ギャルゲー
親愛なる読者の皆さん、こんにちは。いつの間にか4月になっていて、2023年の年間ギャルゲー総括をまだ出していない。去年溜まったゲームの感想を書き終えてから出そうと思っていたけど、この効率じゃ書き終わりそうにない。まあ、書いていないゲームもおすすめするほどでもないし、さっさと年間総括を出してしまう。プレイ済みで未執筆のゲームはひとまずリンクだけ置いておいて、後々ゆっくり更新する。
去年のスクショを漁ってみたところ、2023年に遊んだ「恋愛シミュレーション」関連のゲームは、数え上げてもたった19本しかなかった。しかも2024年のゲームを一本フルコンして商業稿まで書いたのに、ブログには書く気すら起きないという……商業稿のリストはこちらから。
理由はいくつかある。ひとつは生活が忙しくて、子供の世話をしないといけないから時間が少ないこと。もうひとつは、2023年にはほぼ完全に各種コンシューマーゲームに移行していて、Steamのプレイ時間がどんどん増えていく一方だということ。こういうどんどんバカになっていくギャルゲーは、ますます見下すようになったし、ますます遊べなくなった。さらにもうひとつは、2023年のギャルゲー市場そのものがこんなに低迷していたこと。年の中頃には、その月に発売された「正作」と呼ばれるものが見つからない月もいくつかあった。抜きゲー以外は抜きゲーばかり。たとえ「正作」でも、半分は復刻版、半分はクソ……
だからこれは俺のせいじゃない、責任は全部日本側にある。あんなに量産的で抽象的なゲーム、どうやって最後まで遊べって言うんだよ?
というわけで、今年のおすすめゲームをさっそく挙げていこうと思う。たぶん10本も揃わないだろうけどな……
必死に褒められようとするその姿、正直褒めづらい
数年前、ANIPLEX.EXE がソニー傘下のブランドとしてギャルゲー市場に参入したとき、一部のオタクは「ついに来たか」と騒いでいた。俺はといえば、『二次元狂热』にちょっとひがみ根性丸出しの記事を書いた。要はソニーは片手間でやってるだけで、この市場にそこまでの期待も見込みもないんだろう、ANIPLEX.EXE が外注のブランド貼り付けじゃなくて、いわゆる「ファーストパーティ開発」になったときこそが本当の「来たか」なんだ、と。
で、結果はご覧の通り。「来たか」は永遠に来なかった。ANIPLEX.EXE は2年近く鳴かず飛ばずで、今年になってようやく新作をぼちぼち出すようになったけど、相変わらず「外注」で「ブランド貼り付け」、しかも今回は「爛戸口」の名前を貼り付けているだけだ。
そんな ANIPLEX.EXE の中で一番知名度が高いのは、もちろん『ATRI』だ。このゲームはかなり王道な日本産未来モノで、別にクオリティが低いわけじゃない。お決まりの展開でも十分いい反応が得られるってのは、よくある王道の熱血燃えアニメに感動するのと同じ理屈だ。
『ATRI』の成功を再現するためか、当時のスタッフが ANIPLEX.EXE を離れて再集結し、今回の『GINKA』を世に送り出した。画風、脚本、制作会社、さらにはタイトルに至るまで、もう「前作リスペクト」の匂いしかしない。
じゃあ『GINKA』は『ATRI』と同じ感覚を与えてくれるのか?
