ギャルゲー
ひとつ心残りがある。『紙の上の魔法使い』のゲームにOSTが発売されなかったことだ。
ゲームからOGG形式のOSTを抽出することはできるが、それはロスレスじゃない。実は自分でも一式抜き出したんだけど、tagに名前を打ち込むのが面倒で放置している。ずっとこのゲームはOSTを出すと思っていたら、ご存知の通り、何年も経って次回作が出るというのに、前作のOSTはまだ音沙汰なしだ。
ゲームの作曲者はめと。実はこの作曲家と脚本のルクルは初共演というわけではない。記憶が正しければ『運命予報をお知らせします』のBGMも彼だし、『紙の上の魔法使い』も彼、そして来月発売の『水葬銀貨のイストリア』の作曲者もやはり彼だ。
意図的なのか何なのか、ルクルとその仲間たちが関わったゲームはどれもOSTを出さない。『運命予報をお知らせします』ですら、当初は特典としてOSTを付けると言っておきながら、発売前にあっさり削除された……そして『水葬銀貨のイストリア』も特典で主題歌『アズライトの棺』が付くだけだという。
なので興味本位で作曲者めとの個人サイトを覗いてみたら、彼は実際ずっと音楽制作を続けていて、サイトで自分の作品のCDも販売していた。ならばパッケージ版を買って支援しようじゃないか、というわけだ。
(何枚かCDが紛れ込んでいるのは気にしないでください)
雪碧は王という姓で、家の一人息子だ。
ここでいう「一人息子」というのは別に他の意味ではなく、この家には……男の子が彼しかいないということだ。
王雪碧の母親は骨董雑貨店を営んでいるが、とにかくよく産む人で、王雪碧という男の子を産んだ後も、さらに四人の女の子を続けて産んだ。王朝日、王沙夜、王真昼、王弥生。四人の娘の性格はそれぞれ違うが、一つだけ共通点がある。それは母親の遺伝子を受け継いでいること、そして一人として可愛くない子がいないことだ。
もちろん王雪碧は唯一の男の子、つまり家族の中で唯一の兄として、見た目はね、ちょっと残念な感じだ。母親の過度な甘やかしのせいか、最近の王雪碧のウエストはまた一回り太くなって、もうすぐベルトを特注しなければならなくなりそうだ。
クラスメイトはみんな王雪碧を「デブ」と呼ぶが、王雪碧は全く気にしていない。彼は家の長男で唯一の男性、さらにもっと重要なことに、四人の美しい妹がいて、もっともっともっと重要なことに、四人の美しい妹たちはみんな彼のことが好きなのだ。
王雪碧は他の女性と接したことがない。家に四人の大美人がいるのに、わざわざ外に出て気を揉む必要があるか?だから女子クラスメイトの軽蔑の視線には、王雪碧は蔑むような目つきで応えるのだった。
「デブ、脂ぎってて気持ち悪い」 「妹コンの噂があるらしいよ、毎日妹たちとべったりしてるって」 「この前、このデブの隣に住む林賢ってやつが、このデブが妹たちと交代でキスしてるのを見たって言ってたよ!考えただけで吐きそう」 「うわマジで!」
ぺちゃくちゃと喋る女性たちも、この爆弾発言には耐えきれず、黄色い声がさらに耳障りに響いた。
Whirlpool、俺はもともとそこまで悪い印象は持ってなかった。過去のクジラをヤるやつとか、ロボットをヤるやつとか、初期の竜の姫をヤるやつとか、ともかくWhirlpoolは人外とのアレが好きなんだろうな……いや、人と混血か。それがウリなんだろう。
