ギャルゲー

『幻のディストピア』レビュー

俺がこれまでに読んだ「爽文」は二作品だけだ。 一つは最後まで読んだ。Rice Wu の『我就是流氓』、そしてその完結編『我就是流氓:龙战星野』まで追いかけた。もう一つはこれもそこそこ有名な『坏蛋是怎样炼成的』だが、こちらは読み終えていない。 この二作品を、ACG 界隈で分かりやすい例えにするなら、前者は SAO、後者は Log horizon ってところだ。そして俺はどちらかと言えば爽快な方が好きなので、『我就是流氓』は読み切ったが、後者は途中で投げ出した。

『幼なじみは大統領』レビュー

かなり昔、俺も鬼畜動画の愛好家だった…… 誤解しないでほしい。日本語の「鬼畜」のことじゃない。俺は普通の人間だし、変態ではない。言っているのは中国圏で意味が転じたほうの「鬼畜」、つまりあの抽筋みたいな動画のことだ。 2008年頃のACFUNは鬼畜作品で溢れていて、優れたものも少なくなかった。俺も見て笑っていた。その後、某日和の中語吹き替えが流行るにつれて、「ツッコミ系」のお笑い動画がどんどん出てくるようになって…… もちろん最初は俺も楽しんでいた。だが、やがて……そういう動画がネット全体を埋め尽くすようになった。 申し訳ないが、俺は無限に繰り返される内容にすぐ飽きるタイプだ。そういうものにも飽きた。むしろ退屈に感じ始めた。めちゃくちゃに弄くり回して真面目なところが一切ないものを嫌いになり、つまらないと思うようになった。今の国産漫才と同じだ。芯を失って、終わりのない軽口だけが残っている。

『Areas ~空に映すキミとのセカイ~』レビュー

軟妹が描く女の子が昔から大好きで、宮坂みゆ先生も軟妹だから、その人が描く女の子が大好きだ。この文の論理にたぶん間違いはない。 本物の女の子がどんな表情と仕草をするのか知っているのは女の子だけ。女の子が描いた女の子こそが、女の子の神髄をちゃんと表現できる。この文にはなおさら問題がないはずだ。 だから半年前、十六夜のフォルトゥーナの時点で宮坂みゆの画風にやられてしまった。ああいう柔らかい女の子はドストライクだ。俺が一番好きなのは細くて小さい女の子で、そういう子を抱きしめてこねくり回したい…… というわけで『Areas ~空に映すキミとのセカイ~』は、良心に誓って画風目当てでやった。事前に中二空間の評価は見ていて「序盤はいい」「結末は意味不明」、しかもギリギリ及第点だった。But who cares? 俺はどんなクソを食ってきたと思ってる? いくらシナリオがクソでも、どれだけクソになれるっていうんだ? 全員が最初からデレデレ? 精神分裂? 強引ハーレム? 無理やりイキり? ラノベのパクリ? 聖母再来? TowerDefense? 郭敬明の物真似? エンドまで崩壊? それとも男を抱けと騙されるとか? 無理だろ! もうクソを食うありとあらゆる体勢は経験済みだ。新しい体勢でクソを食わされる理由なんてもうない! 神農は百のクソを味わう、俺はもう死を恐れない。 Game Start!
広告

『双子座のパラドクス』レビュー

双子座のパラドクスは棉花社のもう一つの作品だ。なぜこれをやったかというと、主に前作終わる世界とバースデイの印象が非常によかったからだ。だから人設が相変わらずクソでも、俺はやる気になる。他でもない、終わる世界とバースデイに匹敵する物語を見たい、ただそれだけだ。 ただ、このゲームを語る前に少し別のことを言いたい。物語における科学と疑似科学の要素についてだ。

『箱庭ロジック』レビュー

日本語を学んで気づいたんだが、日本語由来の漢語ってけっこう多いよな。「暴走」とか「違和」とか、まあ「箱庭」もそのひとつだと思う。 「箱庭」って言葉はアニメ作品の………………歌詞でよく見かける。はこにわのせかい(箱庭の世界)とか、そういうやつ。別に難しい言葉じゃない。箱庭、箱庭、箱やら盒やらのなかの中庭。欧米風の言葉で言えば SandBox、サンドボックスか砂盤。もっと中国っぽい言葉なら「盆景」もある。じっさいこの概念のもともとの出自は欧米で、日本が取り入れたあとに「箱庭」と呼んだだけ。ここでその日本人に本気で感謝したい。サンドボックスとか、ほかの何かしらにしなかっただけで、もう嬉し涙が出てくる。 もちろん「箱庭」と縁が深いのは箱庭療法ってやつだ。箱庭療法は心理診断に関わる療法で、患者に「箱庭」を与えて理想の小さな世界を構築させ、その世界の要素からその人の心理状態を推測する。 ざっくり言えば、わりと高度な心理テストみたいなもの。 だから箱庭ロジック(箱庭 Logic)を初めて見たとき、探偵とサスペンスの看板を目にして、このゲームの裏にはただならぬものがあると感じた。

『できない私が、くり返す』レビュー

『できない私が、くり返す。』というゲームには少なからぬ印象を受けた。絵柄やその他の要素のせいではなく、主に「泣ける」「最高」と多くの人が言っているからだ。一般的に多くの人に認められているゲームなら、そう悪くはないはず。六月はゲームも少ないので、その空き時間に遊んでみた。 タイトルが妙だ。私の1歳児レベルの日本語力で判断すると、たとえ私が何度タイムリープしても、何も変えられないという意味だろう。ゲームが始まると、主人公は「漣」というお姉さんから懐中時計を渡される。これは時間を越えて過去に戻れる懐中時計だという。 「でも、タイムリープしても意味はないわ。未来は変えられないから」 未来を変えられないタイムリープなんて、ほとんど役に立たない。漣は懐中時計を渡すとき、繰り返し強調した。 未来は変えられない こうして物語は、お姉さんである漣が死んで5年後、懐中時計を持つ主人公が詩乃という少女に出会う瞬間から始まる。