客観的に言えば、間違いなくイエスだ。しかも『ATRI』よりよっぽど内容は多い。
でも「多い」ことがいいことなのか? ここが引っかかる。本作で一番理解できず、一番文句を言いたい部分でもある。
Asa Projectの新作『コイバナ恋愛』に「地雷」のレッテルが貼られていると聞いて、正直マジかよと思った。
過去の顔芸ネタ満載の作品群と比べれば確かに下り坂だとは思うけど、どう考えても「地雷」とは違うだろ、と。
Asa Projectは昔から「政治的に正しくない」ゲームを作り続けてきたブランドで、とにかく「めちゃくちゃにやる」のが売りだ。男を強制的に女体化させたり、ホモエンドを平気でぶち込んだり、やりたい放題。このブランドのファン層なんてネタを楽しむ連中が中心で、Asa Projectのゲームにはある程度の予測と耐性があるはずなんだよ。そんな連中が彼らのネタでメンタルやられて「地雷」とか言うか? と言いたいわけ。
しかも俺の記憶では、2023年のAsa Project新作『コイバナ恋愛』って「青春群像劇」っぽい設定で、要は「男子と女子がわちゃわちゃ絡む」みたいな話だったはず。タイトルが全てを物語ってる。コイバナは「恋愛に関する話題」、コイバナ恋愛は「恋愛脳の大集合」って感じだろ。こんなんで「地雷」になりようがあるか? 男主角が「青春」の名の下に乱交・妻交換クラブでも作らない限り無理だろ。
だから興味本位でゲームを触ってみた。第一印象は「確かにこれはアカンわ」だったし、なんで「地雷」と言われるのかも分かった。でも本作の品質が低い原因はその「地雷」じゃなくて、別のところにある。
ここ数年、「レトロ」ブームが来ている。人々は「古い」ものに郷愁を抱き、レトロ要素をまとったコンテンツが歴史の古紙束から次々と復活・生産されている。前世紀スタイルのキーボード、パソコン、携帯ゲーム機、その他もろもろのガラクタまで。たとえば最近 FiiO が「カセットプレイヤー」を出したが、値段は安くないし見た目もゴツい。それでも飛びつく人はいて、「レトロ」の代償がこれだけ高くても市場はそれなりに成立している。少なくともこの市場のおかげで、中身を変えずに外装だけ刷新した製品を出し続けるメーカーが食えているわけだ。そこで思い出すのが、同じく「レトロ」の匂いがプンプンするあの産業――「美少女恋愛シミュレーションゲーム」、通称ギャルゲーである。
歴史を少しでも知っている人なら分かるだろうが、最初期のギャルゲーは今の主流製品とは違っていた。最も有名な始祖とされるのが『ときめきメモリアル』シリーズだ。このゲームが『純愛手札』とも呼ばれていたのを覚えている。当時の海賊版CDの頃、俺はいつも『純愛手礼』と読み間違えていたっけ……まあそれはどうでもいい。大事なのは、『ときめきメモリアル』が「シミュレーション」「恋愛」「育成」にこだわった、極めて「マジメ」なゲームだったということだ。
かつてこんな定番のネタがあった。Intelが新しい第11世代プロセッサi7-11700kを出したが、テストしてみると安い競合製品はおろか前世代にも劣るという、完全に逆ザヤの行為だった。名高いメディアGamers Nexusには「Waste of sand(砂の無駄)」と評価された。
そして俺も、Lump of Sugarが2023年に出した「新作」をプレイした後、似たような感想を抱いた。同時にタイトルの疑問も浮かんだ:
逆ザヤCPUを売るのは砂の無駄、じゃあ無意味なギャルゲーを作るのは何なんだ?
なんとなく覚えている。たぶん11年前の夜のことだ。当時の俺はまだ純粋な二次元の童貞だった。
アニメ『ましろ色シンフォニー』を最後まで追いかけて見ていた。当時アニメを追っていた大半の童貞オタクと同じように、赤毛の最後の泣き顔がすべての始まりだった。
そしてアニメの最後には、赤毛の攻略ルートが追加されたPSP版ゲームが発売されるという告知があった。当時の俺はPSPを持っていたが、日本語はあまり分からず、今の多くの人と同じように翻訳を待つしかなかった。
そうして待つこと2年。
考えてみれば、『サクラノ詩』からもう8年も経っている。
当時、俺はこのゲームにかなり高い評価をつけたし、自分の経験と重ねて共感もした。
それにこのゲームからは多くを学んだ。特に「数学」と「美術」の関係、黄金比とフィボナッチ数列の対応なんかは、「創造主」や「神」の存在を信じたくなる衝動にすら駆られて、多くの科学者が最終的に神頼みになる理由も一瞬で理解できた。
だってこの世界には不思議で神秘的で説明できないものが多すぎる。
とにかく『サクラノ詩』からは很多を得たし、このゲームは物語の面だけでも十分に面白い。むしろその面白い物語があったからこそ読み進められたわけで、話が進むにつれていろんな興味深い知識も得られた。
この物語はもう終わったと思っていた。最後の終わり方はどう続ければいいのか分からないくらいだったから。そんな時、『サクラノ刻』の噂を聞いた。
このゲームに続編があるだと?続編は何を語るのか?正直分からなかった。元の本筋であまり存在感のなかった女子学生たちの話なのか?それとも、すでに十分に完成されている「藍先生」を無理やり攻略させようというのか?主人公と彼女の家族以上家族未満の関係は良かったのに、いわゆる「攻略可能」のために無理やり恋愛劇を作るのか?