で、今年のWhirlpoolの新作がいきなり発表されて、いきなり発売された……俺はずっと5月発売だと思ってた……
新作のタイトルは『猫忍えくすはーと』。設定はシンプル極まりなくて、主人公の家に代々伝わる由緒正しい家系から猫耳の忍者が二人派遣されてきて、護衛兼手下として仕える、という話が展開される。
ここで強調しておきたいのは、このゲームがたった2000円で売られていて、初回特典版の抱き枕カバー付きだけが13000円だということ。
どう?このパターン、何を思い出す?XXXのセイイキシリーズじゃないか?そう、実はこのゲームはあのシリーズを意識して作られている。
特徴ははっきりしている。シナリオは短く、話は単純、絵は可愛い。
みんな知ってると思うけど、俺は萌え豚じゃない。
とはいえ、それでも俺は萌え豚に憧れていた。もう何年も前の話だが、当時は本気で萌え豚を目指していた。
その頃はまだアニメを見ていたんだよ。当時話題になった作品といえば、やっぱり『K-On』だろ。あの頃のニコニコのトップは筋肉兄貴だらけで、動画見るなら Acfun しかなかった。でも Acfun の MAD コーナーはどこもけいおん!の MAD ばかりで、『Cagayake!GIRLS』の MAD だけでもう溢れ返ってて、全然追いつけなかったわ……聞きすぎて歌えるようになったし、あの曲に「我が Kon!」って書き込んでる連中を見てると、なんかよく分からなかった……
分からないのには理由がある。俺は『K-On』をちゃんと見たんだよ。でも最後まで見られなかった。
ギャルゲーってやつについて言えば、結構な人が「自分は絵柄じゃなくてシナリオ重視だ」なんて言うくせに、その連中のSNSアイコンは99%女の子の絵なんだよね。
別に不思議でもなんでもない。美しいものを愛する心は誰にでもあるし、仙台のオバサンに言わせりゃAdult Videoと大差ないギャルゲーにおいて「顔で選ぶ」のは至って普通のことだ。
つまりギャルゲーとして売上を伸ばして影響力を広げたいなら、まずキャラを可愛く描かなきゃ話にならない。キャラがブサイクなのに大ヒットした例なんてほとんど見たことがない。『学園ハンサム』くらいか、例外は。
だからキャラが可愛くないゲームはもう死刑宣告されたようなものだ。よほど長い歴史と分厚いファン層を持つキャラなら別だが、脳死ファンは騙せても「沈黙の大多数」は開拓できないんだから、そんなの意味ないだろ、絶対ダメ。
で、『彼女と俺の恋愛日常』を初めて見たとき、俺はこりゃクソゲーだと直感したね。
『月影のシミュラクル』は昨年のいわゆる「無料」の「ビジュアルライトノベル」で、しかも珍しいことに日本人が自分の作品をそう自称するのは本当に少ない。彼らはみんなこれをエロゲーと言う。
で、その「無料」ゲームの最後に言われた通り、あのゲームは不完全なストーリーだけで、語られていないことが山ほどある。公式も言っていた、この無料のものは重要じゃない、大事なのは後の企画だと。
じゃあその後の企画って何なの?ほら、1月のエロゲー発売予定に『月影のシミュラクル -解放の羽-』ってゲームがまた追加されてるでしょ?
そう、あの無料版はまさに「体験版」、要は試遊版で、最終的な正式版がこのゲームなわけ。
考えてみれば、先に体験版を出して、後から正式版を出すだけなのに、わざわざ小難しく言って、先に無料のを出して、その後何とか企画って、結局は同じ古い手口じゃん!
