR 設定のゲームにも愛好家はいるが、大抵の NTR ゲーは大同小異で、お前が彼女を作る、彼女がお前の知らないところで他人にやられる、最後にお前は彼女を許すか別れるかのどちらか、という流れだ。 でも待てよ。なぜ NTR はいつも「女性が男性を裏切る」というお約束になっているんだ? 男性が女性を裏切るパターンは? 俺たちはこういう行為を「浮気」と呼ぶけれど、実際にはネット文化の「緑化」ほどにはならないだろ。

『COLOR OF WHITE』レビュー

LAMUNATION! は去年のゲームだ。実はこのゲームについてほとんど知らなかった。OP を見たらやたらかっこよくて、音楽もいい感じで、設定をちらっと見た感じだと架空世界らしい。でもその架空世界も語りきれてないし、本筋がどこにあるのかも見えてこない。だから放っておいた。 実はこのゲーム、結構な人が期待していた。とある「ア・ズライト」って奴を除けば、もう一人は王さんだ。でも中国人が期待しても意味がない。このゲームの評価はやっぱり日本人の評価を見ないと…… で、日本人は LAMUNATION! をどう評価したのか。 中二空間のスコアを見ると……45 点。もうほぼ地雷と言っていい。 だから俺もずっと地雷だと思っていた。この手のタイプは見飽きている。大規模制作、豪華スタッフ、かっこいい OP、超宣伝、そして最後には脚本が精神病の末期に陥って何が何だか分からなくなり、地雷になる……例には事欠かない。 ところが最近、ある理由で LAMUNATION! にまた興味が湧いてきた。これは別に「地雷」なんかじゃなく、ただ何らかの理由で理解されていないだけなんじゃないか、と。 そう言うのはちょっと苦しい。理屈から言えば、ゲームのストーリーがどれだけ酷くても、作者の語り口がどれだけ下手くそでも、こちらが歩み寄って理解しようとすれば、たいてい「悪くない」と思えるものだ。でも LAMUNATION! の脚本の場合は、また別の話かもしれない。 あー……何て言えばいいんだろう。文化的な噛み合わせの悪さ? たぶんそんなところだ。 そこから話は LAMUNATION! の脚本・けっぽしの初期作品に遡る……

『あなたに恋する恋愛ルセット』レビュー

先日ネットで、今のエロゲーの脚本でおすすめは誰か、みたいな話が上がっていて、そこでも案の定みんなが同じ名前を並べていた。虚淵とか、奈須とか、丸戸とか、そのへん。 正直に言うと、俺はこの連中の脚本がそんなに好きじゃない。むしろ、名前を見ただけで吐き気がするやつもいる。そのうえこの中には、もはや「エロゲー」の脚本に収まっていない人もいて、けっこうアニメ方面にも進出している。アニメのレベルで言えば、こいつらの腕はかなりひどい。俺の中の評価では岡田麿里にも劣る。 いや、むしろ岡田麿里はすでに優秀なアニメ脚本家だ。 俺は「脚本家」と「脚本」について、ずっと大事にしている持論がある。人に物語を聞かせる人間として、まず必要なのは「物語を語れる」ことだ。 「物語を語れる」とは何か。物語そのものが面白いかどうかは別にして、少なくとも自分の語る物語を、他人に聞かせる、あるいは読み進めさせることができる。これは実力で、基礎で、いちばん根本的な部分だ。 残念ながら、いわゆる ACG ファンに持ち上げられている脚本家の中には、そもそも物語を語れないやつがいる。つまらない設定の補足に溺れるか、自慰に耽るか、あるいは……一つのパターンの話しかできないか。 日本のものに触れていると、妙なことに気づく。多くの日本の作品は、永遠に一つのパターンで、作り手自身もそれが古い手だと分かっているのに、観客は永遠にそのパターンを食い続ける……永遠の魔王と勇者、永遠の王子と姫、永遠の仮面ライダー、永遠の正義の味方……永遠の幼馴染、永遠の登校時の曲がり角でのパン、永遠の転校生、永遠の異世界、永遠の魔法少女、永遠のアイドル、そして永遠の可愛い男の子。 要素だけなら別に少なくない。適当に組み合わせれば小さな新しさくらい出せると思うんだが、どうにもならない。日本人は買わない。彼らはパターンの物語のほうが好きで、設定がどれだけ斬新でも、展開はいつも通りで、最後にはパターンに戻ってくる。そうして初めて観客は「安心」するらしい。 ものすごく閉鎖的に見える。日本の民族文化と関係があるのか、ソニーが複数部門にいい素材を持ちながらいいスマホを作れないのと同じだ。 脚本のレベルで言えば、俺は個人的に「功成り名を遂げた」連中が好きじゃない。多くの成功者は、次の作品が完全にクソで、それでも有名人だから一群の人間が読み、読み終わったファンは過剰解釈までして自分の推し脚本を褒める。 そう、俺が言ってるのはクソ野郎の丸戸史明のことだ。

『Baldr Heart』レビュー

俺のプレイ傾向を見れば分かる人もいるかもしれないが、俺は「剣と魔法」が好きで、「メカとハイテク」はそこまで好きじゃない。 だから Baldr Heart も、その前のシリーズ作も、正直そこまで興味があったわけじゃない。 ところが、そのうち警察に捕まりそうな変態が毎日このゲームを吹聴していて、人に会うたびに舌を出しながら布教してくる。しかも俺はそいつに二回もハメられたことがある。だからこの布教には乗るつもりはなかった。 でも俺はつい口が軽くて、「Baldr Heart が黙示で翻訳されたらやるよ」なんて言ってしまった。 で、案の定というか、死ななきゃ治らないというか、すぐにこれを見せられて……しかも顔の前に突き出された。 俺が有言実行の人間だってことはみんな知ってるだろ。だからやるしかなかった。
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