『LoveRec.』レビュー

ALcotのゲームはあまりやっていないけど、大体の作風は同じ路線で、やや低次元(悪い意味ではなく)なツッコミと日常、可愛い萌えヒロイン、そしてそこそこの質の音楽って感じだ。『Clover Heart』の頃はまだそうじゃなかったと思うけど、『Clover Days』あたりでいつの間にかこうなっていて、Clover Daysに抱いた感想と同じで、どう見ても「大したことない」んだけど「悪くもない」。シナリオは少々陳腐だけど、クソ展開で殴ってくることもない。 LoveRec.の宣伝を見た時、キャラデザを眺めて…… 「うわ、これ杏鈴じゃん」 そう、ヒトミというヒロインはClover Daysの鷹倉杏鈴とほぼ瓜二つ、髪色と瞳の色を変えただけ。仁村有志先生の画風がそうなんだと言えばそうなんだが、「完全に過去キャラを流用して売ってるだけ」感が出るのはなかなか微妙。ちなみに他の二人のヒロインは仁村有志ではないけど、こちらもやや違和感があって、全体としてはClover Daysほど可愛くはない。 ALcotのこれまでの作風からして、ただの萌え売りゲーだろうと思っていた。実際キャラデザやあらすじを見る限りそうだ。でも、終わってみると本当に違う印象を受けた。

『Secret Game:Code Revise 2nd Stage Boosted Edition』レビュー

秘密游戏(Secret Game)シリーズは FLAT が出したバトルロワイアル風味のギャルゲーで、前作の強化版「キラークイーン」Killer Queen はかなり昔に遊んでいて、印象に残っている。 印象に残っていると言っても神ゲーだからじゃない。ただ……あまりにもモヤモヤしたからだ。 主人公がとにかく大聖母で、他人にどう弄られてもやり返さず、それどころか愛と平和を撒き散らすタイプ。現実にこんなお人好しがいたら真っ先にカモにされて身ぐるみ剥がされるだろう。だがそこはゲームの主人公、血を流すことなく生き延び、しかも女とヤってしまう。 このゲームのおかげで私は脚本家の名前を覚えたし、その名前を見ただけで作品のおおよその方向性が分かるようになった。 で、その秘密游戏には続編がある。続編の初代は「秘密游戏2」と呼ばれ、後に Secret Game:Code Revise と名付けられ、さらに PSP に移植される際にシナリオと画質が全面的に改良されて Secret Game:Code Revise 2nd Stage となった。その強化 PSP 版に 18X 要素を追加して PC に逆移植したのが Secret Game:Code Revise 2nd Stage Boosted Edition である。 まあ名前がどれだけ長かろうと、言いたいのは二代目になっても設定は初代と一貫しているということだ。

『ピュア X コネクト』レビュー

初めて恋愛シミュレーションゲームを知ったのは小学生の頃で、D 版業者から『ときめきメモリアル』なるものを手に入れた。もちろん CD-ROM 版ではなく、「蔵経閣」のロゴが入った CD のフォルダの中にあったものだ。 インストールしてみると名前が「純愛手札」と書いてあって(俺はさらに「純愛手礼」と読んでしまった)、GameZ88 のインストールウィザードに導かれるまま、そのショートカットを Windows 98 のデスクトップに置いた。 しばらくやってみたが、正直よく分からなかった。何せ当時は小学生で、銃をぶっ放してモンスターをぶちのめすのに忙しくて、女の子と落ち着いてイチャイチャするなんて考えもしなかった。毎日わけもなく何人かの女と絡むだけの展開に、納得がいかなかった。 「なぜ戦わない?」「いつ戦う?」——これが頭の中の最大の疑問だった。
広告

『すみれ』レビュー

ネットには「寝たふりをする人間は起こせない」ってことわざがある。 この言葉は俺の嫌いな連中によく引用されるけど、言葉自体に間違いはない。 睡眠はただの休息で、正確に言えば自分が何時何分何秒に寝たかなんて誰にも分からない。コントロールできないからだ。コントロールできない睡眠から呼び覚まされれば、自然と目を開ける。だが寝たふりをする人間は、本当に寝たいわけじゃなく、周りに自分が寝ていると思わせたいだけ。 起きているのに寝ていると思わせるのはなぜか。簡単だ。見て見ぬふりをしたいだけ。起きた後に向き合わなきゃいけないことから逃げたいだけ。 簡単な例を挙げれば、嫌いなやつが話しかけてきたとき、そいつと向き合いたくないし、どう向き合えばいいかも分からないし、断りたくもないし、話したくもない…… 机に突っ伏してぐーぐー寝たふりをする。友達が起こそうとするけど、元々起きているんだから、起きたフリをしないように自分をコントロールする。 「寝たふりをする人間は起こせない」の意味はここにある。寝たふりを選ぶ人間は、そもそも起きたくないから選んでいる。だから起こせないんだ。 ねこねこソフトの15周年記念作品『すみれ』(紫罗兰)は、まさにこの「装睡」をテーマに選んだ。ゲームのOP名がSleeping Pretendなのと同じく、これは3人の女の子がいろんなことに向き合うために寝たふりをする物語だ。