魔女こいにっきというゲームは去年、俺にかなり強い印象を残した。理由は二つ。一つは物語そのもの、もう一つはその語り方だ。
魔女こいにっきの物語構造はかなり複雑で、まずゲーム内に数百年にわたる時間軸が存在する。そしてその時間軸の中に「物語の中の物語」という構造がある。一番の肝は、その数百年の時間軸そのものが一つの物語の中の物語であって、本当の現実ではそれらの物語はただの幻影にすぎない、という点だ。
魔女こいにっきの結末はぶっちゃけ罵りたくなる。主人公がさんざん苦労して感動的な HAPPY END を迎えたのに、最後の TRUE END で数行で「全部嘘、全部物語」と告げられ、本当の主人公は魔女の呪いの中に永遠に閉じ込められて逃げられないことになっている。多くの人が企画の新島夕を袋叩きにして、この野郎またプレイヤーを騙しやがって、blah blah blah……と騒いだ。
そして本編発売から間もなく、魔女こいにっきは PSV への移植が発表された。タイトルは『魔女こいにっき Dragon×Caravan』。しかも移植に際して新規シナリオを二本書くと同時に発表された。一つは攻略ヒロインへの昇格、もう一つは新篇章「灼熱の王子と小さな竜」篇の追加だ。
正直、俺は最初この追加にはそんなに興味がなかった。PSV 移植版の追加要素なんてたいてい本編と関係ない金儲けの内容だし、ヒロイン昇格なんてよくある話で、適当に話を作って無理やり攻略させるだけだろうと思っていた。だから気にも留めなかった。ところが批評空間で日本人がこのゲームを評価しているのを見て、ちょっと心が動いた。その人が言うには、PSV で追加された新篇章はただの付け足しではなく、元の物語を補完するものだという。灼熱の王子と黒竜篇に至っては、元の物語の結末の後に、本当の結末に到達する物語を描き出している、と。
これは予想通りでもあり意外でもあった。予想通りだったのは、元の魔女こいにっきの物語が最後まで書ききられておらず、主人公が永遠に日記の中に閉じ込められたままで、その後にも物語があるのは間違いないからだ。意外だったのは、本当に PSV 版でその物語を語りきってしまったことだ。
というわけで、俺はこのゲームをどうやって手に入れるか気にし始めた。最初はクラック待ちだったが、大図書館の羊飼いの PSV 版のように誰かが dump してくれるわけでもないので、駿河屋で中古を狙うしかない。最終的に比較的安い価格で状態のいい中古を手に入れられた。まあ妥当だろう。
家に帰って、長いことホコリをかぶっていた PSV を引っ張り出し、ゲームカードを差し込み、電源を入れる。ゲームが再び始まった。
春節に春晩を見た。というか自分はずっと春晩を見ている。春晩が本当に年々つまらなくなっているのかはわからないが、少なくとも自分たちから見れば確実に面白くなくなっている。とにかく何も記憶に残らない。
それから数日前、YouTubeで春晩のいくつかの演目をまた見てみた。意外と悪くない、少なくともそこそこ面白いと思った。
そして今日、その演目ももう思い出せない。
なぜか。春晩の政治的なあれや持ち上げの内容は脇に置くとして、歌や踊り、小品や漫才そのものは悪くない。見ている最中には「すげえ」とか「面白い」と感じるポイントはある。でも「引き込む」何かがなくて、見終われば忘れてしまう。
要するに、レベルは可もなく不可もなく、目立った亮点もなく、作り手もそこまで本気じゃない。見て、笑って、忘れる。
同じことがゲームにも言える。たとえばこの『キミの瞳にヒットミー』だ。
待ちに待った~待ちに待った~春節が来て、アストラエアの白き永遠のFDがついに発売された!
アストラエアの白き永遠はたぶん俺が初期にやった生肉ゲーの一つで、かなり強い印象を残してくれた。一番の印象は三つ:
音楽!演出!そして新田恵海!
しかし吉住陽菜の引退で、アストラエアの白き永遠の続編は当分お預け状態。だがFAVORITEが続編で稼ぐチャンスを逃すわけもなく、ほどなくしてCVを変えたアストラエアの白き永遠のFD、つまりアストラエアの白き永遠 Finale -白き星の夢-が出た。
時々思うことがある。日本の脚本家がアニメやゲームの原案を手掛けるとき、あいつら書きに書いてるうちに量産してるんじゃないかって。
…………いや、脚本家が生み出すものって、どう見てもワンパターンじゃね? って言いたいわけ。
例えばルルーシュ、例えばギルティクラウン、例えば革命機、例えば最新の……なんだっけ? カバネリ?
別に大河内一楼を悪く言うつもりはない、あの人ベスト脚本賞取ってるし。そうじゃなくて、ギャルゲーの話。脚本家がいくつものゲームを書くと、「同じ手口を使い回す」問題があるんじゃないかってこと。
実はかなり前から気づいてた。例えばゆずソフトのサノバウィッチの椎葉√と、その後に発売された鯨神のティアスティラのリル√はかなり被ってた。これが籐太の仕業かは知らないし、偶然かもしれない。でも「腕のある脚本」なら「臨機応変にできず一つのルートしか書けない」なんてことはないはずだろ。それじゃあまりにも手詰まりすぎる。
だけどな……星恋*ティンクルに関しては……もう何と言っていいか……
- «
- 1
- ...
- 28
- 29
- 30
- ...
- 45
- »