まさかね?そんな陳腐なことする必要ある?そんなことしたらゲーム全体の格が下がるだけでなく、主人公のキャラまで壊してしまう。もともと御桜稟を攻略するだけでもかなり無理があると思ってた。あれは「R18ゲームの売上」への妥協だった。そこまでやる必要はないだろ?
特にその後『终の空 Remake』が発売されて、俺は『サクラノ刻』への信頼をさらに深めた。絶対に蛇足の詐欺作品じゃないし、特定のキャラを攻略させるためだけにプレイヤーに媚びるような無理やりな作品でもないと信じていた。
もちろん、『サクラノ刻』は発売された。その後の話はだいたい分かるだろ。
俺は間違っていた。しかもとんでもなく。
ネットでよく見かける質問スレ:
「ギャルゲーを遊ぶためのデバイスを探してます」
「エロゲーを遊ぶならどのタブレットがいい?」
「この携帯ゲーム機はいいね、完璧なエロゲー専用機だ」
……
時々自分でも不思議に思う。Galgameというジャンルはとっくに斜陽で半死半生なのに、なぜネット上にはまだこんなに支持者がいて、しかもそのためにわざわざ高価な専用デバイスを買うのか。
実際、このブログの古い読者ならご存知かもしれないが、私は10年以上前に似たような記事を書いた。当時簡単に自分の意見をいくつか述べたが、今見ると正しいものもあれば、不十分なものもある。
それから何年も経ち、私もそれなりのギャルゲー経験を積み、大量のギャルゲー用デバイスを乗り換えてきた。そろそろ腰を落ち着けて、この問題について改めて語り合い、自分の経験を共有すべきだろう。
『ハッピーライヴショウアップ!』の続編が出ると知ったとき、意外な気もしたし、そうでもない気もした。
意外だったのは、原作の物語がすでに十分に完結していて、続編の入り込む余地なんてほとんどないからだ。主人公はソフィアと結婚して子どもまでいる。続編で何を語るっていうんだ。まさか主人公が学校の教師に戻って女学生に囲まれ、その中の一人——しかも前作ヒロインの娘——と恋に落ちる、なんて悪臭漂う展開をやるわけじゃないだろうな?
もちろん、納得できる部分もはっきりしている。前作でかなり出番のあったヒロイン、ミヤビが攻略対象にならなかったことだ。彼女の振る舞いはあまりにも魅力的で、魅力が抑えきれず、しばしば主役を食うほどだった。
俺は夏和小の熱烈な支持者だが、このゲームでの彼女の出番はもう十分だと思っている。「直男の強迫観念」のためにわざわざ「攻略可能」な筋書きを作る必要なんて全くないし、むしろ物語がちぐはぐになるだけだ。
だが、そんな俺の意見は通らない。F社は商売だからな。ミヤビの専用ルートを引っ提げた新作『ハッピーライヴ ショウアップ アンコール!!』は堂々と発売された。
俺の過去のブログを読んだことがある人なら分かると思うが、俺は別に「ゆずソフトアンチ」ってわけじゃない。ただ、熱烈な信者でもないってだけだ。
これまでのゆずソフト作品に対して、俺はずっと抑えめの批判的なスタンスを取ってきた。『天色』の頃はゆずソフトは廃萌だと言い、『魔女』の頃は「もうちょい真面目にやれ」と言い、『千恋万花』の頃は「テンプレすぎる」と言い、『Riddle Joker』とあの名前すら覚えてない全年齢作品の頃にはもう「ゆずソフト終わったな」と嘲笑い始めていて、『死神の蝶』の頃には完全に「やらかした」と言っていた。
「ゆずソフト」の作品に対して自分がかなり否定的なのは見ての通りだ。内心では同業の中でも優秀な部類だと思っているのに、それでも自分が求めているあの「点」には届いていないらしく、作品への「称賛欲」が湧いてこない。
気づけば2023年、ゆずソフトは生き残っていて、今も1〜2年に1本のペースで新作を出し続けている。今回のタイトルは『天使騒々』。正直、めちゃくちゃダサい。あの頃の『天神乱漫』っぽいStyleを感じる。特にゆずソフトのゲーム紹介を読んだ後は、本作はゆずソフトが「原点回帰」した“寝そべり”作品だとほぼ確信した。
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